神職の家に生まれた。姉に育てられながら、剣術や教養を磨いた。幼い頃から楽に親しみ、特に得手としているものは竜笛。小姓として城仕えを始め、今の主君は二代目にあたる。時に主を名乗り死線を潜り抜け、時に突っ走りがちな主の代わりに策を巡らせる。刺客を放ち、尚且つ自ら敵地へ赴くことも厭わない。奥州伊達家軍師にして、智将。───彼の名を、片倉小十郎景綱という。
地面の感覚が遠い。琵琶の湖が跳ね返す光が薫の背に当たる。見えているわけではないが鮮烈に感じる朝日。彼女の目は黒衣へと真っ直ぐ向けられていた。何故、自分はここで景と相対しているのか。心臓が早鐘を打ち鳴らす。ただの上田の住人として彼とは接した筈なのに、これでは真田幸村と近しい者だと嫌でも知られてしまう。ただならぬ空気を感じ取った伊佐那海が恐る恐る問うた。

「薫?
…知り合い?」
「、」
「───薫?」

耳聡くそれを聞き付けた政宗が首を捻る。路考茶色の長い髪に細い四肢。華やかで上質な着物。獲物を頭にあしらった女童から薫へと視線を動かした彼は、唇の片端をゆっくり持ち上げた。真田幸村には兄と妹がいると聞いている。兄は伊豆守信幸、そして妹は父昌幸と次兄のいる上田城で暮らしている、と。蒼白した表情で佇む彼女の名は───真田、薫。
幸村が小さく眉を動かす。伊佐那海のたった一言で相手が真実を知ったとわかったのだろう。案の定政宗の喉がくっと音を立てた。抑えた笑みがいつしか高笑いに変わり、周囲に響き渡る。

「よくやった小十郎、確かにお前は"真田を堕とした"!!」

上田から帰ってきた家臣に違和感を覚えた理由。薫との間に何らかの交流があったことなら一目瞭然である。正体を隠した上で近付き利用したか、或いは本気で恋に落ちたか。それはこの際どちらでもいい。兎も角真田幸村を揺さぶる足掛かりとして十分な材料と判断した政宗は涙を浮かべて背後を振り返った。景───小十郎は只管押し黙る。黒の羽織袴は陽光を存分に吸い込んでも尚、暗く、そして重々しい。



51



ぐらぐらと、頭の芯が痺れる。眩暈がする。
疑うことなど考えもしなかった。悪い人ではないと信じ切っていた。湖に溺れているかのように、薫の呼吸が苦しくなる。素晴らしい笛を披露してくれた。旅の話を聞かせてくれて、背中を押してくれた。上田を、兄の政を褒めてくれた。景のお陰で、彼女は今ここにいる。それなのに、元より彼等の関係は偽りによって成り立っていたと思い知らされる。

「…景は、私を騙してたの…?」
「違う青葉、これは…」
「おい薫」

二人だけで通じる名を呼び合う薫と小十郎を政宗が制した。震える詰問とあえぐ弁明。状況を飲み込めていない勇士達を他所に、一人この場面を楽しんでいる。幸村に似た面影を持ちながらも美しい薫が混乱する様は愉悦であるし、それにより幸村も少なからず動揺しているだろう。わざわざ上洛へ"同行させる"程可愛い妹を使い、政宗は好敵手を追い詰めようとしていた。

「薫、奥州に来い」
「!!」
「奇魂とお前、まとめて面倒見てやっからよ」
「な───」
「薫だって好きな男の元にいてぇだろーが」

かっ、と薫の目の前が赤く染まった。口吸いの感触が蘇る。あの夜の曖昧な記憶。相手は小十郎と決まっているわけではないのに、頬が熱くなる。湖が、薫のまなこがゆらゆらと揺れる。政宗は隻眼を細めた。その表情は彼女の心の内なら全てお見通しだと言わんばかりものである。

「小十郎も悪い話じゃねえだろ?」
「…殿…」

政宗にちらと振り返られた小十郎は眉間に皺を寄せた。己が奥州の者と知られる日がいずれ来ると思っていた。奏でた笛も捧げた花も竜の名を冠するものであり、無意識に発していたサインだったのかもしれない。そもそも真田幸村が治める土地にて知り合ったおなごだ、相容れない立場にあることなど端からわかっていた筈なのに。よりによって予感が的中するとは───青葉、つまり薫が幸村の妹である事実を突きつけられた小十郎は衝撃でその場に立ち竦んだ。鋭い眼光が地面に落ちる影へと向けられる。薫の身体を花魁草が不釣り合いな程艶やかに彩っていた。いっそのこと彼女が真田の家系ではなく花街の人間であれば─一番はじめに抱いた疑惑の通り─容易く奥州まで引っ攫えたのに。羞恥を顕にする薫に腹の底が疼く。絶望の中に沈む甘美。
立っているのもやっとといった様子の薫に六郎が腕を伸ばす。背中に手を添え身体を支えてやる。その横で伊佐那海が目付きを鋭くした。あらゆるものを奪おうとする強欲な竜はゆるりと唇を舐める。

「なにも知らずに手を出しおって、愚かな男よ」

落ち着き払った声が場に満ちた。薫と小十郎を遮るかのように幸村の長い腕が伸びる。同時に伊佐那海を自らの元に引き寄せた。政宗に対して奇魂を見せつけるように、しかし妹は秘し隠すかのように。

「こやつはお前が考えておる程甘くはない。
奥州の者に御せるとはとても思えぬのう」
「兄上…」
「これらの宝、お前ごときの手には余る───しかももともとウチのモンだ。
…盗っ人猛々しいな、政宗」

ざらりと顎を摩る。余裕に溢れる幸村の表情。勝手に城を抜け出し上洛へ"着いて来た"妹を、政宗が思い通り利用出来るとは到底思えない。何の感情の起伏も見られない幸村に対し、盗人と称された男が歯噛みしながら目の前を睨み付けた。

( 20120805 )

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