肌が粟立つ。冬の朝のきんと冷えた外気に晒されているようだと薫は思った。背後に立つ者が彼女を抱き締めるように腕を回す。振り返った薫と視線を合わせた人物は、緊迫したこの場に似合わない呑気な声を発した。

「あーらら、なんなのコレ?」
「───アナ!!」

南蛮風に挨拶したアナスタシアは次いで薫に怪我はないかと尋ねた。大きな胸に寄りかかっていることにどぎまぎしながら彼女は頷く。アナスタシアの青い瞳に気持ちは少しずつ落ち着いていた。清海への憤り、食事処や周りの住人への心配、この状況を収める術を導き出せない焦燥、それらでぐらついていた心が凪いでいく。
先程まで薫がいた場所では十蔵に替わり鎌之介が清海と相対していた。鎖が鉄棍棒に絡まり細い身体が宙を舞う。地面には先の攻撃により出来た放射状に広がる跡があり、建物も所々崩れ落ちていた。やはり恐ろしい威力である。アナスタシアが立っていると危ないわね、と呟いた。

「薫、行くわよ」
「え、どこに」

アナスタシアの腕の力がぎゅうと強くなる。問いへの答えを聞けないまま薫の身体が再び持ち上がった。膝の裏に手を掛けられ、慌てて首元にしがみつく。驚きで目を瞠る彼女に軽く微笑んでから、アナスタシアが地を蹴った。若葉色の袂が翻る。風を切る音と浮遊感に、薫は声にならない叫びを上げた。



30



放った苦無は全て鎖の輪の中に突き刺さった。振り回されている鎌之介の動きを食い止めてから、佐助は怪しげな僧侶に飛び掛かる。こめかみと首に強烈な蹴りを入れ、一旦身を退き屋根の上へと降り立った。

「この不届き者!!
この地、どこと知る!!」

騒ぎが起きていると聞いてやって来た佐助は、一連の騒動がこの一人の男によって引き起こされていると知る。周りにいるのは才蔵と鎌之介、そして野次馬が遠巻きに見ているだけだった。苦無を握り締める彼の鼓膜に、たんと足を鳴らす音が聞こえてくる。同じ屋根の上に着地したのはアナスタシアと、

「さ…っささささ佐助…!!」
「薫、大事ない!?」
「う、うん…っ」

彼女に横抱きにされた薫だった。何故ここにいるのかと佐助は目を丸くする。瓦葺きの屋根に自らの足で立った薫は高い高いとアナスタシアにしがみついた。足元が覚束ない中、眼下の有様を改めて見た彼女は眉を八の字にする。この場を収めるには男を倒すより他ない。しかしアナスタシアは薫に腕を掴まれている上、「あの手は生理的に無理。」ときっぱり言い切ったように加勢する気はなさそうである。

「我、一人で充分!!」
「───ったく…」

ならばそこで薫を守っていて欲しいと佐助が飛び出した。才蔵がそれに続く。これ以上町並みを壊さないよう早々に片をつけなければならない。ところが、逆上した鎌之介が武器を振りかざし暴風を巻き起こした。巨旋風。瓦や建物の木組みが吹き飛ぶ。屋根の上で薫が狼狽えた。制止の声が風にかき消される。

「ちょっと…、場所を考えてよ!!」
「あの大男も自分の世界に入ってるわね…」
「もう、頭まで筋肉で出来てるわけ!?」

「あら、脳天かち割って見てみる?」と言うアナスタシアに薫が頬を引き攣らせた。あらゆる念仏やら解脱云々やらと叫びながら清海が空気の渦を切り裂く。鎌之介が見事なまでに潰され、風が止んだところで佐助が間合いを詰めた。背後から露出している腹を狙い苦無で一閃───しかし、逞しい身体には刃が通らない。逆に清海が反転し佐助を薙ぎ払おうとする。身体を屈めてそれを避けるとすぐに棍棒が地に突き落とされた。大地が震え、肌がびりびりと粟立つ。この男を倒す手立てはあるのか、佐助が唇を噛むと才蔵が地面から跳躍した。彼を踏み台にして更に飛び上がり、くるり回転して清海の肩に降り立つ。

「観念しなハゲ!!
頭にまで筋肉はつけられねえだろ!!」

ぴたり、頭頂に摩利包丁を突き付けて才蔵が口角を上げた。先にアナスタシアと話していた薫の言葉を思い出し、佐助の視界が微かに揺れる。清海が歯を食いしばり頭上を仰ぎ見た。そうして「お見事」と絞り出した声により、上田城下で起きた騒動は非常に大きな爪痕を残して収束した。
は、と薫が安堵の吐息を漏らす。相変わらず足は斜めに傾く屋根の上でふらついていた。才蔵がゆっくり刃先を離しながら彼女の名を呼ぶ。

「もう降りても大丈夫だぜ」
「え、…あ、」

薫は戸惑いながら才蔵と地面を見比べ、次いでアナスタシアに目をやった。彼女の力を借りるしかここから降りる手段がない。しかしアナスタシアが動く気配は一切なく、その上あろうことか、

「そうね、ここにいるといつまでも足元が不安定だから」
「へ………っあ、!?」

と自らに絡みつく薫の手を解いてしまった。支えを失った彼女の身体はあっという間にバランスを崩す。草履が瓦に引っ掛かり、膝ががくんと折れた。地に立つ佐助が見ている中、若葉色の身体が空に投げ出された。

( 20120430 )

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