彼らと最初に比べて親しくなれたと思う。政宗と小十郎さんとも、普通に会話できるようになった。けれど、一人にはどうしても嫌われているというか、遠い距離を取られたままだった。毛利さんだ。挨拶は無視されてしまうし、事務的なことでないと言葉を返してはもらえない。わたしが学校に行っている間も、基本的には自室に隠るか一人で外に出かけるからしい。他の皆ともまず話さないそうだ。元々何というか、クールな方らしいが、それでももう少し打ち解けられたらと思う。だがなかなか上手くいかない。


「毛利さん、これどうぞ」


わたしが差し出したものを無言で見つめる。反応のない彼に、本です、と見ればわかるだろうことを付け足した。それは現在話題のもの。テレビや新聞で取り上げられているのを見る毛利さんが興味を持っているようだったので、買ってきたのだ。どこも売り切れていて本屋を三件ほど回った。


「テレビとかでよく紹介されてるやつなんですけど、」
「……ああ」


どの本かわかったらしい彼はそれだけ言ってわたしの手から本を受け取った。最初のページを開いて少ししてから閉じる。自室に戻るらしく後ろを向いた彼に声をかけたかったができなかった。開きかけた口を閉じる。少しでも話すきっかけになればと思ったが、うまくいかなかった。


「礼ぐらい言ったらどうなんだよ」


声のした方を振り返るとそこには元親が。わたしを通り越して呆れたように毛利さんを見つめる。脚を止め元親を一瞥した毛利さんは、何も言わずまた歩き出す。


「おい、待ちな」
「元親、いいよ」
「……沙季」
「いいからいいから」


元親に近寄り宥めると不満そうな顔をしたが、あとは何も言わなかった。


「ごめんね」
「アンタが謝る必要ねえだろ」
「元親にも言いたいことあるのに、私がいっつも止めるから」
「いや、沙季が止めなかったら俺はとっくにやり合ってる。多少はやりきれねえが、ありがてえよ」
「おお……」
「あ?」
「心が広いね、元親」
「だから、そりゃアンタだろ」


呆れたように笑う元親に笑い返す。元親にはいつも我慢してもらって悪いと思うけど、険悪な雰囲気はできれば避けたい。わたしも少しでも毛利さんと関われたら良いんだけど。


******


さっき時間を見たら七時前だった。家の扉の前で鞄を漁り鍵を取り出す。


「いい加減にしやがれ!」


ドアを開け玄関に足を踏み入れた直後響いてきた声に肩が跳ねた。今の声は、元親だ。


「二人ともやめなよ!」
「落ち着かねえか、長曾我部」


続いて慶次や小十郎さんの咎めるような言葉が聞こえた。あの彼らが、わたしが帰ってきたことにも気付いていないようだった。駆け込んで、どうしたんだと言えることではない気がする。呆然として立ち尽くしていた玄関を上がり、音をたてないように廊下を歩いた。僅かに開いている扉から、気付かれないように中を覗き込む。向かい合う元親と毛利さん、二人の周りに他のみんなも立っていた。毛利さんの足元には、わたしが昨日彼に渡した本が落ちている。


「テメェ、少しは沙季の気持ち考えろ!」
「何故我がそのようなものを考えねばならぬ」
「アイツが俺らに、お前にどんだけしてくれてると思ってんだよ!」
「それはあの女が勝手にしていることであろう」
「……何でそういうことしか言えねえんだ。この書物だって、沙季がアンタのために買ってきたんだろ!」


何があったかはわからないが、険悪な雰囲気であることは容易く理解できた。鞄を持つ手に無意識に力が入る。今にも掴みかかりそうな元親。不意に毛利さんが短く鼻で笑ったのがわかった。


「いきなり来た怪しい者に、誰が本気で手など差し延べるか」
「……何?」
「あの女など、見苦しい偽善者に過ぎぬわ」
「テメェ……!」
「も、元親っ!」


元親が拳を振り上げたのと、自分の身体が動いたのはほぼ同時だった。


「……い、っ」


左頬から鈍い音がした後、右に倒れる身体。ぶつかった椅子が床に擦れて、耳障りな音を立てた。衝撃で一瞬視界が真っ白になり、意識が飛びそうになる。頬には今まで経験したことのないような痛みが走った。頬が痺れて、火傷したように熱い。


