佐助とアナスタシアが奥州に向かうため庭を辞した後、薫はのろのろと縁側へ戻った。身体に力が入らず、床に両手を付き這い上がるようにして元いた場所に座する。伊佐那海が心配でならない。彼女を奪われることを防げなかった才蔵と十蔵も。目の前にある吾亦紅にそう言えば花を活けていたのだったと思い出す。無骨な様式の庭園とは異なる、吾亦紅を散らした中にたわわに咲く鶏頭を葉と共に飾り付けた優美な器。赤い花弁が血の色を思わせるが、不吉なことを考えたら気分が沈むと首をふるりと左右に振った。

「…つうわけで。」
「え?」

浮ついた気持ちで活け花を完成させるべきか迷う彼女に幸村が声を掛ける。正座の姿勢で花器を見ていたのがいけなかった。ゆらり近付く大きな影に薫が気付いた時にはもう遅く、腿の上に重みが載せられた。ごろん。無事膝枕を得た幸村は満足そうに頬を緩める。

「あ、にうえ!?」
「薫の膝枕はやはり気持ちがいいのう」

間近で見る幸村の笑みに妹は目を剥いた。図体の大きい彼の膝枕はとかく脚が痺れると言うのに。先程のように牽制しようと周囲を見渡すもわらび手鋏がどこにもない。何時の間にか幸村が隠してしまったのだった。二人の背後に控える六郎に代わるよう訴えかけるも、

「そのような趣味はありません」
「奇遇だな、わしもだ」
「な、…ちょっと、兄上!!」

とあっさり返される。その上兄は寝転がった体勢で煙管を咥え始めた。灰や火種が逆流しないよう上手く傾け、管を宛てがった口を開いては閉じている。のんびり煙を吐き出す様子に薫も深く嘆息した。刻み煙草の臭い。不規則に揺れる紫煙。
城の中でやきもきしてもどうしようもないことはわかっている。幸村のようにゆるりと構えるくらいが丁度いいのだろう。伊佐那海達に対する憂いと、佐助とアナスタシアへの期待で振れる心。手持ち無沙汰に脚の上にある髪を指で梳く薫に「其方は、」と兄が目尻を下げた。

「まるで煙管のようだのう」
「…は?」

幸村が脚を投げ出す。本格的に一眠りしてしまうのかもしれない。薫は眉根を寄せて彼を見下ろすが、閉ざされたまなこに仕方なく空を仰ぐことにした。ほっそりとした顎のラインが際立つ。六郎が気付かれないようそれを盗み見る。青空がどこまでも広がっていた。



18



夜が明けた。佐助は座敷牢のある屋敷に程近い森の中にいた。上田よりも北に位置し気温の低い奥州、敵襲と共にひやりとした風を凌ぐため熊の住処に身を潜める。少しずつ白んでくる空を眺めながら、彼は伊佐那海から言われたことを思い起こしていた。

「………っ」

───上田には帰らない。
彼女の真意がわからない。何故。沈んだ声に頼りない後姿。何があったのか。伊佐那海の表情豊かな目は一度も佐助を捉えることがなかった。どう出ようか彼は策を巡らせる。「なんとしてもウチの勇士を取り戻してこい」と言う幸村の下知。しかし伊佐那海に無理に帰還を強いれば嫌がるだろう。かと言って主の命は絶対であり、遂行出来ぬ自分は忍頭失格だ。伊佐那海と幸村、二人の言い分をぐるぐると考えると頭の中がいっぱいになる。ああぁぁ、と小さく呻き佐助はとうとう地に伏せた。

「………。」

帰らないという伊佐那海の意思。取り戻せという幸村の命。そして、───薫の、守りたいものを守るという誓い。彼女を傷付けることはしたくない。大事な存在を二度と失わせたりしない。伊佐那海に何かあれば薫も悲しむ、だから一刻も早く彼女を上田に連れて帰りたいのに。奥州へ向かう途中にもアナスタシアに急ぎすぎだと呆れられてしまった。伊佐那海に対しても甘いのかもしれないが、その根底にあるものは薫への誓いだった。

「───失態。」

薫の瞳の中に見て取れた強い光が自らを奮い立たせる。ぼすんと伏せた穴倉に満ちる土の匂い。もう暫くこの場所から動くことは出来ないようだった。
そして奥州の地にはもう一人、薫を傷付けたくないと思っている者がいた。

「アタシのお守りだって………お守りだったのに」

伊佐那海は自らを攫った伊達政宗を前に膝を抱え俯いた。足首に嵌められた枷が音を立てる。奇魂はお守りだ。誰にも、薫にも触れさせてはならない大事な簪。なのに、これのせいで皆が傷付いた。立ち上がった隻眼が「そうそう」と楽しげに口角を歪ませる。

「昨夜ここに忍んできた輩がおってな、ひとりは逃したが女ひとりは捕らえてある───お前がしゃべらなくてもそいつに訊くさ」
「───……。」

格子が閉まり、部屋には伊佐那海一人が残される。伊達政宗の言葉が佐助とアナスタシアを指していることは明白だった。罪悪感に苛まれる。今までに起きたこと全ての原因が自身にあった。自分のせいで。
皆に迷惑をかけている。これ以上誰も傷付けたくはない。それは、───上田で躊躇いもなく手を差し伸べてくれた薫のことも。あの綺麗な手が紅に染まることがあったら。花が咲くような笑みが消えるようなことがあったら。そのことが堪らなく怖かった。いっそのこと出会わなければよかったのにとすら思う。
涙が枯れない。伊佐那海は頬を伝う雫を拭おうとする。大事な友達の暖かな手を思い出し、またまなこから涙が溢れた。

( 20120313 )

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