上田の好きなところは豊かな自然と、民達だ。空気は透き通り天候によって様々な匂いを運ぶ。草木は青々と幸せそうに腕を伸ばし、そこに芽吹く花達も可憐で愛らしい。そして城下の者は須らく、薫に笑顔を向けてくれる。裏に何の悪意も秘められていない心からの歓待。気さくで優しい人々が彼女は好きだった。
城を出て暫く、薫は一人であちこちを歩き回っていた。煙草屋に呉服屋、甘味処など贔屓にしている店を当たったが答えは悉く同じもの。こちらを見ては姫様だ、と目と口を大きく開ける人々に笑みを返し彼女は心の中で溜息を吐く。目ぼしい場所は全て訪ねてみたし、こうなったら後は花街しかない。お忍びになっていないお忍びなだけに気が進まないが、いなければそそくさと辞して森の方面へ向かった佐助達と合流しよう。腹づもりを決めた薫が踵を返そうとすると、ふと視界の端に影が揺れた。

「失礼、そこの女の方」
「…え?」



24



真剣に幸村を探しているというのに、伊賀忍がちゃらちゃらとふざけているから腹が立つのを抑えられなかった。しかし、それだけではない。佐助の機嫌が悪い理由なら他にもあった。

「蒼刃!!」

木菟の蒼刃が暫く姿の見えなかった幸村を見つけた。高い鳴き声と旋回する方向で佐助はその場所を知る。幸村は木々を抜けた高台にいる、無事だ。情報を得るや否や彼はその場を飛び出した。

「そっちか!!」
「オッサンいたのかよ!?
俺も行く!!」

その動きに才蔵が続こうとするが、佐助はそれを拒んだ。彼に幸村を見つける資格などない。大体幸村に万が一のことがあったら、上田はどうなるというのか。下手をしたら───あの、小さな肩に一国の行く末がかかるかもしれないのに。真面目さの欠片もない奴など不要、腑抜けの伊賀者はいらないと置き去りにすれば才蔵のこめかみに青筋が浮き上がった。

「オイ、佐助テメエ!!
さっきの言葉取り消せ!!」

才蔵が佐助を追いかけ全速力で走り出した。森を急く若草の装束に続き地を蹴る。勢いをつけ佐助に並ぶも、彼の視線はその存在を無視して前方だけを向いていた。涼しい顔に才蔵が更に逆上する。空気を裂く音。才蔵が佐助を追い越したのだった。

「邪魔!!
帰れ!!
女たらし!!」
「あ?」

視界に入る黒衣に佐助は苛つきを抑えられない。先程の伊佐那海と鎌之介の二人と連んでいた光景にも声を荒げたくなるが、───間違いない、才蔵から香るものも彼を焦燥へと追いやる原因の一つだった。案の定才蔵は女たらしという言葉にまなこを血走らせた。鋭い蹴りが佐助目掛けて飛んでくる。それを彼が腕でいなせば、即座に才蔵が手首を掴もうと手を伸ばした。

「上っっ等だこの野郎!!
いつ!!
どこで!!
この俺が誰をたらしこんだって!?」
「いつでも!!」

微かに感じる、この場に不釣り合いなようで馴染んだ匂い。手を振り払った佐助は膝を鳩尾にぶつけようとした。すぐに才蔵がそれを阻んだため、仕方なく一旦退いて間を取る。木の幹を踏み台にして再び飛び上がると、才蔵の眉間には深い皺が寄っていた。とうとう苦無がその手から放たれる。

「ナンでテメエにそこまで言われなきゃならねーんだ!!」
「真実!!
幸村様、一大事!!
なれどお前、あのふたりと遊び半分!!」
「アレは奴らが勝手にやってることだろ!!」

武器を翻した佐助が才蔵の攻撃を全て弾いた。金属音と罵声の応酬を地上にいる伊佐那海がはらはらと、鎌之介がわくわくと見守っている。頭に血が昇っている才蔵に触発されたかのように、佐助も怒りに任せて声を上げた。

