「───誰か!!
誰か早く来て!!」

大きく息を吸った薫は屋敷の方角を振り返り叫んだ。その声は落ち着き払っているようにも聞こえる。次いで羽織を脱ぎ伊佐那海へと急ぎ近寄る。ばさり、肩に若紫色を掛けた後彼女は佐助の元へ駆け寄った。氷塊を伝う血液。無事だったことにほっとしながらも縋るように手を伸ばす。

「…薫、」
「姫様、佐助!!
これは………っ、お下がりください!!」

草をかき分ける足音を立て、真っ先に十蔵が走って来た。彼は異様な光景に目を瞠りつつ火縄銃の銃把で氷を砕く。その後ろから顰め面の甚八も姿を現した。清海が伊佐那海を慰めようと狼狽えている。彼女が泣き止む様子はなく、薫まで涙が出そうになる。しかしばき、という大きな音に我に返った。佐助が氷から解放され地面に膝を着く。直ぐ様彼女は冷え切った身体を抱き締めた。

「佐助………!!」
「薫!?」

活動を停止しかけていた佐助の心臓が動きを速めた。急な鼓動の変化に苦しくなる。温度を与えるために肌を手で摩り、傷口を動かさないよう両手を取り息を吹きかける。薫の吐息が震えていた。佐助に体温を奪われる一方なことに加え、先の光景は恐ろしいものだっただろう。気丈な彼女に益々胸が痛む。

「なにごとかと来てみればこれは伊佐那海の…」

呆然と呟いた十蔵に佐助が頷く。すると離れた場所にしゃがんでいた甚八が彼らを呼んだ。六郎の身体に苦無の毒が回っている。全身が痙攣し呼吸がままならない。佐助が解毒のため立とうとする。しかし弱っている彼に任せることを十蔵が躊躇った。

「しかし佐助、その傷では…───才蔵は!?
あやつはなにをしている!?」
「奴は今曲者を追っておる」

輪の外から声が上がる。険しい表情の幸村が一同を見下ろしていた。羽織を脱ぎ、横たわる六郎に掛けてやる。薫は兄の発した"曲者"という単語に深く俯いた。何とか立ち上がった佐助の足元に彼女はぺたりと座り込んでいる。

「皆、とりあえず城へ入れ。
佐助、湯を沸かそう───早く身体を温めよ」
「否!!
我も追う!!
才蔵と、ともに!!」
「───駄目!!」

幸村の言葉に頭を振りアナスタシアを追おうとする佐助。しかしそれを薫が鋭い声で制した。若草色の忍装束を小さな手が握り締める。はっとしたように佐助が彼女を見れば、眉根を寄せ泣きそうな顔が真っ直ぐ向けられていた。

「佐助は自分の手当てが先!!
今無茶したら駄目!!」
「…薫、されど…」
「………っお願い………」

青白い頬が月の光に照らされる。やるべきことがわかっている表情。今にも消え入りそうな薫の願いが佐助に肩の痛みを思い出させた。戸惑う彼に幸村が頷く。

「今のお前では足手まといだ、おとなしくワシの言うことを聞け」

手負いの身体でどこまで闘えるか自分でもわからない。しかし二人にそう言われると己が忍ですらなくなったような気持ちになる。佐助は視線を落とし、どこか悲しそうに命を諾した。



58



天岩戸のようだ。天照大神が須佐之男命の暴挙に怒り洞窟に隠れたという神話。伊佐那海が篭っている部屋はさしずめ天岩戸であると薫は思う。そして彼女はその部屋の前に座っていた。
一人でいることは非常に心細い、薫はそれをよく知っていた。だから彼女は伊佐那海が出てくるまで待つつもりだった。自分のためにも、そして彼女のためにも。二人についているよう幸村に言われた弁丸はすっかり怯えてしまい、仕方なしに薫が「皆と一緒にいていいよ」と伝えていた。

「………」

伊佐那海を部屋から出す方法はないかと彼女は考える。しかし鏡や勾玉がある筈もなく、また薫は天宇受売命のように踊れない。それに今は楽しく笛を演奏する気にもなれなかった。六郎に篠笛の進捗を聞きそびれていたと考えながら薫は再度神話の内容を記憶から引き出す。
天照大神が天岩戸から出て来なくなったが故、世界は闇に包まれ昼夜の境目もつかなくなった───先程の爆発するような闇は何だったのか。伊佐那海と近い位置にいた薫には、力の中心にいたのが彼女だったように見えた。そしてもう一つ、あの時薫の内側で動くものがあったことも気になる点である。奇魂に反応し、まるで何かがこみ上げてくるような、表現し難い感覚。思わず彼女は胃の辺りを手でそっと押さえる。その時、目の前の襖がゆっくりと開かれた。

「伊佐那海!!」
「…薫…」

互いの名を呼んだきり二人は無言で向き合った。薫は焦り立ち上がって伊佐那海の俯く顔を覗き込む。腫れた瞼が痛々しい。沈黙に堪えきれず彼女は口を開いた。

「…きっと、何か理由があったんだと思う」

アナスタシアの離反は。自らに言い聞かせるような薫の口調に伊佐那海は小さく頷く。彼女達にとって心強い存在だったくのいちがどうしてこうなってしまったのか。わからないことが多過ぎる。

「もしかしたら兄上が知ってるかもしれないし、…佐助と六郎が無事か、確かめに行かない?」
「………うん」

伊佐那海の首肯に薫はひとまずよかったと安堵した。若紫色の上掛けを羽織ったままの彼女の手を取ろうとする。しかし。

「───触らないで」

温度のない声に薫は弾かれたように動きを止めた。明らかな拒絶。少しの間の後、彼女は指先を自身の方へ戻す。ふと伊佐那海の手を見ると、痣のような黒ずみが広がっていた。表情を無くした薫にごめんと囁き伊佐那海が歩き出す。慌てて彼女も半歩後ろに続いた。手を見た瞬間薫の肌が粟立ったことに伊佐那海が気付いたのか。俯いた表情からは伺えなかった。

( 20120905 )

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