その文は侍女が持ってきた。城下で買い物をしていたところ、二人組に「これを姫様に渡すように」と頼まれたらしい。真田薫殿と宛名が書かれた手紙は、彼女以外の者が開くと他人に宛てたもののように見えるかもしれない。───青葉、という書き出しで始まった文は、奥州伊達家の家臣である片倉小十郎からのものだった。



一滴の混濁が世界を美しくする



怪しげな者達に託された文を何の疑いもなく菓子と共に手渡す侍女に、薫は小さく溜息を吐いた。勝手に城を抜け出しても小言の一つもない放任主義な彼女のお陰で窮屈さは感じない。しかし姫としてやっていいことといけないことの分別は誰に言われずともついているつもりである。

「………どこがですか?」
「、」

突然降ってきた声に薫はぎくりとして背後を振り向いた。屋敷の縁側には一体いつからいたのか、六郎が座している。庭に立つ薫を追い詰めようとする顔はいつもの如く淡々として揺るがない。

「真夏に焚火を始めるなどどう考えてもおかしいですが」
「…いや、あの、その………ごめん」

薫の足元には森から無理矢理かき集めた葉と枝で起こしている火があった。ぱちぱちと弾ける炎はこの時期には見ているだけでも暑過ぎる。藍色の振袖を着込んだ薫の首筋に汗が滲んでいた。一つに纏めた髪の後れ毛が白い項に貼り付く。庭から流れてくる熱気で肌にむず痒さを感じながら六郎は彼女に問うた。

「…燃やしてしまってよいのですか?」

暑い中急ぎ燃やしたいものがあるとしたら余程のものだろう。六郎は彼女の態度から片倉小十郎からの文ではないかと踏んでいた。驚き大きな目を更に大きくさせる薫。やがて「六郎には敵わないな」と小さく笑う。

「内容はもう、頭の中に入ってるから」

青葉、という書き出しで始まった文は主に薫への謝罪が記されていた。決して騙していたわけではない、と前置きがあった上で、結果として彼女を利用しようとしていたことが実直な言葉で綴られていた。上田城を襲った刺客は彼が差し向けたものだとも。並びに殿───伊達政宗はまだ諦めていないこと、そして身体には気を付けるようにといった定型の挨拶で締められていた。
このような形で小十郎から接触があったことが意外だった。大湖の畔が彼らの繋がりを絶ったと思っていたし、始めから互いに素性を隠していた偽りの関係だったのだから。届けられた文を薫は何度も何度も繰り返し読んだ。文字を指でなぞり、目を閉じても一切間違えず言える程に。景とのことは頭の中だけに留めておきたかった。手元に残しておこうとはどうしても思えなかった。
煙が立ち昇る。空へと上昇していく空気が薫の着物を靡かせた。藤鼠の刺繍が全面に縫われた振袖は袂が夏虫色に染め上げられており、夕暮れのようなグラデーションが美しい。彼女の背景を彩る太陽は漸く沈もうとしていた。六郎の方へと伸びる薫の影が長くなる。懐から手紙を取り出した姫君へ、彼は再び声を掛けていた。

「…どのようなことが書かれていたんですか?」

紅の隻眼をじっと見つめた後、薫は折り畳まれた紙に視線を落とす。文を片手に持ち、もう一方を顔の前へ。ゆっくり持ち上がった手が曲がり、人差し指だけがぴんと立つ。指の先が唇に充てがわれ、同時に落ち着いた声が紡がれた時、六郎は拍子抜けすると共に表情を失った。

「秘密。」
「………」

惚けた顔が徐々に険しくなり、眉間には皺が寄る。静かな怒気を放つ六郎に苦笑しながら薫は手紙を火に放った。返事は出さないと言えば「当たり前です」とぴしゃり返される。文は一方通行で終わるべきだと二人ともよくわかっていた。
紙に炎が移る。音を立てて爆ぜる。文は端から茶色くなり、流麗な字は煙を発しながらやがて消えていった。胸に火の粉が飛び移ったかのようにちりと痛む。幸村が妹のことを煙管のようだと喩えていたが、己は小さな焚火から昇る灰色の煙のようだと六郎は思う。薫への気持ちが真田を守る者としてのものなのか、それとも全くの私情でしかないものか、彼はいつもその狭間で惑っている。

「六郎、前に私が聞いたこと覚えてる?」
「…?」

誰かの記憶を視たいと思うことはあるか。豊作祝の後、篠笛を作るという話になった時ふと尋ねたことだった。六郎の"何でも記憶出来る右眼"はなくなったため仮定の話になるが、だからこそ今言えるのではないか。答え難いことを問うた彼への仕返しとばかりの質問に六郎は唇の端を少しだけ持ち上げる。その口が───薫の名を紡ぐ前に、人差し指が充てがわれていた。

「秘密、です」
「………」

出来ることならば薫と右眼を合わせたかった。貴女がどのような世界を見ているのか、誰のことを見ているのか、この目で見てみたかった。それは不可能となった今だからこそ思えることである。湿った風に炎が揺れる。そんな思いは、彼女への気持ちは、煙と共に空に消えていくのか。灰になるのか、それとも六郎の中に綺麗に残ったままなのか。暗がりの中で薫がやっぱりね、と笑った。

( 20121007 )

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