ところで、このホーブルグ要塞には調理場がいくつかある。
まずは勿論食堂内でわたしが働いている厨房。
オーク一族やミロク前元帥などのお抱えシェフが使用する厨房もいくつか存在している。
そしてもう一ヶ所、軍人達の宿舎に設置されている共用のキッチンだ。



ある非番の日、わたしはその調理場へと向かっていた。
軍人ではないから多分使用を認められてないのだけど、夜食のカップ麺用のお湯を沸かす為だけに使われているなんて余りに勿体無い。
食材さえ持ち込めば後は全て自由に使用出来る、広くて綺麗な調理場はわたしにとって格好の練習所だ。
これでもかと買ってきた材料が入った袋が手に食い込む。
今度から配置換えでドルチェを主に任されることになったから、手早く作れるように慣れておきたいと滅多にない休みなのにこうしてここへ来た─こんなことしてるから身体がいつも休みを欲して悲鳴を上げることはわかっている。
今までもランチセットのプリンは手掛けたりしていたけど、これからは人気の「エンジェルババロア苺ソースがけ」も作らせて貰えるらしい。
あとは季節のフルーツを入れたロールケーキにラズベリーの果肉を混ぜ込んだチーズタルト、豆乳のブラマンジェに黒胡麻ソース。
どれから作ろうかなと逸る気持ちでキッチンへの扉を開けると、
「あ」
「…あ」
先客がいた。
しかも、軍服にふりふりの白エプロンを着けた軍人だ。
上背があって逞しい人がミスマッチな格好で生クリームを泡立てている光景はシュール過ぎて、来るべきでなかったのではと一瞬気が遠くなった。
「あ、どうぞ、あの、私のことはお構いなく」
「………は、はあ」
新妻みたいなエプロンの軍人さんはあたふたとわたしを中へと拱いていて、とりあえず警戒しつつお邪魔することにした。
学校の調理実習みたいにコンロと流しがいくつか設置されているからなるべく離れたところに陣取ることにして───彼が作っているものをちらと見た刹那わたしは目を剥いた。
膨らみ方もきめ細かさも秀逸なスポンジ、マジパンで作られた精巧な動物達、正確無比なフルーツの飾り切り。
クリームの泡立て方からして相当な手練れだ。
「…あ、あの…?」
気付けば食い入るようにその手捌きを見ていたらしい、軍人さんが怪訝な顔でわたしを横目で見下ろしていた。
はっと我に返り笑って誤魔化してみる。
「…素敵なデコレーションケーキですね」
「ありがとうございます、実家がケーキ屋なものですから」
軍人さんははにかみながら手を止め、わたしに真っ直ぐ身体を向けてくれた。
慣れた手付きはそういうことかと納得して、いっそ弟子になって色々教えてもらいたいと思う。
折角だし隣で作ろうかなと袋をもう一度持ち上げながらわたしは尋ねた。
「どなたかのお誕生日ですか?」
「そういうわけでは、…ただ」
軍人さんは少し困ったように微笑む。
聞けば知り合った人が何を食べても味がよくわからないと言うらしい。
「…味覚障害、ですか」
「その方は何にでも殺人的な味のソースをかけて食べるんです」
「…殺人的…?」
そんなソースどこで用意したと突っ込みたくなったのだけど、つまりこの人はその知り合いに美味しいと言ってもらいたい一心でケーキを作っているわけで。
自分の作ったものを喜んで食べてもらいたいという願いがこめられているケーキからは、とっても甘く優しい香りが漂ってくる。
「…わたしには」
この方の性癖についてはこの際置いといて、どこか親近感を感じたわたしは一人でに口を開いていた。
取り返しのつかない、幼い頃の思い出。
「同い年の幼馴染がいるんですけど、その子のためによくご飯を作ってたんです。
父が料理人だったので見よう見まねで。
…でも砂糖を入れるところを敢えて塩にしてみたり、お味噌汁にヨーグルトを混ぜてみたりと今では考えられないようなことばかりしていました」
「………それはまたすごいですね」
───そう、コナツの味覚が人とちょっと違うのはわたしのせいだ。
小さい時、まだ料理のいろはも知らないうちから父親に無断でキッチンを使っていたわたしは目に付いた材料を手当り次第放り込んでいた。
子どもの目には父がそうしているように見えたらしい、使うものを予め出して用意していたなんて知る由も無かった。
そうして出来たものをコナツに食べさせた結果、
「…彼の味覚も崩壊しました」
「………」
漸くことの次第を知った父がウォーレン家に謝罪に行き、別に命が危険に晒されたわけではないからと大らかに許してもらったものの暫くキッチンへの出入りは禁止された。
今でこそとんでもないことをしてしまったと思っているけど、あの時から父のようになりたいと思っていた。
父の作った料理で人が笑顔になる。
わたしも、自分が作る料理でたくさんの人を笑顔にしたい。
そのたくさんの人の中で一番に思い浮かぶのは、コナツだった。
「彼に美味しいって笑って貰えることがわたしの幸せでもあると思ってるんですけどね…ってごめんなさい、喋り過ぎました」
ずっと手が動いていなかったことに気付きそそくさと材料を取り出す。
初対面の人にここまで自分のことを話すなんて滅多にない、けどこの軍人さんが愚直に一途にケーキを作っていたから、そこにわたしが無意識に思うところがあったのだろう。
なんだか照れくさくなって俯いて支度を始めるわたしに、軍人さんは目を細める。
大きく頷く彼の穏やかな表情は、師でもある父を思わせるものだった。
「でもあなたは彼に食べてもらいたいと思いながら作った。
彼もあなたが作ったものを食べたいと思って食べた。
結果はどうであれいい幼馴染じゃないですか」
「………はいっ」
コナツは今でもわたしが作る料理を選び、食べ、美味しいと笑ってくれる。
だから、それをモチベーションにしてもっとがんばろうと思える。
さて、今日は何を作ろうか。
大切な幼馴染のことを考えながら、わたしは手早く準備を整える。



