雨が降っていた。恐らく通り雨だろう、突然の曇天の直後に雨音が地面を叩く。弱った、と佐助は自室でぼんやりとそれを聞いていた。鍛錬は雨が止むまで先延ばしだ。薄暗い中で一人じっと座っていると、気分まで沈みそうになる。呼吸をする度ずきりと痛む肋。硬直が始まった初の身体を運んだ手の感触。そして、

「………佐助、いる?」
「!!」

障子の外から発せられた声に佐助は肩を揺らした。その拍子に上半身を襲う痛みに思わず噎せる。彼の在室を悟った声の主はゆっくりと部屋へ入ってきた。濡羽の着物に柿色と紫苑色、常盤色の帯を合わせた薫。初を弔った後ここへ来た彼女は真剣な眼差しをしている。

「…っ、薫?」

佐助が胡坐を正そうとすると手で制される。転んだ脚が痛むのかと問えば「違う」と返事があった。心拍数が高くなる。彼の前に立った薫は和服の裾を押さえながら腰を折り、膝立ちの姿勢になった。膝の先が触れる程の近い距離で。後退ることを許さない気迫の彼女に佐助はこの後やってくる言動を想定し、覚悟を決めた。薫が両の手を彼に向かって伸ばした。

「!?」

ごき、と佐助の首の骨が鳴る。ひやりとした掌は彼の頬を包み、真上を向くよう力を込めていた。口をぽかんと開ける佐助に覆い被さる薫。今度は鼻が触れそうな近さで覗き見られている。彼女は頬に添えたままの手を動かし、視線を泳がせる佐助の───右眼の上に置いた。彼の顔が強張る。視界が白く濁り、ぼやけたものになる。薫の震える声が鼓膜に響いた。

「…視えていないんでしょう?」
「………」

薫の手が頬から離れても佐助はその体勢のままでいた。心の臓が落ち着く気配がない。桜割の蛇に噛まれた時身体に入った毒。解毒は済ませていたがまだ左眼の視力は回復していなかった。薫は袂に手を入れ、ここに来る前に寄った場所で貰い受けたものを取り出す。目薬と噛痕に塗る薬は佐助の部下が用意したものだった。液体の入った小瓶を傾ける。大きな瞳へと垂らされた水粒が涙のように零れそうになった。

「…肋骨は?」
「手当てした故、無問題」

ならいい、と小さく漏らす薫の表情は未だ陰りを帯びている。佐助はゆっくり首を元の傾きに戻した。ずっと話に行く踏ん切りがつかないでいた。薫に言わなければならないことはわかっている。それがどんなに辛いことだとしても。

「…初のこと、すまない」

薫の大事な人を救いたかった。任せた、という視線に応えることが成すべき任だった。なのに、出来なかった。

「…佐助」
「我の咎、仕置、受ける」

初を死なせたのは自分だ。桜割を討てなかった上、その仲間である半蔵にも歯が立たなかった。佐助は自らの弱さを悔いていた。上田を守る忍として失格だと思われても─薫にそう思われることはとても怖いが─受け入れるしかないと観念していた。悲壮感を漂わせる佐助の表情に彼女は唇を引き締める。薬をしまった手で彼のそれを包み込んだ。

「自分を責めないで、佐助」
「…されど、」

侍女を喪ったことは悲しくてならない。それでも佐助を責め立てるつもりはない。寧ろ自分が素直に逃げていたらこんなことにはならなかったのではと薫は負い目を感じていた。伊佐那海を探そうとしたり、幸村と六郎に駆け寄ろうとしたからうわばみに狙われる隙があったのではと思っている。助けようとしたところで何も出来ないことはわかっている。それでも、何か出来ることがあるのではないかと自分に期待を抱いてしまう。

「…初を助けようとしてくれて、ありがとう」
「…薫…」

力が籠もる彼女の手に佐助の心が震える。自分の無力さを憂う薫。彼女は自分が大きな力を持っていることを知らないのだろうか。「ならば、」咄嗟に佐助は口を開いていた。

「我、薫の守りたいもの、守る」
「佐助、」
「薫共々、守る」

助けられないことを薫が悔やむならば自分が手を差し伸ばす。守ることを望むのなら盾になる。頬を涙で濡らす薫を遠くから見るしか出来ない自分には、もうなりたくない。

「我、強くなる。
薫、自分を責める、不可」

薫から漂う香がけぶる森を思わせる。佐助が調合した香。眉根を寄せた薫は背を丸め、佐助の肩に額を押し当てた。
空が泣いていた。雨はまだ止みそうにない。



13



地面が漸く乾いた頃、佐助は苦無を両手に外で汗を流していた。藁の人形に刃を振るい身体の感覚を確かめる。視界は少しずつ戻りつつあった。薬学に明るい部下とその者を探し当てた薫に感謝しなければならない。

「なにが守る、だ………重てえだろそんなモン!!
俺はそういうのが嫌いなんだよ!!」

途中で茶化してきた才蔵に頭突きと蹴りを入れ池に沈める。手足をばたつかせながら噛み付いてくる伊賀者を更に頭から踏み付ければがぼがぼと冷たい水を飲んだようだった。伊佐那海を守れなかったことで才蔵は腐っている。伊賀者は嫌いだし、腑抜けている者など話す価値はまるでない。それでも、薫が自分に優しく手を差し伸べてくれた、それと同じことだった。

「はいあがれ何度でも、お前必要。」

落ち込んでいる暇などない。姫の守りたいものは沢山ある。そして自分も。佐助は己にも言い聞かせるようにはっきりと告げた。

「強くなれる───誰かのために」

( 20120303 )

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