お似合いだと思った己を、心底罵りたくなった。
上野国沼田の居城からわざわざここまでやって来た。だらしのない上田の主など顔を見たくもない。しかし、世情の揺れる日の本にて真田家が無事に生き延びるようにと信幸様が広い御心で説得を試みているのだ。大きな音を立てて襖が開く。部屋から出てきた信幸様は仏頂面だ。これまでの話し合い同様今回も平行線のままだったらしい。

「おー、七隈ではないか」
「…」

信幸様の背後からその弟が呑気に顔を出した。あからさまな舌打ちでも聞かせてやりたくなる。汚らしい髪に地味な着流し。信幸様とまるで違う。そして二人が部屋から出てきたことを悟り、廊下を歩きこちらへ近付いて来る者がいた。双子の兄の、六郎だ。同じ背、同じ顔、同じ声。異なるところは右眼の包帯と、───その後ろに女を引き連れていたことだった。義姉上、と私は小さく呟いた。
兄上が取るに足らない家の娘を娶ったことは私の耳にもすぐに伝わってきた。詳しい経緯までは知らない。とりあえず仕方なく婚儀に赴いたが、これといった特徴もなくぱっとしない女だという印象だった。兄上を見ては顔を赤くしたり、でれでれと相好を崩していたことに苛ついた程度だ。以来、私は信幸様にお前も嫁を貰えと催促されている。いつも私はそうやって兄上と比較されるのだ。嫁などいらない。信幸様がいればいい。少なくとももっとちゃんと本家筋に近い家柄の、海野家に相応しい嫁を取る。私の方が優れていることを証明するためにも。

「あ、幸村様───信幸様、七隈さん!!」

兄の影に隠れるように立っていた義姉上が慌てて駆け寄ってきた。良質の仕立ての小袖を慎ましやかな柄が彩る。平伏。「ご挨拶が遅れて申し訳ございません」と床に額をつけんばかりの義姉上を信幸様が俯瞰した。

「ん? あー…何だ、六郎の嫁か」
「はい、薫にございます」

信幸様は義姉上を一瞥した後鼻をふんと動かした。強情な上田の主に仕える小姓にのこのこ嫁いだ女だ、興味を示すどころか見下した態度を取るに決まっている。小さな背に居た堪れなくなり顔を逸らすと、兄上の主の底の知れない笑みとばっちり目が合ってしまった。

「薫、今日は何用だ? わしに会いに来たのか、ん?」
「いえ、差し入れです。
皆さんに召し上がっていただこうと思って参りました」

信幸様の弟の不実にも程がある問いを義姉上は笑顔で受け流す。綺麗に持ち上がった口角を見て、外気に晒した肌がひやりとした。取り入り方があざとい。立ち上がる義姉上の傍に兄上が近寄る。手の中の包みを開ける指は白魚のようとは言い難い。と言うより、差し入れを三人で覗き込む場面を何故私が眺めていなければならないのか。帰りたい。

「塩大福です。
こっちは城下で売っていた金平糖」
「薫が作ったのですか?」
「…お手伝いさんのお手伝い、です」

甘いものの後は塩気のあるものを食べたくなる。手土産としてはいい選択だ。お店を教えていただいたのでと金平糖を指差す義姉上の手と、包みを持つ兄上の手が触れそうなまでに近い。形良い大福と艶めく金平糖、首を傾げて苦笑いする義姉上の顔。胃の辺りが動いた気がした。

