ことの起こりは五日前、わたしが例の青空ソースで倒れた時に遡る。
あの時近くに幼馴染のコナツがいたらしく、空の彼方に意識を持っていかれたわたしを医務室へ運んでくれた。
回復するまで数日かかり、ホットサンドとコンソメスープを持って参謀部直属部隊─ブラックホークの部屋を訪れることが出来たのが昨日。
毎日随分遅くまで残って仕事をしているし、お礼も兼ねての差し入れだ。
琥珀色のコンソメはたくさんの材料のエキスを含んだ豊かな香りを帯びていて、保温ポットからマグカップに移すとコナツの笑顔が緩む。
ホットサンドはかりかりのベーコンにトマト、火を通した卵を焼いたパンで挟んだ。
「名前、ありがとう」
「いえいえ、こっちこそ助かりました」
礼を述べた後邪魔しちゃ悪いからと執務室を出ようとした───ここまではそれはもう非常によかったんだけど。
その時、視界の隅でゆらりと影が揺れた。
コナツとわたし以外に部屋に人がいたと気付いた瞬間、わたしは思わずフリーズする。
「あ、アヤナミ様。
お疲れさまです」
「………貴様は誰だ」
泣く子も黙る、血も涙もない、鬼で怪人で魔王、参謀長官アヤナミ様がこちらをじっと見ていた。
噂でしか聞いたことがなかったアヤナミ様が近くにいることに思考が停止する。
コナツは何てことないように挨拶しているけど、初対面のわたしが感じる圧力は相当なものだ。
「食堂で働く料理人の名前=苗字です。
私の幼馴染です」
「………あ、お、邪魔してま、す、」
絶対零度の視線は憤怒する料理長なんか目じゃないくらい恐ろしい。
去るタイミングをすっかり失ってしまったわたしがぽかんと立ち尽くしている中、アヤナミ様がコナツのデスクへ歩み寄ってきた。
山のような書類の間に置いた食事に興味を示している。
「…これは?」
「名前が持ってきてくれました」
アヤナミ様がコンソメスープの入ったマグを手に取る。
腰を折り軽く顔を左右に動かしながら匂いを嗅ぐ仕草は流石麗しい─クマのイラストが描かれたマグカップだけど。
続いて─余りもので作った─ホットサンドをじっと見、アヤナミ様は目を細めた。
「名前=苗字…と言ったな」
「は、はい」
その声色にコナツも何かあると感じ取ったのか、表情を引き締め立ち上がる。
素早く幼馴染の背中に隠れ、軍服の背を軽く掴むわたしにアヤナミ様はふっと息を吐いた。
「明日、ここまで昼食を持ってきて貰おうか」
「………はい?」
そして踵を返すアヤナミ様。
コナツとわたしは引き攣った顔を見合わせる。
実はこういったことは業務のうちで間々ある。
ランチミーティングや歓送迎会をしたいという人達の注文で、料理人が軍人の執務室へ食事を持って行くデリバリーサービス。
大体前述のように大勢から依頼を受けるわけで、個人の注文は極稀なこと。
しかも、
「…名前…アヤナミ様が普段何を食べていらっしゃるかオレも知らないんだけど…」
「ええええ何作ればいいの!?
霞?生気?生き血?」
「馬鹿お前呪われるって!!」
少しでも苦手なものを出したら即座に首が飛びそうな相手なのに嗜好が全くわからない。
さくっと死刑宣告を下されてしまったわたしは即座に食堂に戻って料理長に泣きつき、そうして今日を迎えたわけだ。



