朝、真田忍隊の頭である猿飛佐助は膳を抱え廊下を歩いていた。小鳥の囀りが耳に快い。伊佐那海に充てがわれた部屋を訪れようとし、しかしすぐに爪先の方向を変える。どういうわけか彼女は毎朝才蔵の部屋にいた。 「おはよう佐助!! ご飯ご飯!!」 部屋の襖を足で開くと、案の定最近ここに住まうようになった二人がいた。伊佐那海は朝食の時間と知るや否や即座に畳の上で姿勢を正す。短い夜着のため太腿が露わになり、合わせからはふくよかな胸元が見え隠れしていた。佐助の頬が思わず熱くなる。薫はこんなに無防備ではない。 目の前に置かれた膳に早速箸を付けようとした伊佐那海だったが、不意に何かを思い出したかのように「あ、」と声を上げた。すぐ側では才蔵が忍隊の襲撃を受けている。 「佐助、薫の部屋ってどこ?」 「薫?」 薫と伊佐那海は歳が近いこともあり急速に親しくなっていた。彼女と才蔵が上田領内へ足を踏み入れ、そして城に滞在することが決まった翌朝、薫が見せた心からの安堵の表情は佐助の記憶にも新しい。伊佐那海は彼に頷き白い歯を見せた。 「うん、朝ご飯一緒に食べたい!!」 05 伊佐那海と佐助が薫の部屋を訪れた時、彼女は着付けを終えるところだった。この隙のなさが自分には丁度いいと佐助は思う。山吹色と栗梅色の刺繍で花をあしらった振袖の地は彼の忍装束に似た萌黄色だった。薫と佐助が同じ間にいることで、伊佐那海は自らが草原に立っているような心地になる。草が揺れる中にいくつもの小花が咲いた光景。微かに感じる香のせいもあり、部屋中が爽やかな朝の空気に満ちる。 「伊佐那海、佐助。 おはよう」 「おはよう薫、ここでご飯食べてもいい?」 飾り紐を結び終え薫はぱっと振り向く。山吹の紐で一つに留めた髪が広がった。朝露に濡れた花弁が陽に反射したようだ───そんなことを思った佐助はどうしようもない羞恥に襲われる。伊佐那海の提案を二つ返事で了承した薫は彼に向かって首を傾げた。 「佐助も一緒にどう?」 「い、い、否!!」 しかし佐助はぱしゅんと逃げるように去ってしまった。些か寂しさを抱いた薫の前に侍女の初が朝食を運ぶ。向かい合い両手を揃えた直後、伊佐那海が「聞いてよ才蔵がね」と喋り出した。彼女達の様子を消えた筈の佐助が天井裏から窺っている。 「朝から人のこと投げてくるんだよ、酷くない!?」 「あはは、本当仲良いんだね、才蔵さんと」 仲がいいと言われた伊佐那海は表情を明るくした。よく食べよく喋る彼女は見ていて飽きない。玄米を咀嚼してから伊佐那海は箸を持つ手を胸の前にやる。 「才蔵は…たった一人生き延びたアタシを救ってくれた光なんだ」 「光?」 「心細くて、さみしくて…でも才蔵がアタシを眩しく照らしてくれたの」 「…伊佐那海…」 「だから、ずーっと才蔵と一緒にいる!! 才蔵のこと大好きだから!!」 そう笑った伊佐那海は再び膳に箸を伸ばした。出雲で起きた痛ましい殺戮。あれだけのことがあったのに笑顔を取り戻した伊佐那海こそ、薫には眩しく見える。───そして、好きな人のことを好きと言えることが堪らなく羨ましい。 「ね、そう言えば佐助はどんな人なの?」 「…え?」 椀を取ろうとした薫の手が止まる。「いつもご飯持ってきてくれるから」と伊佐那海は言うが、佐助は決して食事当番なわけではない。中空を見据え考えた後薫は口を開く。 「んー…何があっても愚直に、忠実に、真田を守ってくれる」 「うん」 「強くて…忍として真田には勿体ないくらい立派」 「…うん」 「あ、それだけじゃなくてすごく優しいし、私が喜ぶことを多く知ってるし」 「………」 「佐助がいると楽しくて、落ち着く」 彼女が言ったことは嘘ではない。可愛い鼬や栗鼠に会わせてくれたり、綺麗な花を摘んできてくれたり。伊佐那海が部屋に入った時感じた香も佐助が調合したものだった。小さな幸せをたくさんくれる彼は薫のかけがえのない存在である。 そんなところかな、と薫が口角を上げた刹那、がったんがたがたと大きな音が天井から聞こえてきた。二人して肩を揺らし頭上を見るが何かが降ってくる気配はない。薫の自らへの評を聞いてしまった佐助が思わず足を踏み外したのだった。 「へえぇ…本当頼りにしてるんだね」 「うん、だから佐助と一緒に才蔵さんも真田に仕えてくれるなら心強いし、…それに伊佐那海も」 「え、アタシ?」 不意に話を振られた伊佐那海はきょとんとした。薫は穏やかな笑みで彼女をじっと見る。くっきりとした目鼻立ちは笑うとどこか兄の幸村に似ていた。 「歳が近くてこんなに話せる子、身近にいなかったから。 伊佐那海がいてくれて嬉しい」 何の疑いもなく手を握ってくれた薫。ここにいていいんだと確かな言葉をくれた薫。澄んだ空気が通り抜ける。すっかり胸の辺りが暖かくなった伊佐那海はえへへ、と笑いご飯のおかわりを頼むのだった。 ( 20120216 ) prev next |