「佐助と仲が良いようですね」。発した声が思っていた以上に強張っていたことに、何より自分自身が驚いた。
上田城の自室に薫と共にいることは不思議な感覚だった。普段この部屋では一人で眠りに就くのだが、今宵は妻が夜着を纏い布団の傍に座している。所用で登城したところ夕餉に付き合うよう若が誘い、更に勇士達が引き留めに引き留めた結果、夜も更けたからと泊まっていくことになったのだった。
一組の褥。蝋燭の灯りが揺らめいている。手をぱたぱた動かし顔を扇いでいた薫が私を見据えた。若に勧められるままに酒を飲んだ薫の肌は、いつもより桃色に染まっていた。ゆっくりと私の言葉を咀嚼してから口を開く。「お手伝いさんの、」と話し始める甘やかな声。人を雇う程の余裕がなかった家の出の妻は、女中という呼び方にまだ慣れていない。

「手が、荒れているので。
いい薬はないか尋ねていたのです」

薬草の知識が豊富だと聞き及びましたので。ふわふわと上機嫌に笑う薫に私は努めて平静を装い頷いた。確かに薬草云々と忍隊の長を紹介した張本人は私自身で、夕餉の席での彼女と佐助は下心などなく至極真面目に会話していた。それでも。

「…気になりますか?」

どちらのことを問うている。薫が私の顔を覗き込む。女中のことならいざ知らず、他の男との仲を訊いているのだとしたら答えはこうだ───それはもう非常に気になって仕方ない。
勇士達は全員薫を頗る気に入っている。私の妻ということ抜きに気さくに声を掛けては楽しげに笑うのだ。今日の夕餉も大変だった。アナが「人妻に手を出すのかしら」とからかい佐助を混乱させる。それに構わず甚八が薫を口説こうとし、筧が声を荒げる。弁丸は一緒に遊ぶようせがみ、酔った伊佐那海がはしゃげば清海が着いて来る。才蔵が場を収めようとするも鎌之介に絡まれる始末。若は若で酒を煽るばかりだし、あの騒ぎを止められる者が私しかいなかったのだ。しかし、困ったように笑っている薫が輪の中心にいたことが理由で、つい短絡的な考えしか出来なかった。立ち上がりその腕を引く。耳を塞いでやることも忘れない。そうして私は息を吸い込み、思い切り空気を震わせた。

「───いい加減にしなさい!!」

術を使えば皆ぴたりと大人しくなった。怯えた顔で耳に手を当てる者、間に合わず昏倒する者の両派に分かれる。静寂の中私は薫の手を引き部屋を後にした。何も知らない彼女が戸惑いながら私の名を呼ぶ。暫く歩いたところで、若の大笑する声が廊下まで響き渡った。

「…皆さん、本当に優しいですよねえ」

のんびりとした話し方は酔いが覚めていないからか。眠気もあるのかもしれない。扇子で緩く風を送ってやれば、薫は気持ち良さそうに目を細めた。それにしても今の発言には眉を顰めざるを得ない。皆はただ楽しんでいるだけだ。「…そうですか?」と訝しげに確認すると彼女は首を縦に大きく振った。

「六郎様のお友達ですから。
仲良くなれてよかったです」

ぱん、と私が扇子を畳んだ音が空気を震わせた。薫が驚いたように瞬きするより早く、細い肩を抱き褥に引き込む。抵抗することなく横たわった姿に私が覆い被さると、薫は小さく息を呑んだ。

「…六郎様?」

勇士。若。屋敷の女中。きっと金平糖を売っている店や、手入れを続けているだろう坪庭も。薫が大事に思うものが増えていく。心の中にある泉に愛おしそうに沈めた存在達が、鮮やかに煌めき薫を彩る。上田に馴染むことは歓迎すべきだ。しかしどこかでそれに歯止めをかけたいと思う私は、懐が狭いのかもしれない。
髪を撫でる。指先を滑らせこめかみや頬骨の上、耳朶の裏と気紛れに行き来させると、薫は擽ったいとばかりに睫毛を伏せた。両の掌で柔らかな頬を包み、額を合わせる。吐息が熱を孕んでいた。視線が絡む。彼女の瞳には私の姿だけが映っている。そのままであって欲しい。私以外の何物にも心を動かしては欲しくないとすら思う。───有り体に言えば、嫉妬。ぐるぐると渦巻く感情が私を引きずりこむ。いつから私は、こんなにも薫に溺れるようになったのだろうか。

「、」

衣擦れの音がした。薫が腕の間から手を伸ばして私の輪郭をなぞる。顎から唇の下の黒子へ、先に私がしたように不規則に指先が動く。触れるか触れないか息の詰まりそうな感触。険しい顔をしていただろうか。すると、恥じらいを堪えようと眉間に力を入れていた薫の顔がふっと和らいだ。眩しそうに私を仰ぎ見る。眦を下げる彼女の笑い方はとても綺麗だ。

「…わたしは、まだ飛び込んだばかりなんだなあ、って思うんです」

ここでの新しい生活に。薫が上田に嫁いでまだ数月しか経っていない。だから目に映る景色はどれも新鮮で、何もかもが楽しげに見える。実家での暮らしに不満があった訳ではないですが、と薫の指先が下瞼へゆるり動いた。肌が粟立つ。

「六郎様が過ごされてきた上田を知って、六郎様と同じ景色を見て、同じものを好きになることがすごく嬉しいです。
…わたしの中では、六郎様だけが特別なんです」

六郎様に寄り添うことがわたしの望みです。そうはにかむ妻こそが目映く見えて、思わず眩暈がする。気付けば薫の鼓動と私のそれがぴたりと重なっていた。こんなにも脈が速く激しく身体を打ち、苦しさを覚えることなどない。そうして薫が紡いだ告白に、私は今度こそ呼吸が止まるのではないかと思った。

「わたしは、ずっと六郎様だけをお慕いします」

───お前には幸せになってもらいたいのだよ、という若の声を思い出す。豊臣と徳川の間で揺れる世情に振り回されないために、周囲に与える影響を最小限に留められるような小さな家の娘を娶ることを若に提案されたのだった。「家柄ではない、人柄よ」。そう笑う若の言葉に異論はなかったし、実際に対面した際の薫への印象は悪くなかった。奥ゆかしさと芯の強さが同居する様子に惹かれたことは事実だ。しかし若は彼女の人柄を果たして把握していたのだろうか。日の本どころか薫という一人の存在に、私の心は大きくかき乱されている。
ゆるゆると水紋が浮かぶ。広がる。全身を震わせる。私という存在が全て水で構成されていたら、凪ぐことも荒れることも全て彼女の意のままだ。視線が絡む。薫の瞳には私の姿だけが映っていて、それは私も同じだった。黒藍の間を通る妻の指先。髪を梳いた手が背中に回る。誘われるように唇を押し当てて軽く食む。甘く、仄かに酒の匂いがした。柔らかな感触を暫く味わい唇を離すと、薫は恥ずかしげに頬を染めながらも優しく微笑む。その表情に、私は何とも言いようのない満ち足りた心地になる。

「…薫、好きですよ」
「はい、わたしもです」

幸せが迸る。愛しさが膨らむ。温かなものが全身を駆け巡り、どうにかなってしまいそうだ。身体を伸ばして布団の傍で部屋を灯していた蝋燭を吹き消す。ふつりと明るさがなくなり、薫の姿が闇に包まれた。それでも、暗くなろうと目を閉じようと、何があろうと、私達の中には互いが存在している。口元を緩ませながら、私は両の腕で薫をしっかりと抱き締めた。


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