バルスブルグ帝国軍には料理兵と呼ばれる人達が存在している。
大軍を率いて遠征に向かう際、兵糧の管理と食事作りのため同行する"戦場に行けど戦わない軍人"。
「けどな、今はあちこちに部隊が派遣されているらしくて料理兵の頭数が足りないんだと」
吐き捨てるように言った料理長の言葉が頭に蘇る。
十分な人数がいなければ兵士達に食料を提供出来ない。
そこで白羽の矢が立ったのがこの食堂で働く料理人、ということだ。
来週から北のアントヴォルト国の制圧へと向かう一個師団に同行し食事を作ること、これがわたしに課せられた任務だった。
そして隊を率いるのは───ブラックホーク。
「…料理長、聞いてもいいですか」
わたしの父や料理長がまだ若かった頃は戦場で炊き出しなどもよく行っていたらしい。
今は戦闘能力皆無の料理人と軍人である料理兵との間には明確な線引きがなされているけど、昔はそれも曖昧だったと。
飛空艇リビドザイルから一歩も出なくていいと料理長が念を押してくれたから、それなりに身の安全は保証されるみたい。
けど問題は、
「…どうしてわたしが?」
ぬか床のことがばれて極寒の地送りの刑かとも思ったけど料理長を見ているとそうでもなさそうだ。
先輩方を差し置いてわたしが派遣される理由は、ブラックホークという言葉だけで容易に想像はつく。
料理長はやや間を空けて、苛々を隠し切れないといった様子で唸るような声を発した。
「………アヤナミ参謀長官様直々のご指名だ」
………ええどうせそんなことだろうと思ってましたよ。
そんなわけでわたしは今、リビドザイルで空の上を旅しつつ人一人入れそうな大きさの鍋をかき混ぜている。
正直ここに来るまでの一週間の方が地獄だった。
ここのところ暫くドルチェ担当だったからと料理長に鬼のようにしごかれた毎日。
行くからには貢献してこいと、限られた食糧と気候から最も望ましいメニューを考え、作る。
アヤナミ様の気紛れかリベンジのチャンスを与えられたのか、無様なものが出せないことだけは確かだった。
こうして、死ぬな生きて帰れもし万が一のことがあっても骨だけは拾ってやるという先輩方による無体な励ましで見送られ今に至る。
ごうんごうんと空気を裂き大きな機体が進む音が四六時中聞こえていた。
厨房の小窓から外を見れば何時の間にか一面雪景色。
こんなところで戦うなんて大変だよなあ、と思いながらわたしは持っていた巨大なおたまを置きスプーンで味見する。
濃いめの味噌味とコクを深めるために少しだけ垂らした牛乳が絶妙だ。
帆立と白菜の淡雪スープ、豚肉たっぷりのキムチチゲ、野菜を大きくカットしたクリームシチューと、この遠征では温かな汁物にバリエーションを凝らしている。
今日はいよいよ戦地に着くらしい、雪の降る中で戦った後は懐かしい味でほっこりしてほしい。
ふつふつと泡を立てる鍋を見つめながら、わたしはどこかで剣を奮っているだろうコナツのことを考えた。
料理長のスパルタ修行の所為でこの一週間は顔を合わせていない。
当然わたしが同じリビドザイルに乗りアントヴォルトへ向かっていることは伝えられなかった。
───もしかしたらコナツは、毎日のスープの味でわたしが来ていることを悟っているのかもしれないけど。
「………」
早く戦いが終わって、コナツが無事に帰ってくればいいのに。
コナツに会って色々な話がしたい。
そんな思いでわたしは、輪切りにした葱を鍋にざばっと混ぜ入れた。



アントヴォルトでの戦いは僅か数時間で終わった。
リビドザイルが着陸し、厨房にいた料理兵と一緒にこれからが本番ですねなんて話していた矢先のことだった。
数日、もしくは数週間はかかるものと見ていたからこんなに早く決着がつくなんて予想外だ。
でもそれはリビドザイルに戻ってきた軍人達がブラックホークが先陣切って突っ込んで云々と話しているのを漏れ聞いたから、コナツも一役買っているのだろう。
鮮やかな戦勝を祝して、さっきまで作っていた食事を時間より早めに提供することになった。
食堂に折りたたみのテーブルを出してお握りと汁物を直接手渡す。
目まぐるしく変わる戦況に合わせて慌ただしく食べるものだと思っていたから、落ち着いて食べてくれることは嬉しい。
とは言え用意する側は大忙しなんだけど。
「おかえりなさい、お疲れさまです」
食堂にはたくさんの人が集まり始めていて、待たせないようにとあの大きな鍋から中身を掬い器に注ぐ作業がずっと続いている。
クロユリ中佐はアヤナミ様の分も持って行き─勝手にあのソースをかけてしまわないか少し心配だけど─、カツラギ大佐は要塞でお留守番みたい。
ヒュウガ少佐は言葉の通じない双子ちゃんを連れてかなり早いうちに列に並んでいた。
双子ちゃんには器を傾けて飲め飲めとジェスチャーで伝えてみたし多分大丈夫だと思う。
そして、
「コナツ、おかえり。
おつかれさま」
「……………名前!?
