森の中を駆ける。目指す場所などなく、ただ只管に。
佐助が薫を好きだと指摘したアナスタシアはこう続けた。あなたが彼女を守りたいと思う気持ちは、忍が姫君へ抱くものではない。

「…ならば、何」
「決まってるじゃない、恋うた女の為なら何でもする愚かな男心よ」

固い声で問う佐助をアナスタシアは鼻で笑った。やはり悟っていなかったのかと鈍感な忍をじとりと見る。恋、と聞いた彼の頬がじわりと色付いた。羞恥からか、それとも怒りからか。

「否、薫…真田の姫。
我が守る、存在」
「なら幸村様は?
幸村様が上田を離れても止めはしないでしょう?」

幸村が京───徳川の待ち受ける場所へ赴くと決まった時も案じはした。しかし主の上洛は茶会への招きに応じたものであるし、佐助はじっと帰りを待つしかない。否定する声が上擦り始める。アナスタシアは悠然と目を細めた。

「されど、薫はおなご、戦う術、無…」
「あら、伊佐那海だって女の子よ。」

薫と同じく武器を持たない伊佐那海を持ち出され佐助がぐっと詰まる。出雲巫女が京へ行くことは良くて、薫に関しては何故不満なのか。それは伊佐那海には才蔵がいるからと慌てて反論しようとし、───しかし彼はすぐに愕然とした。最早アナスタシアの誘導は必要なかった。伊佐那海に才蔵がいるように、"薫には自分がいる"と言おうとしたことに惑乱する。常に薫の傍には佐助がいて、佐助の手の届く距離に薫がいる、望んだ光景が眼前にはっきり浮かぶ。幸村とも伊佐那海とも、誰とも違う、特別な存在。言葉を失う彼にアナスタシアはふうと表情を和らげた。詭弁と言われなくてよかったという安堵は戸惑う佐助に読まれていない。

「あなたのその気持ちは恋だと思うわ、佐助」

緩い坂に生える木々の上を佐助は飛ぶように進む。頭の中で繰り返されるアナスタシアの声を置き去りにしたいと速度を上げた。ありえない。しかし、不安な思いが拭えないことも事実である。眼下のけもの道が途切れる。肺がびりりとした痛みを訴えていた。降り立った草叢はいつか彼女が微睡んでいた場所だった。乱れた呼吸を整えるように佐助は深く息を吸う。
薫の笑顔を見たいと願ったことを思い出す。もう一度。何度でも。しかし、上田のどこを探しても彼女はいない。今薫に何かあったとしても、この手で守ることが出来ない。そのことを思うと、佐助は酸素を失ってしまったかのように苦しくなる。彼女の傍にいることがの佐助にとっての当たり前の光景であり、幸せでもある。だから、離れていかないでほしい。いっそ薫を閉じ込めてしまいたいとすら思うこの感情は、忍が姫に抱くものではないと彼も薄々気が付いている。
柔らかい光が辺りを照らす。背の低い野草を踏み締める草履。葉擦れの音が耐えず鳴る。佐助がいくらありえないと自身に言い聞かせても、彼の中の芽吹は随分と前から始まっていた。春の訪れを喜ぶ森の真中に、彼は一人立ち尽くした。



48



六人分の飲食代は、薄給の身には非常に苦しい。
伊佐那海や才蔵が競うように茶屋を出た後、壱丸は怒る弐虎を宥めながら会計を済ませた。財布の中身は寂しくなったが踊り子の可愛らしい笑顔を見たのだからと自らを納得させる。店を出ると微かに笛の音が風に運ばれ聞こえてきた。どこかで誰かが演奏しているのだろうか。通りを左右に見渡した彼は踊り子が走る姿を視界に捉える。

「!!」
「あ、おい壱丸!?」

気になって後を追う。ふたつ先の十字路に出来た人集りへ。弐虎も苦々しい顔で後に続いた。笛の音がどんどん近付く。真田の人間達はこの演奏に導かれ足を動かしているようだった。高く鋭い音色は奥州でも聴いたことがあったが、壱丸にとっては初めて聴く曲である。優しく伸びやかな音に耳を傾ける。皮膚を一枚一枚剥がされる感覚に似た、痛いようでむず痒い旋律。しかし、隠者である壱丸ですら漸く気付けた小さな音を茶屋にいながら聞いたのだとしたら相当な聴力の持ち主である。彼が感嘆している間にも踊り子は人の輪に迷うことなく突っ込んだ。

「薫ー!!」

音が途切れる。大声にぎょっとした町民が一様に身を退き、彼女に道を開けた。難なく人をかき分け集まりの中心へ向かう。そこには黒塗りの横笛を握り締めた袴姿の人物がいた。一緒に輪の中へ行くわけにもいかず壱丸は群衆に紛れて様子を窺う。紫苑色に結ばれた長い髪。大きな瞳と色付いた唇、"男"にしては低身長だと思う。

「伊佐那海!?」
「やっと見つけた!!
どこにいたのー!?」
「えっいやそれはこっちが言いた、」

薫と呼ばれた楽人の腕を親しげに引っ張る踊り子。相手が高い声で狼狽えると、彼女に追いついた真田の忍が路考茶色の頭を小突いた。「目立つようなことしてんじゃねーよ」という小言に肩を竦めて詫びている。僧侶と赤髪も加わったところで薫は笛を傍にいた者に手渡した。借り物の楽器だったらしい。尻切れとんぼの演奏だったが惜しみない拍手が贈られる。四方に礼をした楽人は踊り子に手を引かれて輪の外へ出ようとした。民に混じった壱丸のすぐ横を通り過ぎる直前、何時の間にか彼の背後に立っていた弐虎が囁く。

「あの笛吹いてた女、上田で見たな」
「え、そうなの弐虎………女!?」

驚き相方を振り返り、憮然とした─真田の忍への怒りは収まっていないらしい─首肯に彼女達を再度見る。長い睫毛に紅潮した頬、言われてみれば確かに男装したおなごのように見える。あの声は変声前のものではなかったのか。左右に揺れる髪の間からほそりとした項が覗く。演奏者がいなくなったことにより人集りもばらばらと散り始めた。壱丸はその場に立ったまま彼らの後姿をじっと見る。踊り子と手を繋ぎ楽しげに笑う薫の横顔。その表情や雰囲気は上田で相対した───真田幸村に、どこか似ているような気がした。

( 20120714 )

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