「勝手、否!!
いつもキャアキャアうるさい!!
それにその香っ…」
「───香!?」

しかし、衝動的に口走った言葉に気付き佐助は息を呑んだ。才蔵が一段と顔を顰める。速い刃筋を受け止めながら険しい表情の甲賀者を訝しげに睨みつけた。両手で構えた摩利包丁。それを掴む手袋から、ふと異質な香りを嗅ぎ当てる。一瞬にしてその正体を悟った才蔵は、にやりと口の端だけで笑った。

「あー………はん、なるほどなあ」
「っ!!」

仄かに柑橘の甘さを含む、森林の奥深くを思わせる爽やかな香。それは薫が普段纏っている匂いで、佐助が草花を合わせて姫君へと贈ったものであり、そして先程才蔵が彼女の頭を撫で回した際手袋に移った香だった。恐らく忍でないとわからない程度の微弱な残り香だが、佐助にとっては嗅ぎ慣れたものでもある。何故才蔵から薫の匂いがするのか、易々と触れさせる程に気を許しているのか。問い詰めたい思いと同時に、嫌な予感を頭から追い出したいとばかりに逃げたくもなる。顔を強張らせる佐助を才蔵が鼻で笑った。猿と言うよりまるで犬だ。己の調合した香をあげるなど、薫は自分のものだと誇示しているようでおかしくて仕方ない。それに、彼女には芳しい花の香りがよく似合うと才蔵は思っている。

「お前センスねぇな、女にこんな青臭え香贈ったって喜ぶわけねーだろ」
「…るさい…」
「それともあれか、ご主人様を見つけるためのマーキングってか?」
「黙れ!!
お前、腹立つ!!」
「!!」

からかいながら太枝に着地した才蔵に佐助が飛びかかった。動揺と怒りを抑えられない。自分は忍で、薫は上田の姫だ。それを自分のものなどおこがましいにも程がある。しかし───本当にそうだろうか。香木と樹木の葉、ほんの少しの果実を煮詰めた匂い。庭を凝縮したような香を焚きしめる薫が、己と近しい存在であると満ち足りたものを感じていたのではないか。彼女と自分が似た匂いを纏うことが、嬉しかったのではないか。
至極楽しそうに指摘する才蔵にも、幸村の居所を突き止めないといけないのにこんなに心が騒いでいる自分にも憤りを覚える。何故薫はこんなにも自分を掻き乱し、翻弄させるのだろうか。目の前がかっと赤くなる。佐助の苦無が才蔵の腕を捉えていた。流れる鮮血。才蔵が摩利包丁を振り上げた。

「そりゃこっちのセリフだ!!
くだらねえことでつっかかりやがって!!
このガキ!!」
「うるさい!!
お前、かまってるヒマない!!
我、幸村様、探す!!」
「はっ、薫のためってか!?」
「違う!!」

違う。佐助は自分に言い聞かせるように叫ぶ。自分は忠義を誓った主を探しているのであって、薫のために彼女の兄を見つけるのとはわけが違う。己の行動の根底にあるものは薫の存在だけではない。彼女は今どうしているのだろう。城で皆いないことに気付き狼狽えているかもしれない。
才蔵が武器を構え向かってくる。苦無で刃先を受け、佐助はぐんと身体を折り曲げた。膝が才蔵の顎に入る。蹴りどころがよかったのか、身動きが取れなくなる二人。バランスが崩れる。空から落下していく四肢を葉がばさばさと打った。

「…なにやっとるんだお前ら」

傾いだ重心をどうすることも出来ずに、佐助と才蔵は揃って地面へ叩きつけられた。木々が途切れ開けた場所に佐助がうつ伏せに倒れ込む。何をやっているのだろう。幸村を探さなければと身体を起こそうとすると、不意に低い声が響く。そこには、煙管片手に呆気に取られた目をする幸村が立っていた。

( 20120407 )

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