ここホーブルグ要塞の食堂は毎日たくさんの人が利用するため、仕入れる食材の量も膨大なものだ。
新鮮な野菜に肉や魚の生鮮食料品、米に小麦はどれだけ使用しているか全くわからない。
食材はほぼ全て厨房の裏口から階段で降りたところにある倉庫に保管されている。
食料泥棒は流石にいないにしろ─ばれた時の料理長はそれはもうあのアヤナミ様を凌駕する恐ろしさだと知られているから─、倉庫の入り口には簡単なパスワードが設けられていた。
決められた単語をザイフォンという文字の帯で発生させ認証機と照合させると鍵が開くシステムだ。
単語は料理人として要塞に勤務している者しか知らないから、軍人達は入り込めない。
───ただ、"入り込めない"にしても"閉じ込める"ことは可能なのだった。



「………やられた」
薄暗い部屋の中、わたしは壁に凭れずるずると座り込んだ。
ちょうど夕食時より少し前、明日のランチセットで出すマドレーヌを作るため砂糖を補充しようと倉庫に足を踏み入れようとした時だった。
機械に向かってザイフォンを発し扉が開いた瞬間、わたしは背中を思い切り突き飛ばされた。
予想していなかった衝撃に情けなくもべしゃっと床にお腹を打ち付けてしまう。
「!?」
「…あんた、コナツくんとべたべたして生意気なんだよ!!」
そんな怒りの声が聞こえ、床に転がった体勢で振り向こうとするより早く扉が動き出している。
長い髪に軍服姿のシルエットが複数、それも扉が閉まりあっという間に見えなくなった。
なす術もなくその光景を眺めていると、外で蔑むような汚い笑い声が聞こえてくる。
それはやがて足音と一瞬に遠ざかり、静寂に支配された空間にわたしは一人取り残された。
「…嘘でしょ」
痛む肋骨を押さえながら立ち上がり扉の方へと近付く。
この倉庫は中から扉を開けられず、外で開錠したら扉を開けたまま作業を行わなくてはならない作りだった。
試しに隙間に手を入れ力任せに引いてみるもやっぱりびくともしない。
ここから出て犯人をとっちめ─否、マドレーヌ作りという本来の職務を全うしなければならないのに。
犯人はとうにわかっている。
コナツのことが好きな子達だ。
彼と仲良くなってあわよくば恋愛関係に発展したいと思っている女の子は、幼馴染のわたしを敵視している。
それはわたしがコナツと仲がいいことに加え、女の子達のアプローチにコナツが一向に靡かないことが原因だった。
わたしさえいなければコナツは女の子に気持ちが傾くと妙な勘違いをした子からの突撃を受けることはよくある。
けど倉庫の前で待ち伏せて中に閉じ込めるなんてことは初めてだ。
「………やられた」
途方に暮れたわたしは壁に凭れ、そのままぺたりと座り込んでしまった。
とりあえず誰かが来るのを待つしかない、ひんやりした倉庫の中で膝を抱える。
「…マドレーヌ…」
今作れなかったら徹夜コースかとげんなりする。
これもあのけばけばしい女の子達と─あの子達を歯牙にもかけないコナツが悪い。
コナツは剣の腕も相当だし人当たりもいいしかっこいいらしいしとかく女の子から人気がある。
それなのに何かにつけて接近しようとする子を適当にあしらうから、好きの気持ちから憎しみが発生してしまう。
しかも質の悪いことに、その憎しみがコナツ本人ではなく幼馴染のわたしに向けられるのだった。
けど、勘弁してという思いとは裏腹にこのことをコナツに言うつもりはない。
言ったら多分気苦労が増えるし、これ以上心配をかけることが嫌だった。
コナツは何だかんだでわたしのことを考えてくれている。
先日の食堂でのことだって、わたしが軍人に手を挙げるのを阻んでくれた。
コナツはわたしを守ってくれるし、甘やかしてもくれる。
それをわかっているから、更に心配の種を増やしたくないなと思っているんだけど。
最近はコナツのことを考えると、心臓の辺りに落とされたマスカルポーネクリームがどんどん塗り広げられていく感覚がする。
甘くてふわふわして、この前作ったストロベリーティラミスみたいな少し酸っぱい味。
こんなことを考えるわたしはドルチェ頭というかスイーツ脳になりつつあるのかもしれない、そろそろサイドメニュー担当にでも戻して貰えないかなと膝の間に顔を埋めようとした時。
「、」
ざざっと誰かの足音が近付いてきた。
外の人に閉じ込められていることを伝えなきゃと扉を叩く。
少しの間。
そしてがしゃん、と鍵が開く音がした。
さっきの子達が戻ってきたのか、それとも他の人物が開錠したのか。
「…料理長?
先輩?」
ゆっくりと扉が開かれる。
暗い倉庫の中からは眩しい外は逆光でしか見えず、辛うじて腰に剣を下げた上背のある軍人が一人いると判別出来た。
「…あ、いや………コナツ?」
「残念ながらそのどなたでもありません」
聞こえてきた声は耳馴染みのないもので、わたしは警戒しながら立ち上がる。
背を屈め軍人さんが倉庫へ入ってきた。
明るい外に目を凝らしていたから顔を判別するまでに時間がかかる。
まじまじと見てみると、垂れ目で唇の端に黒子がある─確か、
「え…っと、カツラギ大佐…?」
「覚えていて貰えるとは光栄ですね」
カツラギ大佐は一瞬目を瞠った後にこっと微笑んだ。
ブラックホークの一員で、料理上手で温厚で頼りになる人。
「コナツからよく聞いていますので。
あの、何故ここに?」
「ちょうど歩いていたら女子隊員達が話しているのを聞いてしまったんです。
倉庫が云々やら、"コナツくんの幼馴染、これで懲りればいいのにねぇ"やら…悪いことをしている人の顔だったのでぴんときまして」
「あぁ…」
「なので力技で少々強引に開けさせてもらいました」
そんなことを話していたのならもう間違いなくクロだ。
あの子達の詰めが甘くて本当によかった。
頻りに倉庫の中を気にする大佐に礼を言うと、更に目尻を下げ笑う。
「いえいえ、…あ、ではよかったら何かお礼の品でも」
「はいっ!!」
わたしの給料であげられるものは限られているけどお礼なら喜んでしたい。
何が欲しいかと大佐を見上げると、さっきからずっと倉庫の一点をじいっと見ている。
「?」
「…ぬか床を」
予想外の言葉に眉を顰める。
大佐が注視しているのは、わたしもまだ触ったことのない年季が入った壺。
「あのぬか床、少し分けてもらえませんか?」
「えぇ!?」
わたしは思わずさあと顔を青くした。
倉庫内に木霊する声に口を押さえ、小刻みに首を横に振る。
あれは要塞が出来た頃からあると言われている壺だ。
料理長が毎朝直々にかき混ぜているあのぬか床は、分けるどころか触ることすら許されない。
「むむむ無理ですそれだけは」
「おや、それは残念。
…ではコナツくんにもこのことを、」
「わ、わああ待って!!」
料理長が激昂する姿が目に浮かぶ。
同時に、コナツのこめかみに立つ青筋も。
目の前のにこやかなカツラギ大佐の顔、どっちにも知られたくないわたしが取るべき行動は。
「……………このことは、絶っ対誰にも言わないでくださいね」
「ええ、勿論です」
どこからか取り出した小壺片手に頷くカツラギ大佐に、わたしは心の中だけで溜息を吐く。
これが"悪いこと"をしている人の顔ですかとぼやくと、大佐はますます笑みを深めた。

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