「お客様がお見えです」。薫が部屋を辞した直後、襖を開けた女中の言葉に幸村は思い切り顔を顰めた。この立て込んでいる時に煩わしい。足音を立てて謁見の間へと赴き、乱暴に襖に手を掛ける。そして中に座していた者の顔を見た瞬間、幸村は咥えていた煙管を落としそうになった。

「───騒がしいぞ幸村!!」
「お邪魔しております」

近江佐和山城の主である石田三成と、越後の上杉家に仕える直江兼続。予想だにしていなかった人物達に幸村は目を剥いた。二人とは京の茶会で顔を合わせて以来だった。政宗に追われ上田へと逃げるように帰り、その直後に起きた伊佐那海とアナスタシアのこともあり届いた文に返事をする暇もなかった───幸村は返書を避けていた節もあったのだが。直接ここまでやって来た二人にはげんなりする。

「ワシに何用だ?」
「本題に入る前に…否、これも重要な件なのだが…」

話を促す彼に三成がそわそわと辺りを見回し始めた。身体を揺らしては閉じ切った障子の外まで気配を探る、遠慮がちなようで抜け目ない仕草。彼に対する幸村の嫌な予感が、

「今日は薫姫はおいでにならぬのか?」

───的中。薫に伊佐那海を追わせて正解だったと思う。口から煙を荒く吐き「妹なら町に行っている」と伝える幸村。困ったように眉尻を下げる三成に彼は更に畳み掛ける。

「…また縁談か」

三成は顔を合わせる度に妹への嫁入り話を持ってくる。問答無用で断る幸村に見切りをつけたのか、最近は彼を通さず薫自身へ打診がいくことも多かった。上洛の際の気がかりなこととして挙げる程に彼女も三成を苦手としている。深く頷いた彼は待っていたとばかりに今回の相手について話し始めた。真田よりも大きな家の嫡男、線は細いが顔立ちは悪くない。泰然自若として礼節を重んじる、豊臣派に属する大名である。

「申し分なき縁談だ、薫姫もきっと気に入る!!
いい加減首を縦に振ったらどうだ、このままでは行き遅れと笑われるぞ!?」
「落ち着きなさい三成」

熱弁を奮う三成に幸村は嘆息した。懲りないものだと毎度のことながら感心する。三成も三成なりに太閤秀吉の威光が廃れないようにと奔走していた。真田と豊臣側との結び付きを強めたい意向は幸村にも理解出来る。しかし、特にこの件に関しては三成の思惑に従うつもりなどない。薫を政の道具に使うなど以ての外。ずっと上田で、己の傍で暮らせばいい。手練を集め、守を固め、彼女が幸せでいられるように万事を尽くす。
だが───果たしてそれが彼女にとっての幸せなのか。上田に帰ってきた日の夜、涙が枯れるまで泣いた薫を見て以来幸村は自問を繰り返していた。彼女を守るどころか傷付けている。勇士達の運命に振り回されるより、離れた場所で一生を送る方が心穏やかではという考えが頭の中を占めていた。守ることと閉じ込めることは違うし、籠の中に彼女を押し込めておく権利などない。それに遠ざけてしまえば、胸が苦しくなることもない。

「悪い話では、ないのかもな…」

ぽつり、心臓を縛り付ける糸の端が零れるような呟きが幸村から漏れる。その言葉に当の三成も、天井裏からやりとりを見守っていた才蔵も、思わず目を見開いた。



62



裏の忍の噂を聞いたことがある。正体不明、能力特殊、忍を抹殺する忍───佐助の前にいる女はその集団の一人だった。大量の蝶や巨大な蜘蛛を操る蟲使いは勇士達を抹殺するよう命じられたと言う。そして、

「私にも個人的におふたりに死んでいただきたい事情がありまして」

姉、桜割の仇を討つという灰桜。上田の豊作祝を襲った蛇使いを思い出し、佐助の片眉がひくりと動く。針で刺されるような、静かだが鋭い殺気を感じた佐助は苦無を構え直した。羽音が止まない。近くで鳴っているのかそれとも遠いのか、距離感が狂う。敵の気配を掴むためには、この小さな音は邪魔だった。鼓膜の振動を振り払うため無意識に頭を動かしたくなる。
伊佐那海が恐々と二人の名を呼ぶ。蜘蛛の糸に捕らえられている彼女は不安定な姿勢で佐助達を見ていた。伊佐那海が悲しめば「闇」が生まれてしまう。辺り一面を黒で覆い、万物を朽ちさせる闇が。それだけはさせない。

「案ずるな!!
某と佐助がすぐ助けてやるぞ!!」
「応!!
無問題!!」

佐助と十蔵が声を張り上げた。敵を退け、伊佐那海を助けるという決意の炎が点る。まなこを細め、敵の動きに意識を集中させる。辺りを飛び交う虫の群れをかき分け蜘蛛が襲い掛かってきた。前脚を地面に突き刺す攻撃を高い跳躍で避ける。伊佐那海を救い出すため灰桜の背後へ回り込もうとするが、それを阻むように虫が集まり佐助の視界を埋め尽くした。黒い影の中からくのいちの足が迫る。身体を反転させて体術をかわした佐助は反対にその脛を蹴るように弾いた。体勢を整えて苦無を手に飛び込めば、女も胸元から刀を出して応戦する。ぶつかり合い軋む刃。佐助が苦無を切り返して斬り掛かる。しかし、目の前に飛んできた虫に気を取られほんの僅かな躊躇が生まれた。間合いを取る彼に灰桜が余裕の表情で笑う。

「あの小娘には近づけませんわ!!」

着地した足先をざらりと動かす。梵字が描かれた地面はみるみるうちに盛り上がり、無数の卵が生まれ出た。灰桜の呼号で卵は蟷螂の成虫へと孵化する。伊賀亜流操蟲術、千極蟷螂。巨大な鎌を持ち素早く動く蟷螂はまるで兵士のようである。十蔵が火縄を構えた。的を外さない狙撃で蟷螂の頭を、腹を撃ち前線を一掃する。その様子を見ていた灰桜が憮然とした表情で呟いた。

「あら。
意外にやりますわね」
「───伊佐那海、解放せ!!」

そこに佐助が音もなく降り立った。背中を取り首元に苦無の刃先を宛がう。穏やかそうな顔を歪め脅しにかかる彼に、灰桜は可笑しそうに喉の奥で笑った。

「お戯れを。
捕らえた獲物を手放す蜘蛛がおりますの?」

佐助の気迫が増す。苦無を持つ腕に力を込める。離す気がないのなら、今すぐ殺すのみ。青白い首の皮が裂け、漸く灰桜が焦りの声を上げる。しかしそれも束の間、彼女は素早い動作で背後をぐるりと振り返った。突然のことに佐助の反応が遅れる。唇に感じる生暖かい感触に、彼は自分が灰桜に口付けられていることを知った。

( 20120918 )

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