信州上田城に漸く穏やかな日が戻ってきた。服部半蔵達の襲撃が嘘だったかのように静かな日常。城の庭に腰を落ち着けた才蔵がのんびりと空を見上げる。木菟の朱刃が伸び伸びと旋回する様はこの地の平和を象徴しているようだった。ゆっくり息を吐いた彼はしかし、突如として聞こえてきた騒がしい足音にぎょっとする。

「みんなー!!
オヤツ食べよー!!」

どたどたという駆け足と元気な声と共に姿を現した人物は勿論伊佐那海だった。両腕に持つ大皿には饅頭がうず高く積まれている。顔すら見えない程の量に才蔵が直ぐ様突っ込みを入れた。

「おっっ前はバカか!!
んな甘えモン1個で十分だ!!」
「バカじゃないもん!!
計算間違ってないでしょ!?」
「そこじゃねーよ!!
限度っつーもんを考えろ!!」

遠慮のない才蔵に伊佐那海が反論する。もしも彼女が泣いてしまうようなことがあれば一大事と十蔵と佐助が焦り出した。しかし伊佐那海の矛先が茶を抱え走ってきた清海に向いたことにより何とか難を逃れる。弁丸が饅頭を配る横で十蔵から勇士10人の与頭が必要ではないかと提案があった。適任者を考える才蔵の視界に佐助が饅頭を齧る様子が映る。頬杖をつけばきょとんとした顔で若草色の背に乗る雨春と目が合った。

「佐助はどうだ?
猿だからお山の大将やんのは得意だろ!?」

瞬間、雨春が肩口からぴゃっと飛び退いた。庭園に据えられた岩から立ち上がった佐助が才蔵を殴り付ける。余りに突然のことにその場にいた者は皆呆気に取られた。口元を拭い才蔵が叫ぶ。

「気ィ短すぎだろテメエ!!」
「───…っ、問題外っ!!」

続けて繰り出される蹴りをかわしながら才蔵が苦無を取り出した。空中で斬り掛かれば佐助も応戦する。甲高い金属音と二人の怒声。完全に頭に血が昇っている彼らは眼下で幸村と六郎が頬を引き攣らせている光景に気付けずにいた。二人揃っての攻撃で城門が派手に破壊されたところで、遂に六郎が息を吸い込む。

「ふたりとも!!
やめなさい!!」



68



六郎の術により地に伏した二人の忍は、がんがんと痛む頭を押さえながら幸村の元に座らされていた。不満気な顔の才蔵の言葉に幸村が佐助を促す。理由なく喧嘩を吹っ掛ける質ではない忍頭は言い辛そうに顔を逸らした。

「…与頭…我じゃない…」

───それ、お前の役目。弱々しい声に才蔵が目を白黒させた。まさかそれで逆上したのかと狼狽える。その時再び屋敷の奥からぱたぱたと走る足音が聞こえてきた。

「伊ー佐ー那ー海ー!!」

耳の横で留めた長い髪が揺れる。仕立て上がったばかりの振袖が煌めく。饅頭を頬張っていた伊佐那海が何事かと首を捻ると、やって来た薫は珍しく眉を吊り上げていた。

「ちょっと伊佐那海!!
厨使うならちゃんと後片付けしてくれる!?
全部私に押し付けて!!」
「………あ…えっと、…ごめんなさい」

侍女が困っているという呆れた口調に伊佐那海がしまったと表情を曇らせた。この上田において彼女に怒れる人物は才蔵と薫しかいないのではと皆が思う程の剣幕である。厨から一直線に駆けてきたのだろう、大きく息を吐いた姫君は顔の前で手を扇のように動かした。頬は暑さと声を荒げたことで紅潮している。ひらひらと扇ぐ手を何気なく見ていた才蔵は、その左の人差し指に出来た赤い筋を目に留める。

「…薫、その手どーした」
「え?」

浅い切り傷は漸く血が固まりかけた頃のようである。厨の片付けを手伝った際欠けた皿に触れたため切れてしまったのかもしれない。幸村が「おぬしは生傷が絶えぬのう」と溜息を零す。その横から六郎がずいと歩み出た。

「薫様、早く手当てしなければ膿んでしまうかもしれませんさあこちらへ」
「えっ」
「しょーがねぇな…おら、見してみろ薬塗ってやっから」
「あの、」
「ワシが舐めてやってもよいぞ?」
「な、ちょ兄上!?」

六郎に続いて才蔵もゆっくり近付いてきた。更にそれに触発されるように幸村も妹に迫る。薫は困り顔でじりじりと後退るしかない。目の前に出される手と三人を交互に見比べる。小さな怪我でこれだけ心配されても居た堪れない。しかし彼らの厚意を無下にするわけにもいかないと彼女が戸惑っていると、

「───薫、触れる、………我、のみ。」

けぶる森と眩しい陽射しの混ざった匂いが薫を包んだ。ふわりと後ろから回される両手。暖かく力強い腕は彼女の帯と同じ若草色に覆われている。頬が更に熱を持つ。背後にいる者の正体などもう振り返らずともわかる。薫の背には、彼女を抱き締める佐助の姿があった。
場は一瞬にして静まり返った。全員凍り付いたように二人を凝視する。時が止まること暫く、いち早く我に返った伊佐那海が黄色い声を上げた。

「きゃああああああっ!!
ちょっと何時の間にそんな関係になったのー!?
いいなあアタシも言われたーい、才蔵ー!!」
「断る!!」

きゃあきゃあと瞳を輝かせ才蔵を追いかける伊佐那海。当の才蔵は捕まらないよう屋根の上に飛び移った。清海が弁丸の目を大きな手で塞いでいる。安堵の微笑みを浮かべる十蔵の傍らで、鎌之介は未だ起きる気配はない。

「面と向かって言われると釈然とせんものよの、六郎」
「奇遇ですね、私もです」
「うっ…」

目を細める幸村に六郎は顰め面を隠せない。甚八のくゆらせる煙が離れた場所に見える。アナスタシアの姿は見えないが、恐らくどこからかやりとりを聞いているだろう。顔を青くしたりと忙しい佐助を薫が振り返った。帯の上にある彼の手に自らのそれを重ねる、その表情は恥ずかしさと喜びが同居している。菫色の袂が夏の空気に軽やかに翻った。

「…じゃあ手当てしてもらおっかな、佐助。」

薫がはにかむ。佐助も笑おうとして唇をへにゃりと曲げる。仕方ないといったように頬を緩ませる一同。騒がしくも楽しげな声が上田の城に響く。
幸せが満ちる。笑顔が溢れる。小さな花がいくつも集まり、やがて満開の花畑が咲き誇る。

( 20121015 )

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