暗闇の中で仄明るさを発しながら切先が迫る。思わず目を閉じた薫は、次の瞬間宙に浮いていた。身体に回された腕に噎せ返る血の臭い。耳元で聞こえる荒く苦しげな息遣い。佐助が薫を抱えて地を蹴っていた。頬のすぐ横を苦無が掠める。普段ぎゅうと抱き留めるように運ぶ頼もしい腕の力が今は弱々しい。恐る恐るまなこを開けた薫は自身を救ってくれた存在が佐助だと確認し、首元に回す手に力を込めた。勇士達のいる辺りへと戻った途端彼の身体が傾ぐ。立つこともままならず、薫を庇うようにして地面に背中を打ち付けた。

「…佐助…っ、佐助、大丈夫!?」
「ぁ…っ薫…」
「───これは真田の姫君!!」

呼吸が止まりそうな衝撃の後彼女が身体を起こせば、佐助は喉の下を押さえ苦悶の表情を浮かべていた。装束は汚れ、裂け、紅が滲んでいる。今まで彼が何者かに蹂躙されることなどなかった。唇を戦慄かせながら声が聞こえてきた方向を見る。才蔵と鎌之介が対峙する男は大仰そうに腕を広げてみせた。

「成る程…貴女がイザナミと仲良しこよししている姫君ですか」
「………誰」

見慣れない男に薫の顔が険しくなる。何故伊佐那海のことを知っているのか。そして男が手に持っているものが奇魂だと気付いた彼女は大きな瞳を揺らした。誰にも触らせてはならない簪。伊佐那海はと呟くように問うと、へたり込む弁丸が彼方を指し示す。そこには闇を凝縮して集めたような塊があった。息を呑む。佐助が加勢しようと膝を地に着けるが、幸村がそれを制止した。

「今はあのふたりに任せるよりほかはない」
「…兄上…」

男が覆面の下でにやりと笑う。腰抜け、と勇士を揶揄する言葉。それに激昂した鎌之介が鎖鎌を振り上げる。突風を避ける忍に才蔵が飛び掛かった。攻撃を避けた男に反対に背後を取られそうになる。振り向きざまに放った苦無は忍刀で払われた。舌打ちする才蔵の脇から鎌之介の鎖分銅が襲うが、鎖の輪に刃を突き通した男が刀を地面に突き刺した。余りに素早い身のこなし。鎖鎌が封じ込まれる。しかしそれも束の間、男が刀を蹴り上げたことで鎖が空を舞った。鎌之介が咄嗟のことで武器を制御出来ないでいると、忍の投げた護符付きの苦無が二人を囲う。───縛。男が印を組んだ瞬間、鎖が才蔵と鎌之介を拘束した。自らの武器から抜け出そうと鎌之介が暴れれば鎖は更に食い込む。一寸の身動きも取れなくなった彼らは藻掻きながら地に伏した。

「ヌルい徒党を組むモンだからこんなことになるんスよ。
仲間だ同志だとお優しい関係を求めるから、結局弱えっつーね!!」

男───服部半蔵の手には簪が握られたままである。拘束された才蔵を嘲笑うかのように見下ろす冷たい瞳。違う、と薫は叫びたくなる。仲間が、皆がいるから強くなれる。一人では出来ないことだってある。しかし忍でも何でもない、戦う力のない彼女が言おうとそれこそ虚しい叫びでしかなかった。傍の佐助が薫を気遣うように手を伸ばした。縋るように若草色の袖を握り締める。

「そこではいつくばって見ているがいいですヨ、あの闇が俺の手に落ちるさまを」

才蔵が振り返り幸村を呼ぶ。佐助、六郎でさえも動こうとする。しかし幸村は彼らが動くことを許さない。禍々しさを放つ繭へとゆっくり近付く半蔵に、才蔵は甚八に鎖鎌を雷で焼き切るよう声を荒げた。その剣幕に彼は躊躇いながらも掌から雷光を発する。肌が粟立つ程の電撃から、闇をたちまち白に変える眩さへ。思わず薫は目を閉じる。しかし視界が戻った時には、

「イザナミは俺のモノだ!!」

才蔵の追走よりも早く、半蔵が奇魂を伊佐那海へと突き入れていた。



65



闇に穴が空く。耳鳴りのような音に薫は固唾を飲んだ。半蔵は狂気に歪んだ表情で伊佐那海が出てくる時を待っている。暗黒の表面がぐるりと渦を巻いた。───途端、彼の腕が闇の中心へと飲まれていく。足を着け必死に抵抗する半蔵。呻き声を上げながら引き抜いた右腕は黒く、焦げたように朽ちていた。

「なな…なぜだあ!!
奇魂さえあれば闇は意のままに………」

声を裏返らせる半蔵に漆黒が手を伸ばす。獲物を逃がさないとでもいうような追撃を受け、遂にその場から逃げ出した。闇に食われるという怯えに満ちた目は、勇士も薫も捉えることはない。

「逃がすかよこの野郎!!」
「───やめよ才蔵!!」

半蔵を討ち取ろうと仰ぎ見る才蔵を幸村が一喝した。伊佐那海は自らを操ろうとする男の欲に応じなかった。「それだけでよい」、落ち着き払った幸村に才蔵はふいと顔を逸らす。何事もなかったかのように球体には闇が揺蕩う。その時、薫の耳にか細い声が聞こえてきた。

───怖い

「………伊佐那海?」
「薫?」

先程まで唸りを上げていた音が伊佐那海の泣き声に変化した。弾かれたように薫が辺りを見回すが他の誰も気付いていない。佐助が不思議そうに彼女の名を呼ぶ。薫にだけ聞こえる、伊佐那海の助けを求める声。

───…っ怖いよう…

もしかして奇魂が闇の中に入ったからだろうかと薫は考える。しかし肝心の簪が伊佐那海の元にある以上明確な手を打てない。最悪の事態であることに変わりないという六郎の声。肩で息をしながら佐助が唇を引き結んだ。十蔵が何とか起き上がろうと指先で地面を引っ掻く。意識を取り戻した清海が未だ闇に閉じ籠もる妹に慌てふためいた。そして、才蔵の力強い声が場に響いた。

「───俺は"光"なんだろ?
オッサン」

「あの暗闇に切れ目入れてド突き起こしてやる」。彼は出雲でたった一人生き延びた伊佐那海を救った光である、出会って間もない頃話したことを薫は思い出す。強い意思を秘めた瞳。才蔵ならきっと彼女を救える───しかし、薫は心の内には燻るものがあった。最後まで、ただ見ていることしか出来ないのか。伊佐那海を助けたい。真暗な中で泣いている彼女に、声を届けたい。大切な存在のために何か出来ることをしたいという気持ちと、武器を持たず守られる立場の己が果たしてどうしたらいいのかという焦燥。歯痒さに俯く薫の目が、帯に差した濃藍の包みを捉えた。

「才蔵、」

伊佐那海を取り込み、世界を闇で覆う繭を睨め付けていた才蔵が薫を振り返った。凛とした眼差しは真っ直ぐ前を向いている。幸村と勇士が揃って見守る中、彼女はゆっくりと口を開いた。

「…私も行く」

( 20120927 )

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