「…セコンド・ピアット、蒸した舌平目とほうれん草にパルミジャーノ・レッジャーノを塗しオーブンで焼いたものです。
付け合わせはキャロット・ラペ、軽く炒めて柚子胡椒風味に仕立ててあります」
ぱりっと糊のきいたコック服に身を包んだわたしは広い部屋にアヤナミ様と二人きり。
緊張を抑えられないままクロシュを開けるとほわっとチーズが香る。
昨夜料理長と残っていた先輩と一緒に考え、これなら大丈夫と言われ送り出すメニュー。
正直に言うとここまで───全敗です。
アンティパスト盛り合わせも、プリモ・ピアットのボロネーゼも、アヤナミ様は1/4程しか食べてくださらない。
何故全部食べない、何がいけない、お気に召さないのかそれともとんでもなく小食なのか。
死ぬな生きて帰れもし万が一のことがあっても骨だけは拾ってやるという先輩方の無体な言葉が蘇る。
この部屋に入る前に顔を合わせたコナツの不安そうな表情が脳裏に浮かぶ。
アヤナミ様は舌平目を何回もゆっくりと咀嚼し、飲み込み、ナフキンで口元を拭った。
「…もういい、次」
「………はい………」
結局舌平目も数口で敢え無く撃沈、殆ど手を付けられず綺麗な状態で残ったお皿を下げる。
遠くの地域では料理の完食は足りないことを示すため残す行為をマナーにしているらしいけど、この場合食べ物それぞれ味見するような食べ方の結果残しているわけで。
やっぱり口に合わないのかなと悲しい気持ちになってくる。
メインを下げ、ダージリンと一緒に出したのは今日のドルチェ。
「アイスクレームブリュレとココナッツのラングドシャです。
パッションフルーツのソースと一緒にお召し上がりください」
今はドルチェを担当しているからと料理長の力を借りずに自分で決めて作った渾身の一皿だ。
卵黄とクリームをコクのあるカスタードにして凍らせ、上に砂糖をバーナーで焦がしカラメルの膜を作ったクレームブリュレ。
ラングドシャはさくさくとした食感が特徴で、そのままでもクレームブリュレを乗せても食べられる。
カットフルーツをプレートの上に散らばせ、ソースで曲線を描いた後ミントをトッピングすれば見栄えもいい。
アヤナミ様はココットをじっと見た後スプーンの背で表面をこん、と叩いた。
カラメルをぱりぱり割りながら食べてほしいと思っていると、その眉が興味深いとばかりに持ち上がる。
そしてスプーンを勢い良く垂直に突き下ろし、
「!?」
ばりっとカラメル部分を割り砕いた。
サディスティックな面を見てしまった衝撃で一気に背筋が寒くなる。
ココットから飛び散った細かい破片にアヤナミ様はほう、と感嘆だか落胆だかわからない息を吐いた。
そうしてゆっくりスプーンを口に運ぶ様子を、わたしは逃げ出したい気持ちを抱きながら眺めていた。



暫くの後、げっそりした顔で部屋から出てきたわたしをコナツが出迎えた。
蛇行するサービスワゴンの動きを止め心配そうに様子を伺ってくれる。
「名前、大丈夫か?」
「…コナツー…」
幼馴染の顔を見た途端緊張の糸が緩んだらしい。
じわっと涙が滲むわたしに隊員の皆さんが集まってきた。
「田舎に帰らせていただきます…」
「はぁ!?」
「なになに、どったの?
アヤたんにしては長いご飯タイムだったけど」
サングラス姿のコナツの上司が楽しげに話しかけてくる。
ぱかぱかとクロシュを開けてはほぼ中身が残ったお皿に目を瞠られた。
メニューを考えてくれた料理長、一緒に作ってくれた先輩、本来の仕事を代わってくれた同期に申し訳が立たない。
完食して貰えない自分が情けなかった。
項垂れるわたしの視界が─ひとつだけ、空になったココットを捉える。
サングラス越しの瞳と髪を後ろに流した男性も同じものをまじまじと見た。
「…ふむ、まぁアヤナミ様は小食ですからね」
「そうそう、気にしない気にしない」
妙に和やかな二人に手を振られてしまったら、もうわたしは厨房へ帰るしかない。
肩を落としワゴンを動かすわたしの背をコナツが支えてくれた。
大きな手が緩い力で歩みを押してくれる。
「全部食べたのは一皿だけか…」
「…ん、ドルチェ」
「でもましな方だって、前菜だけで追い返された人もいるって聞いたことあるし」
「………んー………」
後ろ手に扉を閉めたコナツがその手でわたしの首の付け根を撫でる。
もっと甘えたい気持ちになってコック帽を取ると、苦笑しつつ頭をよしよししてくれた。
アヤナミ様が何だかんだでドルチェまで召し上がったのは、わたしがコナツの幼馴染として力量を試されていたのかそれとも甘党なだけか。
戻ったら何と説明しようと溜息を吐いたわたしはしかし、ふとある考えに行き着いた。
前菜だけで帰される人もいる、いつもより長いランチタイム、クレームブリュレのカラメルを崩した時の顔、そしてあれを作ったのは。
「…コナツ」
「ん?」
───ドルチェだけじゃなくて、全てを。
もし、もしも、自分だけで考えたメニュー、自分だけで作った料理を持ってこいというメッセージだとしたら?
「………アヤナミ様に伝えてほしい」
勿論全て憶測でしかない。
それでも心臓が大きく音を立てる。
コック帽をぎゅうと握り締めコナツを見上げる目から涙はとっくに乾いていた。
認められたい人がいる、それはきっとコナツも同じことで。
視線を合わせた幼馴染に、わたしは震えそうな口を開いた。
「…またのご注文お待ちしてます、って」
「………」
コナツは暫く目を大きくしてわたしをじっと見た後、仕方ないなというように柔く微笑んだ。

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