な、な、何して、てかやっぱりいたの、」
コナツはわたしを見た途端、口を大きくあんぐりと開けてしまった。
確信はなかったのかと苦笑してとりあえず何も知らせてなくてごめんと謝っておく。
コナツの背後ではまだぐすぐすと涙混じりの若い軍人が俯いていて、気持ちにダメージを負っていることが気に掛かった。
「…その人」
「あぁ…まぁほっといても、いやほっといたらまずいのかな」
小声で聞いてみると曖昧な返事が返ってきたから、コナツよりも先に彼に器を差し出した。
金色のつやつやした髪に隠れた顔を覗き込むために身体を傾ける。
「大丈夫?
寒かったですねぇ」
「…は、はひ、」
「ゆっくりでいいです。
ゆーっくり、少しずつ、あったかいの飲んで落ち着いてくださいね」
「……………、」
ぼんやり焦点の合っていない目で見られ安心して貰おうと笑ってみせる。
その後で隣のコナツを見上げると放置状態が不満なのだろう、機嫌悪そうにむくれてしまっていた。
蔑ろにするつもりはないのにと内心自分の取った行動を反省する。
「………ごめんコナツ、」
「すみませんちょっとこいつ借ります」
「え、…は!?」
するとコナツはいきなりわたしの手首を掴んで自分の方へ引き寄せた。
たたらを踏みテーブルを回り込み、コナツの後ろに続いて食堂を出ることになる。
珍しく強引な仕草についていけない。
わたしの歩くペースなんかお構いなしに、コナツは闇雲に廊下を突き進み角を曲がり階段を降りた。
人気のない場所で漸く立ち止まってくれたかと思ったらすぐに低い声で詰問される。
「…何してんだよお前」
「…何って、料理兵達の手伝い」
「聞いてない」
コナツの目は敵と相対する時のように鋭くて、ものすごく怒っていることが嫌でもわかる。
そんなに何の断りもなしにリビドザイルに乗ることが不満なのだろうか。
「だって言うタイミングが、」
「大体何でお前が来るんだよ」
「何でって………やっぱり不満?」
コナツの手がわたしの手首から肩へと移動する。
まだ一人前とは言えないわたしが帯同することを快く思わない幼馴染に少しだけ悲しくなる。
迷惑かけたなぁとコナツの目を見て謝ろうと顔を上げ、そこに宿るものにわたしは息を呑んだ。
「戦地なんだよここは!!」
「で…でもここからは出なくていいって」
「名前に何かあったらどうすればいいんだよ…!?」
声を荒げる表情は確かに怒っている。
けど真っ直ぐで真剣な眼差しを見て、───コナツはわたしを心配してくれていたんだということが痛い程伝わってきた。
戦う力のないわたしを本気で案じてくれるコナツに、全身が熱くなる。
触れられている肩なんて燃えてしまいそうだ。
「…コナツ、ごめんね」
耐えきれずにわたしはコナツから視線を逸らした。
わたしが想像している以上にコナツはわたしのことを考えてくれていて、でもそのことは最近嬉しいだけじゃくて、たまに怖くなる。
「隠してたわけじゃなくて、…でもアヤナミ様の指名だったから断るわけにもいかなくて」
「…あぁ…」
「………それに、コナツがいるからわたしも行くって決めたんだよ」
「……………は?」
躊躇いがちに発したわたしの声にコナツは失語した。
コナツが小さい頃からお祖父さまに厳しい稽古をつけられてきたことはよく知っている。
彼が強いことも、彼がわたしに何かあったら助けてくれることも。
多分わたしはコナツが想像している以上にコナツを頼りにしている。
「…いや、まぁ、それはそうなんだけど、」
もごもご口籠るコナツの狼狽えように笑みを漏らすとじとりと睨まれる。
いるならいるって言ってくれないとわからないし、と呟く言葉は尤もだ。
コナツもコナツなりに毎日の食事の味にわたしの気配を見出し気を揉んでいたらしい。
「ごめんね、でもありがとう」
「………まったくもう」
コナツはいつかのようにしょうがないなと笑って、わたしの片頬を軽く抓った。
問題なく喋れる程度の、でもじんわりと痛む強さで。
「な、何で抓るの」
「…なんとなく」
「伸びちゃうよもう離して」
コナツがこんなことをする意図がわからない。
腕をぺしぺしと叩いて困ったように抗議するもコナツは、
「いやだ」
と取りあってもくれない。
まだ怒っているのかそれともわたしを虐めているのか、とにかくコナツの顔が普段話す時よりもずっと近くにあって恥ずかしい。
コナツの色素の薄い瞳には顔を赤くしたわたしが映っている。
幼馴染とのこの雰囲気に耐えられなくなったわたしは情けない声を上げた。
「えぇーコナツー…」
「………なんとなく、いやだ」
その響きが悲しくも優しくて、わたしはコナツをまじまじと見る。
見上げた表情にも同じものが見て取れた。
そんな顔に気付いてしまったら、もう何も言えなくなってしまう。
確か少し前にも誰かがわたしの頬に触れたなと思いながら、わたしはコナツにじっと見つめられるしかなかった。

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