蒼刃の見ている世界を知りたいと六郎に話したことを薫はふと思い出した。空から上田を眺めたらそれはとても美しいだろう。しかし彼女は六郎の右眼を持っておらず、また力強い翼も生えていない。では何故、鳥が空を急降下する際に似た景色を見ているのだろうか。

「───薫!!」

佐助の声が薫の鼓膜に届いた。通り過ぎる風が肌を打つ。視界は目まぐるしく変化しているが、屋根の上から自分が落ちていると彼女はまだ信じられずにいた。きょとんとしたまなこが青い空に遠くの山々、規則的に立ち並ぶ建物───そしてその間に昨日真近で見た黒衣を捉えた、気がした。薫の胸の真中が跳ねる。

「っ!!」

刹那、全身にどすんと衝撃が走った。地面に落ちたにしては痛みがない。反射的に瞑った目を開けると、薫のすぐ傍で漆黒の外套が翻る。

「…っぶねー…」
「、才蔵…!!」

至近距離にあったものは才蔵の面食らった顔だった。清海の肩から飛び降りた彼が咄嗟に摩利包丁を仕舞い、薫を受け止めている。どきりとした。才蔵に、と言うよりは、景かもしれないと思った自らに対して頬が朱に染まる。佐助がアナスタシアに向かって声を荒げた。

「アナ、何してる!!」
「いいじゃない、才蔵が受け止めたんだから」

剣呑とする彼にしれっと答えるアナスタシア。涼しげな表情に苛つきが高まった。そういう問題ではない。才蔵が薫を腕の中から下ろしてやる。帯を崩さないようにとその手つきは優しい。礼を述べる彼女に才蔵が「俺こそ」と眦を和らげた。

「お前の言葉があったからあの坊主を止められたからな」
「………っ」

才蔵の手が薫の頭に乗る。ぽん、と置かれた掌が軽く左右に揺れる。これでまた彼の手袋に薫の香が移るのだろう。佐助が口元を引き結んだ。彼女の髪に触れたことなど、あっただろうか。

「…よかった」

はにかむ薫の姿に、佐助は灰色の雲の中に足を踏み入れたような心地になる。そこへ木履を軽やかに繰る音が近付いてきた。

「みんな、なにしてんのー!?」



31



先程の騒ぎなど何も知らずにやって来た伊佐那海に、才蔵が振り返り額を押さえる。薫は慌てて彼の胸元に添えていた手を引っ込めた。彼女の気持ちを鑑みると才蔵と接近するのはまずい。小さな手が突然離れたことに彼が首を捻る。そして伊佐那海は初めて見る大柄の僧侶に呆気に取られていた。きょとんとしたまなこと視線が合った途端、清海が口をはくはく動かし始める。

「誰…その人…!?」
「………その簪は…まさか…伊佐那海か!!」

再び辺りに緊張感が満ちる。何故名を知っているのかと焦る伊佐那海。佐助が屋根から飛び降りて彼女の前に立ち塞がった。清海の目からみるみるうちに涙が溢れ出す。

「お…お前の兄ちゃんだろー!!」

彼の涙混じりの爆弾にその場にいた全員が呼吸を止めた。自称伊佐那海の兄、清海の咆哮にも似た嗚咽が響く。確かに彼は妹を捜して諸国を練り歩いている最中と言ってはいたものの、伊佐那海の風貌とは似ても似つかない。怪しすぎると薫は眉根を寄せた。

「アンタみたいなムッサイオッサンなんか知らないってば!!」
「なに、昔みたいに抱きあえば思い出す!!
いざ!!」

現に彼のことを初めて見たと言い張る伊佐那海。しかし当の清海はすっかり再会の喜びで胸を一杯にしている。大きな腕を広げて近寄る姿は変態にしか見えない。伊佐那海の前に立つ佐助が両の手の苦無を構え直した。

「伊佐那海触れる、不可!!」
「、」

その険しい顔に薫ははっと目を瞬かせる。伊佐那海が才蔵達の近くへ駆け寄った。清海との面識がないことを信じてもらおうと必死である。気を取り直し彼女は伊佐那海に尋ねた。

「…え…と、伊佐那海、家族いたの?」
「───お前天涯孤独って言ってなかったっけ?」
「こんな人知らない!!
アタシウソなんかついてないモン」
「………」

伊佐那海が才蔵の腕にしがみつく。清海の目が怒りに染まった。見るからに不審過ぎる、とても僧侶とは思えない大男が警戒すべき存在であることは薫にも理解出来る。佐助が伊佐那海を庇うようにして立ったことも、彼女の大事な友達を身を挺して守ろうとしてくれたのだと頭ではわかっている。「守りたいものを、守る」。その言葉を佐助は忠実に遂行したまでだった。
しかし、実際にあのような場面を見てしまうと薫の胸の辺りがつきりと痛む。其処彼処に散らばっている木片を飲み込んでしまったかのような感触を覚えた。傍らで伊佐那海達のやりとりを訝しげに見守っている彼をまともに見ることが出来なくなる。身勝手だとはわかっているが、───自分も、あんな風に守ってほしいと願ってしまう。

「いよっし、ならば早々に片づけよう!!
お主らも手伝え!!」
「ふざけんな!!
ひとりでやれ!!」

薫がそんなことを考えている間に、伊佐那海が場を収めていた。結局清海が建物の修復を請け負ってくれるようである。よかったと胸を撫で下ろしながら、彼女は派手に空いた壁の穴を潜り抜けた。城下へ来た本来の目的を果たそうとしたことと、少しだけこの場を離れたいと思ったのだった。

( 20120505 )

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