風がそよぎ、綿雲がふわふわと漂う。澄み切った空が季節の移ろいを告げていた。教室に籠って授業を受けるなんて勿体ない、誰もがそう思う日だった。

藤城学園は自由な校風で生徒の個性も多種多様だ。勉強に勤しむ人も、授業をサボる人もいる。後者は裏庭や空き教室に身を潜めたり、校外に出たりもするらしいけど、私はひたすら上を目指して階段を昇る。三限目が始まるチャイムを遠くに聞き、特権で手に入れた鍵を回した。途端、私を光の洪水が包む。

わあ、と感嘆の声が一人でに漏れた。窓ガラスがなくなり更に鮮やかに感じられる青。絵の具をそのまま垂らしたような雲の白に、コンクリートに含まれる粒子があちこちで陽を反射していた。私だけの最高の屋上の光景は、授業をサボって来た価値がある。

敷地の真ん中で仰向けに寝転がれば、直ぐ様太陽が目を焼こうとする。瞼を閉じてもその裏に浮かび上がる丸い影。乾いたコンクリートは程よく温かく、風は爽やかで、しかも目を閉じている。ふつふつと眠気が湧き上がるのも仕方ない。大きな欠伸をひとつ、屋上の鍵を持つ数少ない人間が訪れることはないと判断した私は、誘いに抗わず夢の世界に旅立とうと身体の力を抜いた。


「…名前さん、起きてください」
「…うー…?」

眠りに落ちる間際だったか、それとも僅かながら寝ていたのだろうか。突如感じた気配に肩の辺りが強張った。眩しい陽射しが何かに遮られていると瞼越しに認識する。緩んだ感覚が戻っていくのを確かめながら私は目を開けた。視界に飛び込んできたものは、


「………守部くんだ」
「あなたの所為で僕が真山先生から何と呼ばれているか知っていますか」
「んー…知らない。何て?」

オリーブがかった色の柔らかそうな髪。制服は上のボタンまで留められ、ネクタイも隙なくきっちり締められている。逆光の中でもわかる顰め面。質問を質問で返すと、守部くんはいかにも嫌そうだという低い声でこう答えた。


「…苗字係です」

2年A組の学級委員長、生徒会副会長、そして苗字係。たくさん肩書きがある守部くんに笑みが零れた。私係とはなんて素敵な役職だろう、確かにこのクラスメイトには毎回サボりを阻まれている。陽光を隔てるように顔を覗き込む守部くんは、まだ笑っている私に更に眉間に皺を寄せた。寝顔ならとっくの昔に見られている。確か、生徒会の仕事で遅くまで残っていた時だ。


「よりによって真山先生の数学をサボろうとするなんて何考えてるんですか…」
「じゃあ数学以外ならいい?」
「そんなことは誰も言ってません!!さあ、授業に戻りますよ」
「守部くん、起こして」
「嫌ですふざけないでください」

守部くんに向かって腕を持ち上げてみるもあっさりと躱された。再び太陽が姿を現す。眩しさに仕方なく自力で背を起こし、次いでゆっくり立ち上がった。来た時より太陽が上天に昇っている。授業中でもお構いなしに私探しを任命された守部くんは早く教室に戻りたいとそわそわしていたが、伸びをする私を見て「あああ、」と大きな声を上げた。


「ああもう!!制服が汚れてるじゃないですか!!こんなに砂埃が!!」
「あ、ほんとだ」

直に寝ていた背中を振り返ればところどころ砂の白い跡が残っていた。ブレザーの裾をはたいてくれる守部くんに倣いスカートを揺する。首を捻ったままの私に、掃除と洗濯が好きだという珍しい男子が捲し立てた。


「曲がりなりにも女子なんですからもっと身なりに気を使ってください!!」
「曲がりなりにもって守部くん…」
「ほら髪だってこんなに乱れて、」

酷い、という二の句は告げなかった。下ろした髪に守部くんの手が伸びる。絡んだ小石を指先で掬い、ハネを直すように肩へと落ち着かせる。真剣な表情。眼鏡の弦の一点が陽を弾く。背中にじりじりと感じる気配。私の視線に気が付いたのか、守部くんが髪から眼へと焦点を移した。

小さく息を呑む音が聞こえた。繊細で優しい手つきが急速に遠ざかる。「すみません」と慌てた様子にかぶりを振り、私は守部くんから身を離した。触れられなかったところを手櫛で整え、頬の熱を誤魔化すように苦笑する。鼓動が速い。


「…毎度ご迷惑おかけしてます」
「全くです、…もう早く行きましょう、授業が終わってしまいますよ」

私とお揃いの屋上の鍵をポケットから取り出し、守部くんが私を促す。スマホで時間を確かめると、授業開始から15分程度しか経っていなかった。私が席にいないと悟った真山先生が即座に守部くんを遣わせたのだ。そして私係はほぼ一直線に屋上へと走ったのだろう。全く息切れしていない背中。恐るべき包囲網。

スマホのロック画面には如月くんからのラインが表示されていた。「サボりか?先生怒ってんぞ」。やっぱり。ノートを見せてもらっている立場として申し訳ない。どうせすぐ教室に戻るし返信しなくてもいいかもしれない、そんなことを考えていると、ぐっと空いている方の手を引かれてたたらを踏んでしまった。手を引かれて。…手を、引かれて?


「…も、も、ももも、守部くん!?」
「何ですか、どもり過ぎです」

この場に私と手を繋げる人は守部くんしかいない。呼吸が止まりそうになる。髪に触れられた時より力強い、大きな掌。それに導かれ私は為す術もなく屋上を後にした。引っ張られるがまま日光を背に受け、扉を押さえてくれている守部くんに従い踊り場へ。気持ちいい快晴を勿体無いと思う余裕もない。音を立てないよう鍵を掛ける間も守部くんは私を解放しなかった。薄暗い校舎に入っても赤い耳朶がはっきりと見える。


「…別に私、逃げない」
「わかっています。…けど、もう少しだけ、僕に捕まっていてください」

教室に着くまでの間だけでも。守部くんの手の先がうごめいて、指を絡めるように繋がれる。屋上であらゆるものが陽を反射していた光景が蘇った。目の周りで小さな光が踊っている。私を見つけて授業に連れ戻すという係の役目を、守部くんは超越しているとしか思えなかった。だからと言って文句が口をついて出る気配はない。

授業中の静かな階下。校舎内でもグラウンドの喧騒が微かに聞こえてくる。まだ寝ぼけているのでなければ、全て別世界で起きていることのようだ。心臓は煩いし足は上手く動かないし、そろそろ私は階段を踏み外すかもしれない。

守部くんは知っているのだろうか。私が生徒会役員に立候補した理由も、屋上に来た訳も。こんな風に触れられたら、私が自惚れてしまうことも。不真面目で手がかかると言いながら、守部くんは決して私を放って置かない。だから、私は守部くんをつい困らせてしまうのだ。如月くんへのラインの返信も真山先生に怒られるなんてことも頭の隅に追いやって、半歩前を行く後頭部にこう問い掛ける。


「守部くん」
「はい」
「…守部くん」
「何ですか、聞こえています」
「もうちょっとゆっくり歩きません?」
「!!」

がったん、と守部くんが足を踏み外す音が校舎に響いた。


20140608/title thorn

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