数週間後。
わたしは食堂のセルフコーナーに置くデザートを補充していた。
ケーキは作ってお皿に載せるまでがとかく忙しく、お昼休みの食堂が混む時間帯は比較的身体が空く。
杏仁豆腐よりもチョコレートムースの方が売れてるなと減ったお皿を数えながら需要を確認する。
「こんにちは」
「?」
ふと横から聞き覚えのある声を掛けられ顔を上げると、前に調理場で会った軍人さんが微笑んでいた。
その節はどうもと会釈したわたしの視線はしかし、彼の肩に座っている小さな軍服姿に釘付けになる。
ピンク色の髪にうさぎのピン、ぱっちりとした目がこちらをじっと見下ろしていた。
「…えぇと、その、隠し子…」
「な、違いま…」
「………お前」
よもやと怪訝な顔で聞くと肩に乗った子どもがわたしを呼び、ポケットから何かを取り出し投げてよこした。
慌ててキャッチした小瓶にはドクロのマークとスカイブルーのとろりとした液体が入っている。
「お前、ハルセのトモダチでシェフならこれ使ってお菓子作って」
「…これは?」
え、ハルセさんってエプロンの人の名前なのトモダチって言っていいのかなそしてこの液体は一体。
軽く混乱するわたしに子どもの軍人ちゃんは青空ソースだと得意気に笑う。
それだけで全てのパズルのピースがかちりと嵌った─味がわからないと言う軍人さんの知り合い、そして殺人的な味のソース。
どう反応していいのかわからずハルセと呼ばれた人を見上げると、頬を引き攣らせ軍人ちゃんを宥めていた。
「クロユリ様、これはこの方が扱うものではないですよ」
「ええー?」
しかしこの"青空ソース"、何で出来ているんだろう。
沈殿物のないソースは液体だけを混ぜたのかそれとも何度も漉した上澄みをすくったものなのか、こんな色はどうやったら出来るのか。
気になって仕方がなくなったわたしは、ハルセさんの顔色がソースと同じぐらい青くなっていることに気付かず徐にきゅぽんと蓋を開けた。
「あ、ちょ…!!」
「───!?」
途端、ぐわんっと頭が揺れた。
目の前がばちばちして、鼻腔から脳天を一気に雷が突き抜ける。
「…っ」
天然か人工かもわからない異臭が五感を麻痺させる。
きんとする耳鳴りと誰かがわたしを呼ぶ声が混ざった音を聞きながら、力の抜けた身体が斜めに傾いた。
後に聞いたところ、蓋を開けてから意識を失うまではほんの数瞬だったとか。
人を瞬殺させる青空ソースの中身をわたしは未だ知らない。
そして、倒れた後交わされたやりとりについても何も知らされていない。
「ちょ、え、名前!?」
「あれー、コナツの知り合い?」
「私の幼馴染です、しっかりしろ名前!!
今医務室に連れてくから!!」
「この方の幼馴染が………ははあ、成る程」

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