もっと速く走れと馬の背中を蹴る人物に、手綱の握り手はびくりと肩を竦ませた。それらの刺激で美しい栗毛の走りが常歩から速歩へと変化する。ふらつく体勢を整えながら、薫は鞍の縁に器用に立つ鎌之介を振り返った。

「ちょっと…清海は徒歩なんだから、あまり急いだら大変じゃ」
「あ?」
「…いや、もういい」

鋭い目付き。肩に添えられている手にぎりぎりと力が篭る。はじめ薫だけが跨っていた牝馬には、いつからか鎌之介までもが乗っていた。踵を浮かせては落とす彼に薫は頭を振る。これ以上言えば馬諸共吹き飛ばされるだろう。前を向きざまに確認した清海─馬に乗れる体格ではないためここまでずっと自らの足で歩いている─の呼吸はやはり上がっている。
奇妙な取り合わせの三人の旅は目まぐるしくも存外平穏なものとなった。信州上田を出て数日、馬の通れる舗装された道を選んでいるからか賊には一度も遭っていない。物足りなさそうな鎌之介と道に明るい清海とは順調に行程を進んでいた。しかし彼らは先に旅立った者達に追いつきたいとばかりに走り、馬を急かし、そして薫を脅すこともしばしばあった。彼女としては京への道をゆっくりと踏みしめ、幸村達との合流はその後からでもいいと思っているのだが。己が歩いていようが誰も驚いたり恭しい態度を取ることのない、初めて訪れる町。誰一人自分を真田の姫だと認識していない、不思議な感覚。時折吹く風は自由を祝福するものかもしれないし、寂しさから出来た心の隙間を埋めるものかもしれない。鎌之介が鬱陶しそうに舌打ちした。

「んなこと言ってたら才蔵達に追いつけねぇだろーが!!
飛ばすぜ飛ばすぜ!!」
「わ、わー!?」
「…何をしておる…」

がすがすと鞍の上で跳ねる鎌之介と慌てて手綱を引く薫の所為で馬が惑い始めた。武家の娘として彼女は乗馬を嗜んでいたものの、長旅となるとまだその腕は心許ない。地面に敷かれた砂利が蹄に合わせて不規則な音を立てる。清海が呆れた目で足取りを速めた。
鎌之介は元は山賊であり、清海は伊佐那海を探して各地を旅していた。それに比べて薫は上田の外に出る機会はこれが初めてである。不慣れなことの連続でともすれば足手まといになりかねない彼女だが、何だかんだで二人が姫君を置いていくことはない。薫としても彼らがいることが頼もしく、旅の仲間と認識してくれて嬉しかった。城から連れてきた馬を漸く宥めて彼女は安堵の息を吐く。深呼吸をすればどこか上田とは違う匂いがする。鬱蒼と生えている木々の中を誰かが駆けてはいないか、思わず辺りを見回した自身に薫は心の中で苦笑した。



43



───それを求めるならば旅に出るといい。あなたは、籠の中の鳥ではないでしょう?
城下で会った黒衣の男の言葉が薫の鼓膜に蘇る。閉じ込められているという感覚はなかった。上田の中であれば彼女は自由に行き来出来たし、幸村も咎めはしない。しかし兄は京へ行くことを許しはせず、奇魂を持つ伊佐那海や才蔵、鎌之介や清海といった者達を手元に置いている。その意図が薫にはさっぱりわからない。彼女には知りたいことが多過ぎる。幸村の思惑も、外の世界も。景の話によりそれは顕著なものとなった。日の本各地の様子を聞き、自らの目でそれを見てみたいと思う気持ちが膨らんだ。様々なものが集まる都へは是非とも行ってみたいし、徳川のいるだろう京にわざわざ伊佐那海を連れて行く幸村の真意も少しは掴めるかもしれない。しかし兄が鍵を易々と開ける筈がない───ならば、内側からこじ開けるまでである。そうして薫は絶対的な番人の目を掻い潜り籠の外へと出たのだった。

「………」

薫に何かあったらどうしていいかわからない。以前佐助はそう言って喉を震わせた。力強い腕に包まれた夕暮れのことを彼女は思い出す。京行きを公言したら佐助は真っ先に反対しただろう。故に、薫はアナスタシアに城を出る手引きを頼んだのだった。忍隊とは一線を画している彼女ならばという読みは当たり、三人は何人にも見つかることなく発つことが叶った。
しかし、京を目指すことで同時にタイミングを逃したと薫は思ってもいる。佐助を叩いたことへの詫びも、刺客から守ってくれたことと贈物の香への礼も言えていない。この旅を終えて上田に戻れば彼は間違いなく怒っている筈である。そうなれば最早何をどう切り出せばいいのかわからない。意固地になっては後々大変だという十蔵の言が今ならわかる。上田を出てから今日まで、佐助を思うと薫はいつも溜息を吐きたくなる。
常歩で道なりに進むこと暫く、三人の視界に町が見えてきた。大きな集落には簡素な門が設けられており、その前には見張り兵が立っている。

「そろそろ昼食にするか」
「おう、腹減った」

鎌之介と清海のやりとりを聞きながら薫はじっと考え込む。果たしてこのペースだと幸村達との距離はどれだけ縮められているのだろうか。手綱を繰り門の前で馬の足並みを止めた彼女に清海が不思議そうに声を掛ける。訝しげにじろじろと視線を向ける兵卒を薫は真っ直ぐ見返した。

「最近旅人が来なかった?」
「何?」

大柄の男に隻眼、黒ずくめと女の子。それを聞く以前に見張りの男の眉間に皺が寄る。この三人は一体どういった取り合わせなのか。厳つい修行僧に睨みを利かせる赤髪。唯一人の良さそうな者の高い声に彼は戸惑う。薫の的確な説明から男が該当の旅人を思い出すまでに時間は掛からなかった。しかしついさっきここを通り過ぎた者達だと認識してすぐ、見張り兵は顔を顰めて言い淀む。彼女のまなこが剣呑さを帯びた。凛とした榛色が真っ直ぐ男を射抜く。

「───言いなさい」
「…あ、いや、………その…多分、峠の方角に向かった方々だと思うんですが…」
「…峠?」
「あの辺りは近くに住む童が洒落にならない悪戯を仕掛けておって、この町で峠へ行くよう声を掛けとるんですよ。
火薬を用いたり落とし穴から何からとまぁ実に性格の悪い小僧でして、」

鋭い眼に操られるかのように口を開いた男だが、三人の表情がさっと変わったことで言葉を途切らせた。修行僧はぶるぶる身体を震わせ、赤髪はどこか楽しげににやりと笑う。紺青の衣を纏った者は口元を引き結び険しい顔となった。穏やかな雰囲気の持ち主だが、どこか人を従わせるような覇気を孕んでいるようにも見える。

「こうしてはおれぬ、もしや伊佐那海が…!!」
「おいバカ女、飯は後だ」
「だね。」

清海が踵を返したのに続き薫も馬首を巡らせる。鐙に掛けていた足で腹を締めれば馬もそれに応え走りを速める。襲歩。路考茶色の髪が翻った。ありがとう、という声を残して風のように去る三人を見張り兵はぽかんとして見送った。

( 20120624 )

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