石川五右衛門と名乗る忍が真田幸村の命と奇魂を奪おうとしている。
才蔵からの不穏な報告以来、上田城の緊張は微かに強くなった。とは言え本当に微かなもので、幼子が一本の糸を左右に軽く引っ張った程度である。真田の忍隊は通常の任をこなしていたし、そもそも佐助以外は敵の企てすら聞かされていない。標的そのものの幸村も自室でのんびりと横になっている。怪しい者はいないかと庭を見つめ続ける六郎に彼は息が詰まる、と声を掛けた。

「何故皆に知らせ警戒しないのですか!?
やすやすと攻め入られたらどうします!?」
「来る前から慌ててどうする!?
それに…相手の力も出方もわからんのに布石は打たん、余計な混乱を招きそこを突かれんとも限らんだろう」

起き上がり自らを窘める幸村に六郎は眉を顰めた。主の言うことも一理ある。しかし、既にこの城は相手の頭に呆気なく侵入を許している。悠然とする幸村に彼は更なる懸念を指摘した。

「…しかし伊佐那海はともかく、薫様には人を付けておいた方がよいのでは?」

敵襲を受けたとしたら真田の姫にはなす術もない。手厚い護衛が必要ではと言う彼に幸村は肩を掻く手を止めた。頼もしい小姓をにやにやとした目で見上げる。

「とは言え、敵の狙いの中にあやつは含まれていなかったろう」
「若…!!」

六郎の目付きが僅かに険しくなった。幸村が狙われているとすればその妹も巻き添えを食う可能性がある。彼女に何かあったら取り乱すのは兄だろうに───しかしそれは六郎自身にも言えることだった。幸村は小さく息を吐き出す。

「薫は、何も知らずに笑っておるのがよい」

上田の姫としてなのか、平和を乱す存在には敏感な薫。何かが起きれば皆を案じ、果敢にも立ち向かおうとする。自らに降りかかる火の粉には頓着がないのだった。幸村は妹を憂いから遠ざけることで守ろうとしていた。しかし彼女は最早何も知らない姫君ではない。清海と幸村の対面の際薫も同席していたため、「奇魂の守り巫女は伊佐那海しかおらん」という僧侶の言葉を聞いていたのである。伊佐那海の簪のこと、真田に集う勇士の存在も知ってしまっているのに何を今更と六郎は胸の内で嘆息した。薫はもしかしたら主の弱点となるかもしれない。彼の思いなど意に介せず幸村は淡々と告げた。

「ここは忍隊に任せるとしよう。
ワシ"ら"にはお前がいるしな」

六郎の瞳孔がすうと狭まった。そう言われてしまえば二の句が告げない。いざとなれば幸村を、そして薫をも守る任を託される。押し殺した声で茶を淹れ直す旨を告げ、彼は湯呑を下げた。中身は殆ど減っていないがすっかり冷めてしまっている。幸村は目を伏せ頷いた。何も知らなければ、妹が立ち上る湯気のように揺らぐことはない。



34



「相談があって」。そう言って障子を開けた薫に、伊佐那海は瞳を輝かせた。二つの湯呑を持ち遠慮がちに部屋へと足を踏み入れる彼女は、霞色の振袖に薄紅梅の帯を締めている。藍白の刺繍が透かしのように入っていた。伊佐那海が嬉しそうにいそいそと立ち上がる。

「ちょっと待って、今お菓子出すから!!」
「こんな刻に食べるの!?」
「お菓子は別だよー」

それに薫には沢山聞きたいことがあるからと笑顔で言われ、彼女の頬がひくりと動いた。こういう時何故か何も言わずとも内容の想像がついてしまうのがおなごである。薫は居た堪れなさそうに部屋の中を見渡した。
歳の近い同性が身近にいなかった薫は相談事に慣れていない。しかし、終日頭を占めていた佐助とのことを誰かに吐き出してしまいたかった。喧嘩をした原因を問われるとなれば景のことも説明しなければならないだろう。恐らく、食事処でのやりとりも。芋蔓式に話が増える様を想像し薫は気が遠くなった。伊佐那海が大きな袋を飾り棚から取り出す。中身の茶請けが膝の上の懐紙に大量にばら撒かれた。目を剥く薫を他所に伊佐那海は早速それに手を延ばしている。

「…これ、いくらなんでも多過ぎじゃ…」
「いいのいいの、話しながら食べてたらあっという間だって!!
それで、何があったの?」
「………っ」

口を動かしながら首を傾げる伊佐那海に薫はむうと唸った。悩み事を明かすことには躊躇いがあるものの、話を聞いてくれる姿勢は有難い。畳の上で視線がうろつくこと暫く、彼女は大きく息を吸い込んだ。何を問われようが相手は伊佐那海だ、問題はない。景との間にはやましい関係も思いも一切ない。「あのね、」と薫が勢い込んだ途端、すぱん、と素早く襖が開いた。

「っ………え、才蔵?」
「どうしたの?」

小気味いい音を立てたのは才蔵だった。手には枕や掻巻が携えられている。二人は目をぱちくりさせた。特に薫は心の内を打ち明けようとしていた気勢を削がれてしまう。才蔵は彼女がいることに意外そうな表情をしながらも何日か世話んなる、と伊佐那海に告げた。

「───え!?」
「だから、暫く一緒に寝るっつってんだよ」
「!!」

薫は思わず茶を噴き出しそうになった。やはり二人はそういう間柄だったのか。伊佐那海は驚きで噎せかけている。大きく背を仰け反らせる彼女と相変わらず鋭い目付きの才蔵を交互に見比べ、薫ははっと弾かれたように立ち上がった。このままここに居座っていては自分は邪魔者になってしまう。

「じゃあ、部屋に戻るね」
「え!?」
「うん、あの、私の話はいつでもいいから、…えっと、ごゆっくり」
「あ、おい薫!!」

才蔵の制止─二人が一箇所に集まっていた方が敵襲から守りやすいと思った─を聞かずして薫はそそくさと部屋を出た。彼が入って来た側と反対にある障子を開ける。背後に心の準備がという伊佐那海の困ったような声が聞こえてきた。彼女の一途なまでの思いが成就したことが嬉しくて、羨ましい。そして薫は外に面する廊下へと出たため、屋敷内を通り才蔵を追うようにして部屋の襖を開けた佐助の存在に気付くことはなかった。冷たい空気に晒されながら彼女は足早に自室へと戻ろうとする。その時だった。

「───っ!?」

庭を見る視界がぐらりと歪んだ。何事かと考える隙も与えられないまま思考が止まる。足場を失ったかのようにたたらを踏み、長い髪がふわりと空に舞った。すっかり力の入らなくなった身体が斜めに傾ぐ。

「!!」

しかしいよいよ彼女が廊下に倒れようとした時、その身体を抱きとめた人物がいた。

( 20120515 )

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