時々、疑問に思うことがある。
白い帽子に白いシャツ、白いボウタイ、白いエプロン。
料理人の制服は何故こうも純白に包まれているのだろう。
清潔さを第一とする生業だ、汚れ一つない白は安心して料理を食べて貰えることに繋がると言われれば頷くしかない。
しかし、わたしは思う。
睡眠はおろか休む時間も削りまくり果たして何人いるかも定かではない軍人達の胃袋を満たすために激務をこなしていれば、このコスチュームには無数の染みが付いてしまうじゃあないか、と。



「すいませーん、日替わりひとつ」
わたしの職場は要塞だ。
要塞と言っても岩や山で出来た天然ものではない、バルスブルグ帝国第一区に人の手で作られたホーブルグ要塞と呼ばれる場所。
わたしはここの食堂に料理人として勤務している。
名前=苗字、まだまだ駆け出しの三年目、食材の仕込みばかりやらされる見習い扱いから漸く抜け出せた頃。
ここの料理長だった亡き父の意思を継ぎ、日々粉骨砕身ぎりぎりの状態で働いている。
「はいっ、お待たせしました」
今日の日替わりランチはわたしが現料理長立ち会いの許で煮込んだビーフシチューだ。
厨房と続いているカウンターの前には多くの軍人がトレイを持ち並んでいた。
見渡す限り黒の軍服、要塞に勤務する人間の約70%はこの食堂を利用する。
残りは自宅から弁当を持って来たり要塞の外へ食べに出ているけど、ボリューム満点なものからヘルシーメニューまで取り揃えている食堂はやはり利用率が高い───中にはオーク一族のように専属シェフを雇い腕を奮わせる人間もいるわけだけど。
「日替わりもうひとつー!!」
今日は皆大好きなビーフシチューだからか日替わりの売れ行きが頗る良い。
ライスかパンを選んでもらい、更にサラダかデザートをセルフコーナーから取っても250ユースと安価なところも魅力の一つだろう。
櫛形に切った玉葱、形を揃えた人参、そして今にもほろほろと崩れそうな牛肉。
焦げ茶に輝くルーに包まれたそれらを丁寧にお皿へ流し入れる。
自分の作ったものを多くの人に食べて貰える、料理人にとって至福のことだ。
「?」
しかし。
居並ぶ列の中に不穏な影が横切ったところをわたしは見逃さなかった。
トレイに乗ったビーフシチューをうきうきと見つめるブロンド。
なかなかに細身でそこそこに端正な顔の男は迷うことなくデザートコーナーへ歩いて行き、あるものを手に取った。
「───ストップ」
瞬間、思わず声が出ていた。
厨房の中も未だ捌ききれていない行列も何事かと言ったようにわたしを見る。
「ストップ、ストップ、すとーっぷ、そこのプリン持った奴」
それでも通常より低いわたしの声は止まらない。
カウンターから身を乗り出しブロンド頭をじとり睨み付けると、男─コナツ=ウォーレンは振り返り悪びれもせずにこりと笑った。
「…なんでわたしが魂込めて作ったビーフシチューの上にプリンを乗っけようとしてるのかなコナツくーん…?」
「名前、目敏いね」
「目敏いねじゃなーい!!」
お皿の上のプリンをふるふると揺らしながらコナツは厨房の方へと戻って来る。
この男とは実家が通りを挟んだお向かいさんで所謂幼馴染、物心つく前からよく二人で遊んでいた。
特殊な力を持つウォーレン家としがない料理人一家のうちではそれなりに格差はあったものの、コナツのお祖父様にはわたしもよくしていただいた。
稽古の後差し入れを持って行ったり、忙しい父に代わり家族旅行に招待してくださったり。
幼い頃から一緒にいたこの男とは恐らく将来要塞で顔を合わせることになると予想していたけど、会えばその度仕事を忘れ二人してすっかり"昔からの馴染みの関係"に戻ってしまうことは難点かもしれない。
「どうしたの名前、プリン食べたいんだけど」
「うん、プリンを食べるなとは言ってない」
「これ名前が作ったんだろう?
狙ってた」
コナツの変なところはビーフシチューにプリンといった突拍子もない組み合わせの食べ物を混ぜて食べたがることだ。
食堂で─一応周囲の目を気にしているのかこそこそと"ちょい足し"を施そうとするコナツを怒鳴りつけることはしょっちゅうある。
更にもう一つ、何故か豊富なメニューの中からわたしが作ったものを瞬時に見分けることが出来るらしい。
バニラビーンズたっぷり、丁寧に漉したカスタード液をとろ火で蒸したふるふるプリンは昨夜わたしが仕込んだものだけど、コナツにはそんなこと一言も言っていない。
食べ物を見ると伝わってくると言うコナツの妙な勘と、それを食べたいと思ってくれる気持ちは嬉しくて少し擽ったい─だがしかし、ビーフシチューとプリンをフィーチャーするのは明らかに間違っている。
「でも食べるのと混ぜるのは違うじゃん」
「胃の中に入っちゃえば同じだろ」
「味覚の問題だばか───」
「おいこら名前、口じゃなくて手動かせっつってんだろ」
ああ言えばこう言うコナツに苛つき声が高くなり出したところで、料理長が漸く間に入った。
厳つい顔で鬼のように厳しい料理長は父の後輩で、勿論わたしにも容赦ない。
「す、すみません」
「早くしろ、まだまだお前のビーフシチューを待ってる奴らがうじゃうじゃいんだからな」
ドスの効いた声にカウンター越しに言い合っていたコナツを一瞥してわたしは鍋の前へと戻る。
コナツはまた怒られたと何てことない風に肩を竦め、軽く口角を上げてみせた。
「名前、いただきます」
「…どうぞ、召し上がれ」
憮然とした表情で返すと、コナツはひらひらと手を振り席を探しに厨房から見えない範囲まで行ってしまった。
再びビーフシチューをよそう作業に戻るわたしに料理長が近付く。
「…しかしあの坊主は毎回奇抜だな、あんな悪食家なかなかいねぇよ」
「そうですね、…まぁわたしが蒔いた種ですが」
「?」
感心するように腕組みする料理長にわたしは苦笑した。
幼少の頃が原因でコナツの味覚が多少他の人と違うことになったと話したらきっと呆れられる───このことはまた後で詳しく話すとして。
赤ワインのいい匂い漂うビーフシチューはきっと完売だと頬を緩ませながら、わたしは鍋の中をかき混ぜた。



