幸村が淹れた茶は、温く、渋味が強かった。
湯呑から口を離した才蔵は苦いとばかりに舌を出す。看病を続けていた六郎は漸く熱が下がったところだった。右眼を潰したことに加え伊賀の毒が全身に回ったため、回復が遅れていた。幸村の憂うる横顔を才蔵はそっと盗み見る。横たわる小姓を案ずる表情。上田城はここのところ静まり返っていた。普段騒がしい者達が大人しくしているからだろう。余りに煩いと苛つきが増すが、静か過ぎても逆に落ち着かない。

「そういや伊佐那海は?」

大人しいと言うよりすっかり塞ぎ込んでいる伊佐那海の所在を才蔵は問うた。いつもなら彼の傍を離れずにいるか、姿が見えなくとも明るい声だけで居場所がわかるのだが。煙管に火を点けた幸村からは町へ行っているという答えが返ってくる。

「城の中に籠ってばかりでは気も滅入ろう、筧と佐助が一緒におるから大丈夫だ」
「───そのことです兄上!!」
「薫!?」

幸村の言葉を才蔵が疑った瞬間、すぱん、と部屋の襖が開かれた。突然のことに幸村は煙を吸い噎せかける。鮮やかな花緑青で帯を締めた薫が早足で兄へと近付いた。目を丸くする才蔵の隣に淑やかな仕草で腰を下ろす。

「筧と佐助に伊佐那海を任せるなど何を考えておいでです?
私も一緒に参ります、心配で仕方がありません」

薫の口調は幸村を咎めているようで三人に不安を抱いているようでもあった。伊佐那海を慮る気持ちと、あの二大不器用人では心許ないという思いなら才蔵にもよくわかる。兎も角同行することを決定事項として伝える彼女に、幸村は喉の奥で笑った。

「心配性だのう。」
「………」

勿論伊佐那海のことは気がかりである。しかし、自分の預かり知らないところで佐助が彼女と城下へ行くよう言い含めていたことが気になるのだろう。薫が幸村を睨み付ける。それを受け流した兄は立ち上がり、部屋の飾り棚から小さく細長い包みを取り出した。六郎らしい濃藍の布に薫は瞳を揺らす。中身が何なのか図りかねる才蔵は首を捻った。

「三人と合流するのは構わんが、これを持って行くといい。
何かの役に立つかもしれん」
「…!!」

包みを受け取った彼女は幸村をじっと見上げた後、六郎に視線を移した。未だ意識の戻らない彼へ向けられる表情には拗ねたような色はなく、優しさといとおしさが含まれている。手の中のものをぐっと握り締め、薫は力強く頷いた。



61



───困った。上田城下の外れにて佐助は焦っていた。先程薫に食事処にいるよう言われたにも関わらず、食欲が湧かないと言って伊佐那海は早々に店を出てしまった。ふらりと歩き草叢に腰掛ける彼女は十蔵が買ってきた菓子にすら見向きもしない。物思いに耽る伊佐那海に佐助まで浮かない気持ちになる。しかし遂に十蔵に目で訴えられ、彼のこめかみに汗が浮かんだ。
雑貨屋、大通りから外れた民家の庭、猫の溜まり場。薫と伊佐那海が行く場所は佐助も知っているし、今三人でいるここも何度か訪れている。自分達を探して彷徨う姫君を迎えに行きたいが、この場から逃げることを躊躇ってしまう。薫が来るからもう少しここにいようと言うのも伊佐那海を持て余しているようで何か違う気がする。佐助は意を決して口を開いた。

「伊佐那海…───森、行く?」

ちょうど鹿が出産を終え、気が立っているのが落ち着いた頃だった。可愛らしい子鹿を見れば少しは笑顔を取り戻すかもしれないし、何より薫も城を囲む森を歩けば嫌なことがあっても機嫌を直していた。しかし指同士を合わせ顔色を窺う佐助の期待に反して、伊佐那海は小さく首を振る。のろのろと立ち上がり更に城から離れた方角へと進む。

「ふたりとも先帰ってていいよ?」
「…え…でも…」

戸惑う佐助を置いて背丈の低い草をかき分ける伊佐那海。そんなに気を使わなくていいのにと思う。鹿の赤子だって薫に一番に見せたかっただろうに。自分が闇に覆われた存在だとわかった以上仕方がないにしても、腫れ物に触れるような態度が苦しい。皆と一緒に居づらい。かと言って放っておかれたらきっと辛いのだろう。我儘な自分が嫌になる。
新緑が瞼の裏まで光を運んでくる。己とは対極にある眩しさに伊佐那海は深く俯こうとした。すると、ふと視界の端を二匹の蝶が横切った。夜の始まりを思わせる青い羽に彼女は目を奪われる。

「───きれい」

蝶を追って伊佐那海は歩みを早めた。どこからやって来るのか、青色がみるみるうちに増えていく。踊るように舞う蝶に誘われ、彼女の姿が遠ざかる。無数の羽が伊佐那海を覆い隠そうとする。

「!!」

彼女の様子を見ていた佐助が駆け出した。いくらなんでも何かがおかしい。地を強く蹴り伊佐那海に近寄ろうとすれば、それを阻もうとするのか蝶の大群が一斉に彼へと纏わり付いた。視界が青一色に染まり、羽が肌を打つ。花の蜜に集まるが如き動きに呼吸すらままならない。群れを掻き分け佐助が辺りを見回すと、伊佐那海と十蔵も同様に蝶の襲撃を受けていた。

「きゃあ!!」
「伊佐那海!?」
「…っっ!!」

首筋がざわりと粟立つ。敵襲への警戒心が俄に強まる。蝶が一匹、また一匹と佐助達から離れ始めた。鱗粉を零しながらある一点へ集まっていく。目を凝らすと、羽音に混じり低い笑い声が聞こえてきた。得体の知れない大きな影の傍に女が立っている。

「かかった虫が3匹」

蝶が辺りをふわりふわりと舞う。しかし女が従えていた影が巨大な蜘蛛だと悟った瞬間、佐助の頬が強張った。気味が悪く、また悍ましい。そして女の後ろには、その蜘蛛が吐き出した糸に捕らえられた伊佐那海がいた。

「あいまみえるのを楽しみにしておりましたわ」

目を細め笑う女は───伊賀異形五人衆、灰桜と名乗った。

( 20120915 )

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