「ほう、皆も薫が頻繁に遊びに来ることを喜んでおるぞ」
「恐れ入ります」
「六郎、共に広間へ行くがよい」
「御意」
「信幸様幸村様、七隈さん。
失礼いたします」

信幸様は相変わらず鼻息荒く上田の者達を睨み付けている。それに怯むことなく義姉上は一礼して背中を向けた。先の言葉から義姉上がしばしば登城していることを知る。上田はいつ来てもやたらと騒がしい。治める者に似た無法者が集まっているからだ。義姉上もまた、ここの空気に染まっているのだろうか。兄上と連れ立って廊下を歩く姿。無性にむかむかして私は拳を握り締めた。
兄上と義姉上を見ていると己が淀んでいると感じる。陽の当たらぬ場所で停滞する流れを抱えた川のような心地だ。二人が並ぶ光景が眩しく見えた。兄上の影として生きるよう言われた幼い頃を思い出す。幸せそうに笑む義姉上が全ての光を集めてしまったかのように見える。顔を逸らす。やはり私は影なのか。忌々しい。

「薫」
「はい? …え」

廊下の角を曲がる直前で兄上の足取りが緩くなった。包みを漁り、木器から金平糖を一粒取り出し立ち止まる。義姉上も二、三歩遅れて足を止めた。兄上がその口元に白く小さな塊を摘まんだ指を持っていく。

「皆食い意地が張っていますから、今のうちに食べないとなくなってしまいますよ」

促されるまま薄く開いた口に金平糖が放り込まれた。柔らかそうな桜色の唇に兄上の指が押し当てられ、ゆっくりと離れていく。義姉上の瞳孔がきゅうと狭まる。顔に朱が広まる。それも束の間、婚儀の時のような気の抜けた笑顔に私の目の前が白く爆ぜた。

「六郎様もお一つ如何です?」
「私ですか?」
「少し、お顔が疲れておいでなので。
お疲れの時は甘いものですよ」

義姉上も兄上を真似て親指と人差し指の先で金平糖を挟んだ。腕を伸ばせば兄上が屈んで顔を近付ける。指ごと食べてしまいそうな程大きく開いた口は静かで獰猛な獣を思わせた。義姉上は益々赤くなる。金平糖を持っていた手が兄上の長い前髪を掠めた。義姉上が恥ずかしそうに笑う。つられて兄上の表情も柔らかくなる。
兄上は見せ付けているのかもしれない。それか、私の反応を見て楽しんでいるのだろう。義姉上の家と海野家では家柄がつり合わない。そもそも縁談が持ち上がった理由がわからない上に、義姉上も断ればいいものをそれをのうのうと受け入れた。面の皮が厚い。私は、薫という女を海野の嫁として認めてなどいない。
それでも、私は決して面と向かって義姉上を否定したことはなかった。同じ背、同じ顔、同じ声、───もしかしたら、同じ感情。義姉上が盲目的に兄上を思っていることが気に入らない。何故私ではなく、兄上なのか。悔しくて遣る瀬無くて、しかしその中には微かに熱を孕んだ思いが隠れている。もしも兄上より私の方が優れていることが証明されたら、義姉上は私を見てくれるのかもしれない、という淡い期待。兄上はそれを知っているのだ。知っていてあのような不埒な行為を見せ付けたに違いない。

「甘いですね」
「はい、甘いですねえ」

二人の声が遠くに聞こえる。吐き気がする。あの二人は砂糖水の中に浸かっているのではないか。「甘いものの後は塩気のあるものを食べたくなってきました」「わたしが作った塩大福はどれかわかりますか?」「当ててみましょう」なんて仲睦まじそうに会話を交わしながら兄上と義姉上の姿が見えなくなる。信幸様の弟はにまにまと頬を緩ませていた。海野は真田に仕える家だ。大事な存在は主一人だけで十分だ。なのに、兄上の義姉上に対するあの笑顔。すっかり義姉上に骨抜きにされている。しかしそれは兄上を恋うている義姉上も同じことだ。二人して堕落し切っているとしか思えない。お似合いだ。そう思い、───己を心底罵りたくなった。いつも兄上はあらゆるものを手に収める。
二人が廊下を曲がってからややあって、七隈、と私の名を呼ぶ信幸様の低い声がした。

「…間違ってもあのような女を嫁に取るではないぞ」
「…無論にございます」

嫁などいらない。信幸様がいればいい。義姉上のような女、この世に二人といる訳がない。


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