その日は散々だった。
夕方コナツに思いを寄せる女の子達に食材を貯蔵している倉庫に閉じ込められ、カツラギ大佐に助けられ。
同時に大佐には秘伝のぬか床を少し分けて差し上げることになり。
厨房に戻るとどこでさぼってやがったと説教され、ぬか床の入った壺を─量が減ったことのカモフラージュになるかと思って─ごろんと倒してしまいましたと言った時の料理長の顔は忘れられない。
挙げ句の果てマドレーヌも作り終わらず、夜番と厨房の片付けを命じられてしまった。
「ありがとうございまーす…」
食堂を出る軍人に間延びした声を掛け、わたしはオーブンの中身を確かめた。
貝殻の型に入った生地が膨らんでいる。
これをあと二回程繰り返し数がやっとそれなりに足りる。
焼いている間に道具を洗って仕舞い、お客さんが来たらお弁当を用意しなければならない。
要塞には残業や夜勤で遅くまでいる人も多いから、夜は夜で品数多めのお弁当を出しているのだ。
「すっみっませーん、おべんと二つ、野菜少なめで」
「はい、こんばんは…あれ」
「少佐、我が儘言わないでください!!
…って名前」
密かに作っている小鍋の中のものの様子を見ていると、厨房と続いているカウンターから陽気な声を掛けられた。
慌てて振り返ったわたしの目に棒付き飴を舐めたサングラスとそれを嗜めるコナツの姿が飛び込んでくる。
二人で仲良くお弁当を買いに来たところだった。
「コナツ、ヒュウガ少佐。
遅くまでお疲れさまです」
「もうもうコナツの所為で疲れちゃったよー、今日のメニューは何?」
「それは少佐が仕事をしないからです!!
名前もお疲れ」
呆れているような怒っているようなコナツに苦笑が漏れる。
上司のヒュウガ少佐はコナツ曰くかなり自由な人らしい。
「今詰めるんで少し待ってくださいね、今日は鶏の唐揚げ南蛮風です」
「何それ美味しそう!!」
唐揚げと聞いてはしゃぐ少佐はなんだか子どもっぽくて、可笑しさに頬が緩む。
黒酢ダレに潜らせた唐揚げの上に、ゆで卵を潰して作ったタルタルソースを載せる。
野菜少なめという言葉を無視して海老とトマトのマリネに茸の和風炒めを放り込んだ。
隙間に隠元豆の胡麻和えを詰め、件のぬか床で漬けた蕪を薄くスライスする。
ご飯は健康を考えて五穀米だ。
「…うえぇー野菜いっぱい…」
「大丈夫です、わたしが作ってますから味は保証します」
途端に唇を尖らせる少佐を受け流しわたしはお弁当の蓋を閉じた。
持ち帰り用の袋も用意して二人に尋ねる。
「まだお仕事が終わらないんですか?」
「オレの分は終わったからあとはコナツが頑張ってくれるって」
「…まぁ、その、そういうわけ」
あはーと笑う少佐の隣でコナツは項垂れた。
その下がった肩があまりに不憫で、たまにはコナツを休ませてくださいねと詰めたお弁当を差し出す。
ヒュウガ少佐はわたしをじいっと見下ろし、
「やだ。」
と相好を崩した。
「!?」
「だってオレにはそんな可愛いこと言ってくれる子いないんだもーん」
「寧ろそんなこと言ってるから誰も寄って来ないんですよ…?」
それは僻みと言うのではと突っ込みたい気持ちを抑え、わたしはコナツの分のパックにも同様のものを詰め始めた。
真面目なコナツは今の少佐の反応で爆発しそうになっている。
よくこの人の幹部補佐が務まるよなぁと思いながら、夜更けまで残業だろうコナツのために何とか力になれないかと思案した。
「…あ、ちょっと待ってて」
コナツにも唐揚げ弁当を差し出し、わたしは厨房の奥へと踵を返した。
マドレーヌの前に焼いていた甘さ控えめの円形のクッキー。
明日の分にはマロンクリームを挟もうと思っているけど、その中から数枚拝借する。
さっきまで密かに小鍋で煮詰めていた賞味期限ぎりぎりのコンデンスミルクを箆で混ぜると、粗熱も取れ強いとろみがついていた。
「わ、すっごい甘い匂い」
「かなり甘いかもしれないんだけど、エネルギー源になるからこれ食べてもうちょいがんばって」