時々、疑問に思うことがある。
料理人の制服は何故こうも純白に包まれているのだろう。
その度に思い出す出来事は働き始めて一ヶ月が経った頃、想像を遥かに超える忙しさにふらつきながら裏庭に座り込んだ時のことだ。
「…もうむり」
朝は誰よりも早く厨房を開け野菜の下拵え、倉庫内を整理する力仕事は押し付けられ、鍋やフライパンといった器具は綺麗に洗い食器を磨き、帰りも次の日のメニューを確認して準備出来るものは取り掛かると常に追い込まれていた。
油染みや生鮮ものから垂れた汁、よくわからないうちに付着したソースで制服はよれよれで。
この制服を着るためにがんばっていた、筈なのに。
すうと気持ちが空っぽになっていく。
疲れに任せて泥のように眠ってしまいたかった。
「…名前?」
円筒形の帽子を転がし思い切って裏庭の芝生の上にごろんと横になろうとしたのと同時に、わたしは背後から声を掛けられる。
ゆっくり振り向くとそこには久しく顔を見ていなかったコナツがきょとんとした表情で立っていた。
ぴしり着こなした軍服が新鮮で、緩く笑いながら質問する。
「…何してんの」
「こっちが聞きたいよ、オレは少佐を探しに」
仰向けになる前の座り込んだ姿勢に合わせコナツも腰を下ろす。
士官学校に入る前の一人称に戻っているなとぼんやり思いながらコナツと視線を合わせ、そして気付いた。
半分閉じかけた目でもわかる、幼馴染は前より白く、また細くなり─寧ろ窶れている。
「…大丈夫?
ちゃんと食べてる?」
コナツはわたしの問いに心配するなという風に笑ってみせた。
白い手袋に隠れた指がボウタイを摘まむ。
「随分汚れてるな」
「…ん、今日洗濯する」
ボウタイに袖口、エプロンと染みが付いた部分を見てはふっと笑うコナツになんだか恥ずかしくなる。
汚れの目立つ白い制服でくたびれたわたしと、皺一つない黒い軍服を着たコナツは正反対で。
何で裏庭みたいなところにいるのかわからないけどきっとがんばっているんだろうなぁ、と気持ちの折れそうな自分と比べてじくじくとしたものが胸を覆いそうになったその時。
「名前が頑張ってる証拠だな」
「、え?」
「これだけ汚いってことはその分働いてるってことだろ?
オレにはわかるよ」
優しい声とぽん、と頭上に感じた掌の感触にに一拍置いてからわたしは顔を上げる。
コナツは既に立ち上がっていて、ヒュウガ少佐ぁー、そろそろ出てきてくださーいと何やら叫びながらわたしから遠ざかっていた。
頑張ってる証拠、というコナツの言葉を心の中で繰り返し、時折よろめいている彼の背中を見る。
「…汚いって…」
コナツがしてみせたようにボウタイを摘み、恐らく野菜の茹で汁が飛び散った跡に苦笑する。
ぐっと力を入れ立ち上がったわたしには、ある決意が生まれ出ていた。
もう何の迷いもない、あの厨房でメインを任せてもらえるまで─あわよくば父の後を継いで料理長になるまで、この白を汚しながらがんばろうと決めたのだった。
───コナツにわたしが作った食事を食べて貰う。
わたしにとっての制服の白は、そんな意味がある。

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