「…か、筧!?」
「筧サン!?」

店の壁を突き破り、二人の視界を勢い良く横切った人物は十蔵だった。才蔵と彼に庇われるようにして立つ薫が揃って声を上げる。十蔵の身体は道の反対側まで吹っ飛び、端に置かれていた木桶にぶつかり動きを止めた。起き上がった彼によると、食事処に現れた無銭飲食者を注意したらその者が暴れ出したとのことだった。十蔵に近寄る薫の耳にずしんと大きな足音が響く。壁の穴を更に広げながら現れた大柄の男に彼女は息を呑んだ。

「拙僧は神仏に仕える徒なり!!
よって拙僧の行いは仏の行いなり!!
仏には酒も飯も喜んで振る舞うのが常識であろうが!!」

逞しい胸元には数珠と切支丹の十字架が同居している。法衣に頭に巻いた白布、手に持つ巨大な鉄棍棒という異様な風貌。破壊されて筒抜けになった店の中を薫が覗き込むと、そこはやはり昨日訪れた食事処だった。不安気に様子を窺う店主と目で挨拶を交わす。客達は蕎麦を啜りながら器を持ち店の端に避難していた。彼女の隣では金がないと開き直る男に対して才蔵が苛ついている。

「おおかたあちこちでタダ飯行脚してたんだろ、なにが神の使いだこのゴロツキが!!」
「ゴロツキではない!!
拙僧は神聖なる目的で旅をしておるのだ!!」

「見よ!!」男が一喝して三人に背を向けた。法衣が翻る。そしてそこに大きく書いてあった文字は───"妹捜してます"。

「思いっきり私情じゃねぇか」

ひくりと頬を引き攣らせる才蔵に続き、十蔵も言葉が出ないと額を押さえる。「え、この人もシスコン…?」と訝しむ薫の声が響いた。



29



三好清海入道と名乗ったその男は、生き別れた妹を捜して諸国を巡っていると宣った。馬鹿力で化け物に似た女など上田にはいない。他を当たれと言う才蔵に清海はあっさりと納得する。これで大人しく引き下がればいいという彼の安堵はしかし、眼前に現れた若葉色によって打ち砕かれた。

「待ちなさい!!」
「───薫!?」

清海の前に立ちはだかった薫の姿に才蔵は目を剥いた。店の中からも彼女を心配する視線が送られる。体格差から小動物じみて見える薫が清海をきっと睨みつけた。

「仏は慈悲のお心で人々をお救いくださる存在でしょう!?
飲食代を踏み倒された上建物を壊されるなどこの店が立ち行かなくなったらどうするんですか!?」
「されど金がない!!」
「ならばせめて経でも唱えたらどうです!?」
「左様!!
貴様のような暴漢見逃すわけにはいかん!!」
「薫…筧サン…」

才蔵は思わずこめかみに手を当てた。薫が上田や民達を大事に思うことはわかるが、どうにも発想が斜め上である。十蔵までもが同調しては話がややこしくなるだけだ。案の定清海は店が壊れたのは彼が弱いからだと反論し始める。あくまで自分を正当化する僧侶に頭に血が昇った十蔵が、遂に背中の種子島銃を構え出した。

「筧!?」
「姫様お下がりくだされ!!
こやつの性根叩き潰してくれる!!」

素早く銃を清海に突き付けた十蔵の額に青筋が浮かぶ。民が困っている様を何とかしたかっただけなのにと薫が慌て出した。才蔵も放っておくよう止めに入るも十蔵の怒りは収まらない。ところが清海は怯むことなく彼に近付き、銃身を掴み思い切り地面に叩きつけた。

「仏に銃口を向けるとはなにごとだ!!
罰あたりめが!!」

体勢を崩した十蔵が再び引き金に手を掛けようとしてはっとした。銃の先、弾が放たれる役目を担う鉄筒がぐにゃりと曲がっている。声を裏返らせる十蔵。素手でこんなことが出来るのかと薫も唖然とする。そんな中、清海が三人に向かって足を踏み込む気配に才蔵が身構えた。

「天罰!!」
「薫、掴まれ!!」
「な、」

藤黄色の帯に才蔵の腕が回る。薫の身体は彼に抱え込まれていた。もう一方の手で才蔵が十蔵の首根を引っ張ったと同時に、清海が拳を前に突き出した。薫の髪が風に舞う。重い正拳突きの衝撃で建物がへこみ罅が入る光景を、彼女は目の端で捉えた。

「………っ」

空気が、壁が、心臓が震える。薫を下ろした才蔵が懐の苦無を投げ付けた。しかし清海は避けることなく全て受け止め、上体の筋肉で弾き飛ばしたのだった。鍛え上げられた鋼の肉体。苦無が地に転がる金属音には才蔵もぽかんとするしかない。この図体の大きな男を今更ながら恐ろしいと薫は感じる。才蔵と十蔵という上田の守人を以てしても分が悪い。城下に被害を出さず、清海の怒りを鎮めるにはどうするべきかと唇を噛み締める。

「いよーしお前ら…よほど神の怒りを受けたいと見える!!
なれば拙僧が信ずるすべての神仏で屈服させよう!!」
「下がってろ薫!!」
「さ、下がってろって言われても…!!」

目を吊り上げた清海が巨大な棍棒を両手に持った。最早仏というより仁王像のようである。才蔵に下がるよう指示されるも薫の足は竦んで動かない。棍棒が振り下ろされる。上から押さえつけられるような圧力に思わず目を閉じた瞬間、彼女は才蔵にどんと突き飛ばされていた。

「!!」
「南無阿弥陀仏!!」

地面に叩きつけられた棍棒により足元が揺れる。強い力で突き飛ばされたこともあり薫は大きくよろめいた。砂埃を肌に感じる。傾く身体はしかし、ぽすん、と背後に現れた者に受け止められていた。優しくひやりとした手の感触。恐る恐る目を開けて振り返った薫は、後ろに立っていた人物に思わず驚きの声を上げた。

( 20120427 )

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