「沙季!?」
「お前……、何してんだ!」
「沙季殿!!」


彼らの声がどこか遠くから響いているような感じがする。頭を上げると、右目を見開く元親がブレる視界に入った。彼の右手に触れる。握られたままの拳が少し震えているように見えた。何か言おうと口を開いた瞬間口内からボタボタと血が垂れてきて、大した量ではないけれど、驚きですぐに言葉は出なかった。


「小十郎、手当の道具持ってこい!」
「……元親」
「沙季! 喋っちゃだめだよ!」
「何故このような……っ!」
「元親、殴ったら、ダメだ」
「……っ」
「殴らないで」


口を開いて言葉を発する度激痛が走った。左目からだけ涙が流れている。わたしの目の前に勢いよくしゃがんだ元親は、怒っているような悲しそうな顔をしてる。


「すまねえ、すまねえ沙季!」
「大丈夫だよ」
「……っ、ごめん!」


ぎこちない動作で後ろを振り向くと、目を円くしている毛利さんが立っていた。彼のこんな顔を見るのは初めてだ。わたしが口を開く前に、毛利さんは踵を返した。彼らしくない足音をたてて、扉の向こう側に消えていく。


「待たれよ!」
「待って旦那! とりあえずは沙季ちゃんの手当が先だ」


ドアの閉まる音が大きく響いた。佐助の手を借りて椅子に座る。手で口を押さえる。痛い。熱い。けど、大丈夫だ。元親はわたしが毛利さんの前に飛び出した時に、拳に急ブレーキをかけたように思う。本気で殴られていたら今頃顔の骨は折れていただろう。


「これ噛んでて。いま冷やすもの持ってくるから」


救急箱を持ってきた佐助が、私にガーゼを渡す。そのあと氷のうを持ってきてくれた。私が冷やしている間、誰もなにも喋らない。


「なんで毛利の野郎を庇った」


私に声をかけたのは政宗だった。血が止まったようだったので、ガーゼを取り出す。


「咄嗟に身体が動いちゃって……」
「んなの理由になってねえ!」
「政宗様」


声を荒げる政宗に肩が跳ねた。政宗にこんな風に怒られるのも初めてだ。小十郎さんが諌めるように彼の名を呼ぶ。

「もし毛利さんに当たってたら、きっとどんどん酷くなってただろうから。それは避けたかったんだ」
「だからといって、あのような無茶は許されませぬ」


眉を寄せて低い声で言う幸村。彼にこんな風に言われるとは思っていなかった。慶次も眉を寄せていて、怒っているのだと、自分の行動で皆に心配をかけたのだと自覚した。


「……ごめん」
「もう二度とせぬと、約束して下され」


わたしが座る椅子の隣にしゃがんだ幸村が、真っ直ぐ私を見て言う。返事をすると、彼は小さく頷いた。


「女の子が顔に傷作ったらダメだろ」
「……うん」
「あんなとこに飛び出すなんざ、どうかしてる」
「ほんとだよ。何考えてんだ」
「ご、ごめん」
「二度とすんじゃねえ」
「ごめんね。……あの、みんな」
「なんだい?」
「毛利さんを責めないでね」
「……何でだ」
「この家でぎくしゃくしてほしくないからさ」


そう言うとみんな暫く黙ったあと、渋々といった様子だがわかったと言ってくれた。毛利さんを責めてさっきと同じようなことになってほしくない。手当てをしてもらったあと、わたしの横に立っていた元親を振り返る。いつもの元親とは別人みたいだ。


「元親、気にしないでね」
「……悪い、俺のせいで」
「違うよ、わたしが勝手に飛び出したんだから」
「俺のせいだ!」
「元親!」

声を張って名を呼べば、元親は肩を少し跳ねさせて私を見た。今のでまたさっきの傷から少し出血してしまったようで、血の味が広がる。それを飲み込んで、青い目を見つめ返した。


「わたしがいいって言ってるんだから、いいんだよ」
「……でも」
「しつこいって」


口を閉じた元親に満足して一人頷けば、不意に彼の左手が怪我をしていない右頬に伸びてきた。そのあと躊躇いがちに触れられる。


「痛ぇ、よな」
「ちょっとだけね」
「……すまねえ」
「もういいよ」

元親はもう一度すまねえと言ったが、そのあとは何も言わずわたしの右頬を数回緩く撫でただけだった。
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -