左脚を上げ、右の爪先でくるりと回りながら腕を広げる。肘を曲げると同時に左脚を地に着けたら前に滑らせ、

「薫、それ後ろ。
前にこうやって…」
「前!?
え、こう…っあ、う、わわわっ、わー!!」
「薫!?」

伊佐那海の言う通りに舞っていたつもりの薫は、自らの着物の裾に脚が絡み畳の上に倒れた。どっすんと投げ出された身体に情けなさを覚える。舞は習い事の中でもいの一番に匙を投げた程不得手なものだが、豊作祝いの際に見た伊佐那海の姿に薫は舞を教えてほしいと志願したのだった。案の定動きはぎこちなく前後不覚になるし、とても舞とは言い難い所作だが、伊佐那海は嫌な顔一つせず身振り手振りを交え彼女に指導している。

「大丈夫?」
「うん………伊佐那海はやっぱりすごいね、よくこんな複雑な舞が出来るね」

強かに打った肩を摩りながら起き上がる薫に伊佐那海は笑顔になる。出雲の巫女として幼い頃から舞に親しんでいたし、踊ることは好きだった。しかし薫にだって誰にも負けない特技がある。

「アタシは薫の篠笛の方がすごいと思うよー?」

薫の篠笛は祭の日に伊佐那海も聴いていた。孔を速い間隔で叩く指に緩急を自在に操る呼吸、何より即興で旋律を奏でられる創造性。彼女のような吹き手は初めてだった。そう伝えると薫は破顔した。まるで今日の着物の柄のようだと伊佐那海は思う。水浅葱の縮緬地に黄丹や新橋色の刺繍で花を全面に散らしている。川面に浮かぶ花筏。

「…薫、お祭りの日の格好すれば転けないんじゃない?」
「え?」
「きっとそうだよー、きっちり着付けてるから動きにくいんだよ」
「え!?」

そう言って伊佐那海は水浅葱に手を掛けた。薫は目を白黒させる。合わせをがばりと開こうとする腕に後退りするも彼女も勿論追い掛けてくる。伊佐那海としては一緒に踊りたいという一心でやっているが、薫には堪ったものではない。追いかけっこの途中で裾を踏みバランスを崩す彼女に「ほらねー」と笑う伊佐那海はすっかり悪戯っ子の顔をしていた。尻餅をついた彼女にのし掛かる。困惑して伊佐那海の胸元を手で押し返そうとする薫。傍から見たら二人して暴れているようにしか見えない。

「………薫、伊佐那海、…っ何、してる」
「あ、佐助。」
「!?」

そこにぱしん、と襖を開けたのが真田忍隊の長である佐助だった。先日話があった篠笛に使う竹の件の報告と薫に渡すものがありここへ来た。同時に伊佐那海のことも探していたのだが、襖を開けた姿勢のまま彼は固まった。
伊佐那海に押し倒されている薫。必死に抵抗していたため頬が紅潮している。合わせが緩み浮き出た鎖骨とたわわな胸元が目に入る。裾も大きく捲れており、締まった踝から傷の癒えた脛、小さな膝、そして白い腿が露わになっていた。祭の時の衣装よりも際どい。伊佐那海からゆっくりと薫に視線を這わせ、最後に彼女と目が合った時、佐助は腕の中のものをぼとぼとと落としていた。

「───!!」

ぶわ、と佐助の全身が沸騰する。血液が茹だり、薫に負けないぐらい顔は赤くなる。伊佐那海に幸村が呼んでいると早口で告げ、彼は身を翻した。床を、塀を、木の枝を蹴り遠くへ逃げてしまう。

「幸村様?
何だろう、探してくるね」
「あ、ちょっ伊佐那海…!?」

あられもない様を見られた羞恥で混乱状態の薫から伊佐那海が退く。幸村様どこかなぁと部屋を出る彼女に口をぱくぱく動かすことしか出来ない。鼓動が少し治まったところで薫はよろりと立ち上がり、身なりを整え襖へと近寄った。佐助が落としていったものを屈んで見ると、小さな籠から色とりどりの花が零れている。撫子、杜鵑草、珍しい金木犀の枝を手折ったもの。暫しそれらを見つめ黙考した後、彼女の中の熱が一気にぶり返した。金木犀の香が満ちる。着込んだ振袖を肌蹴てしまいたい程の身体の暑さに薫は頭を抱えた。



15



幸村の元から戻ってきた伊佐那海に出雲へ行くことになったと聞かされ、薫は目を瞠った。何でも徳川が出雲を狙った理由を探るため土地勘のある彼女を行かせることにしたらしい。故郷と言えば聞こえはいいが、そこは敵襲から逃げてきた地でもある。馴染みの場所が残っているかどうかも定かではない。

「…大丈夫?」
「…うん………才蔵がいるから、大丈夫!!」

薫の問いに伊佐那海は目を伏せるも、すぐに明るい顔を作ってみせる。帰郷への不安はあるものの才蔵と一緒なことが楽しみなようだ。生まれてこの方上田を出たことのない薫には羨ましくて仕方ない。「三人で行く?」と無邪気に尋ねる伊佐那海に彼女は苦笑を返した。自分が行くとなると三人では済まされない大掛かりな旅になるだろう。

「本当は才蔵と二人なのが嬉しい癖に」
「、えっへへー」

頬を緩める伊佐那海に餞別の品を渡そうと薫は鏡台を探り始めた。帯留めや扇子などの選択肢から、思い人との旅なら匂い袋がいいだろうと差し出す。見た目の可愛さから城下で買い求めたが、佐助の香があるため使わずにいたものである。

「わ、ありがとう薫!!」
「簪でもいいかなと思ったんだけどね、荷物として嵩張らないから」

そう言えば伊佐那海はいつも同じ簪を挿しているなと薫は彼女の髪を見やる。装飾の真中に埋め込まれているのは本物の翡翠だろうか。間近で見てみたいと薫が手を伸ばした、その時だった。

「あ…っ!!」
「、わっ」

激しい勢いで伊佐那海が頭を押さえた。我に返った彼女はばつの悪い顔になる。誰にも触れさせてはいけないと言い聞かされている奇魂。例え大事な友達の薫であろうと。引っ込みのつかない彼女の手に罪悪感を覚えた。

「…ご、ごめん」
「?
ううん、ああでも伊佐那海の髪にはその簪がよく似合ってるね」

伊佐那海の素早い反応にきょとんとした薫だったが、すぐに柔らかく微笑んだ。奇魂のことや、───何時の間にか薫が才蔵を呼び捨てにしていること、話したいのに躊躇してしまう。花筏に乗った彼女が遠ざかってしまいそうで不安になる。もどかしさを抱く伊佐那海に、薫が「さっきのことだけど」と話始めた。無意識に肩を強張らせる。

「一緒に舞うのもいいんだけど、それよりも私は伊佐那海の舞に合わせて篠笛を吹いてみたいな、って思って」
「………え?」

新しい笛を作ってもらうから、いつか。薫が白い歯を見せる。川面が揺蕩う。いつかこの胸の内も打ち明けられる日が来るだろうか。手の中の匂い袋に混じり金木犀の香を鼻に感じる。出雲への出立は明日だった。

( 20120307 )

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