難攻不落と言われる上田城に正門から堂々と足を踏み入れた霧隠才蔵は、忍故の習慣か辺りを見回しながら奥の間へと歩いていた。巧妙に何度も角を曲がらせる屋敷の作りに、天井裏からうっすらと感じる忍の気配。途切れることのないそれは頭である猿飛佐助の人員配置の仕方がいいのだろう。思わず舌打ちしたい衝動に駆られる。
通された部屋は謁見の間だった。一段高い上座に座布団が敷かれている。伊佐那海は部屋の真中にぺたりと座ったが、念の為才蔵は後方の柱に凭れて立つことにした。そう言えば道中散々騒がしかった巫女が城に入り込んでからずっと押し黙ったままだということに気付く。
間もなくして「失礼いたします」という声と共に襖がゆっくりと開けられた。高めの柔らかい声。聞き覚えのあるそれに才蔵が顔を上げると、部屋へ入ってきたのはやはり先刻森で出会った女だった。

「お茶をお持ちしました」

女は侍女を従え伊佐那海の正面へ座した。彼女に茶を差し出し、次いで才蔵の立っている場所から五歩程離れたところに湯呑をとんと置く。長い髪は丁寧に櫛が入れられていた。蒲公英色の振袖に薄青の打掛で表す枯野。高い身分の者だろうか。才蔵が冷静に分析していると、すっと彼女が床に両手をつく。寸分の隙もない動作に俯いていた伊佐那海も顔を上げた。

「申し遅れました、信州上田を治めております真田幸村が妹、薫にございます」

妹。才蔵は目を瞠った。伏せられた顔は部屋を灯す蝋燭により陰影が色濃く見える。気品に溢れ、周囲の愛情を一心に受け、───それでいて世間を知らなさそう。才蔵が想像していた姫君そのものだった。驚きで薫をまじまじと見る伊佐那海に彼女は優しく微笑みかける。

「兄はもうすぐこちらへ参ります。
それまでに傷の手当てを───初、」

初、と呼ばれた侍女が薬箱を開ける。微かに感じる薬草の匂い。薫はてきぱきと伊佐那海の怪我を検分し、湯で拭い、薬を塗り、深いものには布を当てる。姫にしては労を惜しまないものだと才蔵は僅かばかり感心した。手当てを終えた薫は伊佐那海に名を尋ねている。

「…伊佐那海、こっちは才蔵。
…あの、ありがとう」

薫は気にするなと言うように頬を緩め、才蔵へと視線を移した。微動だにしていないため湯呑も手付かずのままだった。才蔵は彼女に悟られないよう眉を顰める。無遠慮な目が居た堪れない。じいっとその姿を見つめてから薫が口を開いた。

「毒は入ってませんよ?」
「………」

茶など飲んでくつろぐつもりなど才蔵にはない。ここの城主、真田幸村とやらを見たらさっさと帰るつもりだった。居心地の悪さに彼が身を揺すると、部屋の外からどかどかと足音が聞こえてきた。

「オイオイ厄介ごとじゃねえだろうな、なんで俺名指し!?」
「───若!!」

薫が一つ息を吐き部屋の左手へ控える。もう少し静かに歩けないものか。そうしてすぱん、と勢い良く開いた襖から姿を覗かせた人物は、才蔵の予想とは大きく異なっていた。

「薫!!
ちゃんと毒入りの茶ぁ出したかー?」
「何を仰るんですか兄上!?」
「若!!」

口が悪い。柄も悪い。がっしりとした身体つきに無精髭。殿様なのだからもっと威厳があるのかと思いきや、早速笑えない冗談で妹と供の者を焦らせている。果たして本当に薫との血の繋がりはあるのか───否、恐らく彼女が兄をよく見て育ったのだと才蔵は思い直すことにした。



04



危ういことには首をつっこまない性質だ、と言い放った自らの兄に薫は身体を強張らせた。こんなに事なかれ主義だったとは信じられない。伊佐那海が目に涙を溜め食い下がるが、幸村は六郎に部屋の支度をするよう命じ謁見の間を出てしまった。紅葉の羽織が翻る。たん、と襖が滑る音がして数瞬、我に返った彼女は慌てて立ち上がった。

「兄上!?
ごめんなさい伊佐那海、…お待ちください兄上!!」
「薫様!!」

薫、続いて初が部屋を出た。早足だろうと幸村のように大きな足音が立つことはない。角を曲がったところで兄の後姿を捉えた彼女は深く息を吸い訴えかける。

「あんまりです!!
あんなに傷を作って遥々出雲から兄上を頼って来たのですよ!!
それをあのようにあしらうとは何事ですか!?」

先程部屋で聞いた伊佐那海の話は武士の家に生まれた薫の想像をも超えていた。凄惨で、あまりにも過酷な経験。あの悲痛な表情が嘘な訳がないし、森の中で初めて会った時の不安そうな目が敵ではないことを物語っていた。だからこそ、薫は彼女を上田城に招き入れたというのに。
幸村は妹の叫びを聞き流し寝所へ入ってしまった。そのまま布団まで押し掛けてやろうかと勇んだ薫の前に六郎が立ちふさがる。幸村の背後を歩いていた彼が部屋の前でくるりと振り返ったのだった。

「…六郎…!!」
「薫様、お収めください」
「でも!!」

至極落ち着いた様子の六郎が薫を諌める。彼女は兄への怒りと失望で顔を紅潮させていた。あんなに困っている者を何故助けない。しかし、涼やかな左眼に見下ろされ薫の呼吸が次第にゆったりとしたものになっていく。

「若も何かお考えがあるのでしょう。
大丈夫ですよ」

六郎が薫の髪に手を当てる。ぽんぽん、と柔い力で頭頂部を叩き、真っ直ぐに伸びた髪を一筋梳く。真田の姫である薫の頭を気軽に撫でられる者など数限られている。六郎にそのように言われたら彼女も口をつぐむしかない。しかしこの小姓の言葉や掌には何か不思議な力があるのか、本当に兄が何とかしてくれるのではないかという期待が薫の中に芽生えるのだった。渋々頷いた姫君に、六郎は隻眼を細めた。
かくして六郎の言った通り、伊佐那海と才蔵は揃って上田城へ招かれることとなる。

( 20120214 )

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