森の中にあるぽかりと開けた草叢は、そこだけ一段と気温が低いようだった。夏草をすり抜けて雨春が駆けて行く。先程まで鼬は陽の当たる場所にいたのだが、俄に感じる殺伐とした空気に耐えられなくなったのだった。草叢では足を折り畳み汗を流す佐助と、同じく正座の姿勢で何とも言えない表情をしている薫が向き合っていた。

「………敵と接吻、するんだ」
「…い…っ、いい否!!
接吻、された!!」

薫の小さな声に佐助はぶんぶんと首を左右に振った。合わせた唇の間から蟲を飲まされたことが原因で随分と苦しめられたし、今でも薬を服用し養生を続けている。だから───伊賀異形五人衆の一人である灰桜と真田忍隊隊長の猿飛佐助が接吻をしたと問われても全力で否定したい。あれは合意の上ではなく一方的なものだと。

「…薫、何故、その事、」
「ああ、伊佐那海と十蔵から聞いた。」

伊佐那海も十蔵も彼らのことを気に掛けているからこそ敢えて薫に事実を告げたのかもしれない。彼女が己のことを信じていると佐助もわかっている。しかし後ろめたい隠し事を秘めたままでは本当の信頼は得られないとも思っていた。それは上記のことも、───真田忍隊隊長の猿飛佐助が仕える家の姫君である薫に接吻をしたことも。これ以上ない位動揺する佐助が慌てて謝ろうとすると彼女がそれを制する。怒っているわけでも悲しんでいるわけでもない複雑な表情。

「別に、佐助の意思がなかったならいい。
それに、…私も、その」
「?」

言い淀み唇に指先を押し当てる薫。薄く色付いたそこが形を変える。柔らかな感触を思い出し佐助がどきりとした。しかし、

「…奥州の人にされた、かもしれない」
「………え?」

予想だにしていなかった言葉に、彼の思考が真っ白になった。



落下点で君を待つ



幸村を探して城下へ赴いた際、男と知り合ったこと。石川組の忍達が城を襲った夜、その男を見たこと。毒を吸い込み途切れ途切れの意識の中、唇に同じかたちをしたものが触れた気がしたこと。そして、京での茶会の後奥州勢の追跡から逃げていた時、男が片倉小十郎であると知ったこと。
目線をうろつかせながら至極気まずそうに薫が言葉を紡ぐ。彼女の説明は順を追っていてわかりやすく、佐助の頭の中になる認識とぴたり合致した。脈拍が速くなる。薫に真実を告げるとしたら、今しかない。浅い呼吸を繰り返し恐る恐る名を呼ぶ。

「薫、」
「…あ、でも、記憶が曖昧だったからそうと決まったわけじゃ、」
「否…それ…我…」
「そっか、えっと、あの、………え?」

ぱちりと瞬きをして薫が顔を上げた。視線が絡み合う。二人の間を風が吹き抜ける。口を開いては閉じることを何度か行い、言葉の意味を理解した彼女の顔がみるみるうちに赤くなった。口元を手で覆い羞恥を隠せない薫に佐助が狼狽える。目には涙膜が出来ていた。いつかは言うべきであると、言えば彼女が取り乱すとも考えていた。佐助も薫への感情を知ったからこそ、あの時口付けた理由を自覚した。思いを寄せる者と唇を重ねたい気持ちは彼女にもあるに違いない。そしてその相手は、自分ではないのだろう。

「薫、…っも、申し訳無…」
「ち、がう」

どこか浮ついた雰囲気の中佐助が今度こそ謝罪を述べる。薫を宥める術など持ち合わせていない。しかしそれを否定する彼女の裏返る声。ふわりと髪を靡かせながらまくし立てるが、しかし。

「嫌だったんじゃなくて、佐助でよかったって、思…」
「え」
「…あっ」

肩を大きく上下させて薫が口を噤んだ。沈黙が満ちる中、遠くに鳥の鳴き声が聞こえる。妙な間。今度は佐助が頬を朱に染めた。血が沸き立ち体温が上昇する。互いの顔を見られず俯く二人。夏の風では火照った彼らの肌は冷えそうにない。どれだけの時間そうしていたのか、先に堪えられなくなったのは薫の方だった。焦り立ち上がろうと足を動かす。

「…っあ、あの!!
………頭、冷やしてくる…っ、!?」
「薫!!」

その時、彼女の上体がぐらりとよろめいた。闇雲に立とうとしたため振袖の後ろの裾を踏んでしまっている。くん、と仰向けに傾ぐ身体。手が空を掴む。咄嗟に佐助が腕を伸ばした。腰元を捉え身体を反転させ、背中から草の上に倒れ込んだ。

「…怪我、無?」
「…う、ん」

どさりという音の直後顔を上げた薫が息を呑んだ。佐助の鳶色の瞳が近い。力強い腕は背に回っている。この体勢ではまるで彼女が佐助を押し倒しているようである。同じ位赤い頬に、同じ位速い鼓動。突然のことに頭が着いて行かず眩暈がする。薫同様佐助も逃げ出したいと思ったが、こうなってしまっては彼女が上にいる限り退くことは出来ない。それに、───愛しい存在を離したくない。優しい眼差しが彼女を見上げている。「佐助、」と薫が囁いた。

「私がこれからずっと接吻するのは佐助だけ。
…佐助が、この先接吻する相手も、私だけ」
「………薫」
「別に命令…ってわけじゃないけど、…嫌かな」

風が吹く。薫の髪が佐助の頬を擽る。それでも二人は互いから目を反らせないでいた。自分のものではないとわかっていて、それでも焦がれた薫が腕の中にいる。薫の傍には佐助がいて、佐助の手の届く距離に薫がいる。彼らが望んだ光景が、同じ思いがここにある。佐助が腕の力を強める。薫の瞳孔がきゅうと狭まった。諾、という返事を聞き止めた者は彼女以外にいない。そうして二人は、ゆっくりと唇を重ね合った。

( 20121014 )

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