薄茶色のクリームをバターナイフでクッキーに塗り、もう一枚でサンドにする。
ドルセ・デ・レチェのクッキーだ。
ラッピング出来るものがなかったため紙ナプキンで包むという即席もいいところ。
だけどコナツの顔がみるみるうちに晴れ渡っていくから、わたしも幸せになる。
「ありがとう、この前から貰ってばっかりだね」
「まぁ料理人の特権だよね。
これは賄い用に作ったクリームだし、クッキー数枚なら味見代ってことで。
そんなわけで少佐ごめんなさい、これは残業するコナツにだけしかあげられません」
「えええー!?」
目の前で製品が出来上がっていく様子にすごいねぇすごいねぇと感心しきりだった少佐は、きっと自分もこれを食べられると思っていたのだろう。
でもこれはあくまでコナツのために作ったものだ。
愕然とする少佐に形ばかりの詫びを述べ、コンデンスミルクを再び奥に置きに行く。
少佐は手ぶらでカウンター前まで戻ってきたわたしに抗議の声を上げた。
「ずるいよそんなの、贔屓反対!!」
「がんばっている方へのほんのサービスです」
「コナツのこと甘やかしちゃダメだよ名前たん!!」
「少佐!!
名前のことまでそんな風に呼ばないでください!!」
「…?
は、はあ」
名前たんという呼び方も気になったけど、わたしは少佐の言葉に違和感を覚えた。
甘やかしているのはコナツがわたしを、だと思っているんだけど。
わたしがコナツに甘いように見えるのは、例えば先日のホットサンドだったりこのクッキーだったり何かと餌付けめいたことをしているからだと思う。
物質的なところはともかくとして、精神的には随分とコナツに支えて貰っているのに。
周りからすればそう取れるのかなと頬を掻くと、すいと長い腕が目の前に延びてきた。
「───え、?」
腰を屈めわたしの頬に触れたのはヒュウガ少佐だった。
コナツは横であんぐりと口を開けている。
少佐の指が頬を滑り、一瞬のうちに離れていった。
「………あは、本当にかなり甘いね」
わけがわからずにきょとんとするわたしに向かい、少佐は触れた指を自らの口に含む。
ちろり見える舌と挑発するようなサングラス越しの瞳。
試しに少佐に撫でられた頬の辺りを擦ってみると、
「、クリーム…!!」
「まるで名前たんみたいな味だね、ごちそうさま」
頬を掻いた時にクッキーに挟んだクリームが付いてしまったらしい。
それを拭われ、剰え舐められたことにぶわわっと顔が熱くなる。
わざと音を立てて指を口から離す少佐はわたしをからかっているんだと頭では理解している。
それでもあんなことをされたら、思いを寄せる人じゃなくても胸が五月蝿く鳴ってしまうだろう。
少佐はもうばっははーいなんて呑気に手を振りながら食堂を出ようとしていた。
コナツは険しい顔で口をはくはくと動かしている。
後に残されたわたし達の間に流れる空気は気まずいもので、今日は散々な一日だったという思いを余計強めることになった。



その次の日。
「…名前、ちょっといいか」
「はいっ」
料理長に手招きされたわたしは作業を中断して休憩スペースへと駆け寄った。
瞬時にぬか床のことが頭を過ったけど、多分そのこと絡みならこんなに冷静ではないだろうと思い直す。
スペースの真ん中に置かれた大きなテーブルに料理長が座るのを待ってからわたしも椅子を引く。
心なしかその顔は暗い。
わたしの名を呼ぶ声も固く、返事が掠れてしまった。
「…出動命令だ」
「…はい?」
料理長は溜息混じりに、料理人としては聞くはずのない内容を告げる。
出動をするのは軍人であり、わたしはこの食堂が職場ではないのか。
首を傾げるわたしに料理長はエプロンのポケットから一枚の紙を取り出した。
「今度のブラックホークの遠征に、お前は料理兵の手伝いとして帯同することになった」
「……………はい!?」

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