───どうしても行ってしまわれるのですか?
そう尋ねられた男は口の端だけで笑った。まるで去りゆく男に追い縋る女のような台詞。声の主は眉を八の字にして男を見上げていた。しかし残念なことに相対している者とは恋仲なわけではなく、そもそもその性別を同じくしている。

「啖呵を切った手前仕方がありませぬな」
「…手は打っているのでは?」

男は微かに笑みを深めた。相手が童顔に憂慮の表情を浮かべている訳は、己の力で主を抑えきれるかどうか不安なのである。しかし心配はいらない、これで主が暴走してしゃしゃり出てこようものならば約が違うと言い包められる。
馬首を巡らせる。確かに既に手は打ってある。恐らく容赦ないまでに頼みを遂行するだろう。しかし、念には念を。智に長けていると称される男ならではの行動だった。城門を出る彼を、義理の兄がはらはらとした顔で見送っていた。



23



幸村がいない。才蔵は背筋にひやりとするものを感じていた。彼は勇士と称された者達─佐助、アナスタシア、十蔵、六郎、鎌之介、伊佐那海、そして才蔵─と広間に集められていたが、肝心の幸村の姿が見えないため仕方なく皆と寝所へ踏み入ったのだった。しかしそこは酷い有様、布団は捲れたままで掛軸も歪み、書物や巻物が散乱していた。荒らされたかのような様子に絶句するしかない。見張りによると上田からは出ていないとのことだが、誰も気付かないうちに忽然と姿を消した幸村に緊張感が走る。
ちゃらんぽらんで掴みどころがなくて、その癖こっちの心は見透かしているような若殿。身なりは殿様らしくないし動きも粗野なところがあるが、───どこか薫に似ている部分もある。まさか、そんなオッサンに何かあったとしたら。

「───幸村様っ………」

青い顔をした佐助が一番に城を飛び出した。それを皮切りに十蔵、六郎、アナスタシアも動き始める。こうしてはいられないと才蔵も大きく息を吸い込んだ。しかしその時。

「…あれ、そんなところで何してるの?」
「薫!!
…どしたのその格好」

緊迫した雰囲気を和らげる声が耳朶を打った。庭に面した廊下をゆっくりと歩いてくる人物は渦中の幸村の妹、薫である。髪を結い、東雲色と淡萌黄から成る小袖を纏っていた。いつもの上質な生地と意匠を凝らした柄の振袖とは異なる。珍しいと指摘する伊佐那海に彼女は食器の整理をしていたから動きやすい小袖を着ているのだと朗らかに答えた。上田城は財政的に豊かではないため、薫が女中の仕事を手伝うことも間々あるらしい。

「薫、オッサンどこに行ったか知らねーか?」
「兄上?
今日はずっと見てないけど…何かあった?」

念のため才蔵が薫に問うもやはり所在はわからない。険しい表情に彼女が首を傾げた。言うべきか否か、僅かに迷った結果彼は事の顛末を話す。薫が眉を顰めた。目を見開き瞳を揺らし、手を口元にやり何かをじっと考え込む。しかし、やがて才蔵の話が終わると顔を上げ「それは違うと思う」とはっきり告げた。

「なんでんなこと言い切れんだよ馬鹿女」
「薫に向かってひどーい!!」

悪態をつく鎌之介に伊佐那海が言い返す。二人が揃うと煩くて仕方ない。騒ぐ彼女達を放ってその確信はどこからくるのかと才蔵が改めて尋ねると、

「だってみんないるもん。」

と薫は何てことないように笑う。皆がいれば何とかなる、才蔵なら大丈夫だという彼女の思い。───確かにここには腕の立つ者が揃っている。余程の手慣れた刺客であろうと侵入者の気配なら誰かしら悟るだろうし、大体にしてあの幸村が簡単に襲われるわけがない。

「部屋だって六郎の手が入らなかったら汚いままだし…兄上のことだから城下か森の中を散歩してるんじゃないかな?」
「…」

仲間を、兄を信頼している薫。屈託なしに向けられる笑顔に才蔵は耐え切れず目を逸らした。同時に彼女の頭の上に手をぼんと乗せる。頬が熱い。薫がわあ、と声を裏返らせた。

「任せとけ、オッサン…つーかお前の兄貴、見つけて来てやるよ」
「わ、わー、もう…わかった、から!!」

ぐりぐりと頭を撫で回す才蔵の手を剥がそうと薫が小さな手で抵抗する。柔らかな髪の感触。身体を動かしたことで体温が上がっているのだろう、彼女が日頃焚き染めている香が才蔵の鼻孔にもはっきり入ってくる。それに微かな違和感を感じながら彼は身を翻した。

「伊佐那海、お前は薫と城に残れ!!」
「えーっっヤダぁ、一緒に行くぅ!!」
「オメエは足手まといだとよクソ女!!」

勇んで城を出ようとする彼に伊佐那海が食い下がる。更に鎌之介が挑発し、殺伐としだす二人を才蔵が呆れ返った目で見る。そうしてぎゃあぎゃあと大声を上げながら遠ざかる彼らを薫は廊下から見送った。彼女も折角なら共に兄を探しに行きたいと思ったが、生憎草履が見当たらなかった。さてどうしたものか。棚卸しは終わったし、一人で城にいても暇だ。幸村が訪れる場所を最も知っているのは恐らく六郎と自分だろう。東雲の楊柳地に胸元と後脛の辺りに蔓を縫い付けたような小袖。お忍びには打ってつけではないか。

「…行きますか」

三人の姿が見えなくなってから薫は髪を手早く整える。佐助とも六郎とも違う、才蔵の手。何時の間にか彼は真田の姫の髪を撫でられる数少ない者の内の一人になっていた。軽く息を吐き出してから薫は屋敷の門へと歩き出した。

( 20120325 )

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