久しぶりの上田城は知らない場所のようだった。アナスタシアと佐助に支えられた伊佐那海はゆっくりと城の門を潜った。初めて訪れた時に似た緊張感と懐かしさが同居する。一度は帰らないことを自らに課した地だったため、どこか複雑な気持ちだった。所在なく視線をうろつかせる彼女の耳に、木履のからころという音が近付いてくる。木菟の飛来により三人の帰着を知った薫が、居ても立ってもいられず屋敷を飛び出したのだった。

「…伊佐那海…!!」
「───っ薫…」

白練色の着物とよく合った薫の白皙の顔がきゅうと歪んだ。両手で口元を押さえ転がるように駆けてくる。思わず佐助が慌てるのを他所に、薫は伊佐那海に思い切り飛びついた。少しだけ背の高い彼女の首に腕を回す。アナスタシアは仕方がないと言いたげに微笑む。屋敷から幸村と六郎が姿を現した。

「………おかえり」

ぎゅうぎゅう抱き付いてくる薫に伊佐那海は困ったような表情になる。耳元で聞こえるしゃくり上げる声。「おかえり」の言葉が、迷うことなく伸ばされた腕が。また、こうして薫に救われる。ただいま、と言う伊佐那海の返事は小さかったが、薫にははっきりと聞こえていた。そうして二人は、部屋で膝を突き合わせている。

「…ごめんね、アタシのせいで」
「………」

伊佐那海から教えられた事実は、驚きと納得が入り混じるものだった。幼い頃神主から授かった簪が奇魂と呼ばれていること。それを狙い徳川が出雲を襲ったこと。祭の席に襲来した刺客達の目的も奇魂だったこと。そして、それを欲しているのは徳川だけではないこと。

「…お守りだと思ってたのに…」
「違う、みたいだね」

しゅんと背を丸める伊佐那海は出立の時よりほっそりとしている。そもそも奇魂とは何なのだろうか。薫は彼女の俯いた頭を見つめた。翡翠の埋め込まれた精巧な作りの簪は、やはり伊佐那海の髪にしっくりくる。何か重大な秘密がありそうな手前、試しに外してみたらなど軽々しく言えるものでもない。

「どうして神主様は、アタシに奇魂を預けたのかな」

たった一本の簪、しかしそれが伊佐那海に過酷な運命を強いた。徳川や伊達という有力な大名が挙って狙うのであれば、これからも奇魂を巡って刺客が現れる可能性だってある。得体の知れない不安。それでも。

「…大丈夫」

見捨てたりなどしない。いざ戦いとなれば薫とて守られる立場となるが、自分が弱気でいてはならないと思う。根拠はなくとも大丈夫だと穏やかに微笑む彼女に伊佐那海も元気付けられる。

「…うん、アタシも一緒に立ち向かう」

未だ頼りないものだが、自身の中にある強さを手繰り、紡ぎ、確固たるものにしたいと望んでいる二人。とにかく無事でよかったと口角を上げる薫に、伊佐那海は突然飛び出るのではないかという程に目を見開き、「あああ、」と大声を発した。

「なにごと!?」
「………薫にお土産買ってこれなかった………」

ばたりと上体を畳に伏せ顔を覆う伊佐那海。翡翠が煌めく。唸りながら謝る彼女に、薫は土産は話で十分だと笑った。



20



「───佐助、いる?」

夜、薫の呼び掛けに佐助は即座に木枝から飛び上がった。今宵は伊佐那海と同じ布団で寝ると二人してはしゃいではいなかったか。外に佇む彼女の眼前に軽やかに着地する。夜着に濃藍の上掛けを無造作に羽織った薫は、宵闇に溶け込んでいるようでその輪郭はくっきりと浮き上がって見える。

「薫、ここに」
「物見の途中にごめんね。
…伊佐那海のこと、お礼言いたくて」

折り曲げた膝を伸ばし真っ直ぐ立ち上がると、薫の瞳が佐助の顔を捉えた。ありがとう、と見上げてくる彼女に胸の中心が波立つ。

「…否、我、任務、遂行」
「怪我は?」
「どこも、無問題」

捕らえられたアナスタシアは別として、佐助は今回の任務で掠り傷一つ負わなかった。これしきで血を流していては薫を守り切ることなど出来ない。もっと強くなるべきだ。「よかった」と胸を撫で下ろす彼女にそう伝えると、

「うん、でも私の守りたい存在の中には佐助もいるから」

と返される。月の光を全て集めたかのように輝く薫の笑み。白肌に紅が差している。佐助が首を傾げる。彼女の守りたいもの。上田の地と、民。自然。平和。城の皆。笑顔。───それらを守る、自分?

「私、いつも佐助に守ってもらってばっかりだけど、佐助のこと大切だし、守りたいって思ってるから、」
「、」
「ええと…そんなわけだから、おやすみ」

失語した。薫が身を翻す。濃藍を飾る銀糸の刺繍がまるで星屑のようだ。己を大切だという言葉が、佐助の中にとすんと落ちる。強烈な光を帯び、全身を燃やし尽くそうとする。
夜が更ける。薄い雲が時折月を隠そうと静かに動いている。寝ずの番の佐助とその部下数人以外は皆眠りに就く上田城。才蔵達の帰りにより、彼らの内は晴れ渡るだろう。

( 20120317 )

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