夏の嫌いなとこ。暑さ、宿題、虫の多さ。特に8月は蝉やら蛾やらえらい発生するさかい、外に出るだけでも一大事や。
それと、学校のない間は女の子になかなか会えへんことも恨めしい。男子寮と女子寮は離れた場所に建っとるし、気軽に行き来できるもんとも違う。
そんな中、近くのコンビニに出掛けた。午後のいっちゃん気温が高い時間帯、もわっと膨らんだ空気をかき分けて校門を潜る。太陽と地面の照り返し、両方から焼かれるんはフライパンの上の魚より酷い。歩き始めてすぐ汗が滲みだした手で俺はスマホをタップした。
"暑さで溶けてへん?アイス買うて来るけど一緒食べる?"
送信完了。何もせんと部屋におったら、暫く顔を見てへん子が無性に心配になった。コンビニなら歩いて5分程度やし、涼しい店ん中で返事を待ちながら立ち読みでもしようと考える。あの子に似たモデルが表紙の雑誌は、もう置いてへんのかもしれんけど。
歩きながら、ポケットの中が震えた気がした。日陰で立ち止まって目を凝らす。いつもより暗く見える画面に表示された名は、ついさっきメールを送った相手やった。暑さで茹だった血が身体を巡り、煩い蝉の声が遠くなる。それからすぐ、俺はコンビニよりももっとずっと遠くにあるスーパーまで走ることになる。

「志摩くんごめんね、急に電話して」

京都訛りのない声は、何度も聞いとる筈やのにまだ慣れへん。レジを通り過ぎたカート置き場の近く、名前ちゃんは大きな荷物を両手に持ち途方に暮れた顔で立っとった。
スーパーのビニール袋は指に食い込んで痕になる。ちーちゃくて白い、悪魔に触れたことのない手からそれらを引ったくろうとして、ふと思い留まった。「す、すぐ戻る、堪忍な」あかん、今の俺汗だくや。名前ちゃんからの電話を受けたらのんびりなんかしてられんかった。冷房が効いてそうなとこで熱冷まししてから、今はアイスよりこっちやとペットボトルを2本手に取ってレジへ。

「これ、学校でもよう飲んどるやろ」
「あ…うん、ありがとう」

大きい方の白い袋と冷たいミルクティーを交換すれば、名前ちゃんは困った風に眉の端を下げた。丈の長いワンピースとゆるっとしたカーディガン。初めて見るかいらし私服に、走った後の緩んだ筋肉が一層だらしなくなりそうや。
べたついた手でスポドリの蓋を開けて思い切り呷る。額の汗はもう乾いた。好きな子の前ではかっこつけたいなんて見栄で、潤した喉から優しく問い掛ける。

「どないしてんこないな大荷物、買い出しか?」

名前ちゃんがうーんと言葉を濁す。ここのスーパーはコンビニより遠いけど、品揃えはええし特売もようやっとる。せやかて、1人でこないぎょうさん食材を買い込むもんやろか。気になった俺は袋の合間から中身を覗き込んだ。小麦粉と、1リットル牛乳。うわ、重いもんばっかやん。視線の先に気がついた名前ちゃんが小さく苦笑いする。

「ケーキをね、作ろうって思って」
「…ケーキ?」

袋の中身がわかった途端、腕にかかる重さが増した気がした。冷たい空気が肩にのし掛かる。名前ちゃんの話の先、買い物の理由を聞いたら、俺は足の裏から地面にずぶずぶ沈んでいくんとちゃうか。そう思った。

「…誕生日、だから」

誰の、なんて聞かんでもわかる。名前ちゃんの赤うなった頬。張り合うつもりあらへんけど、俺の方がよっぽどずっと一緒に過ごしとる。坊。あんな厳ついとさか頭、なんでやと声を上げたなる。なんで名前ちゃんは、坊を好きになってもうてん。
スーパーには苺が置いてへんかった。この辺で評判のケーキ屋は長い長い盆休みに入っとる。とりあえず要る材料だけ買うてから、俺のメールを見た名前ちゃんは電話を掛けたらしい。「私も今外にいるよ」なんて声を聞けた時は、嬉しかってんけどなあ。

「ようわからんけど、他の果物じゃあかんの?あー…ほら、桃とか」
「桃だと水分が多くてべちゃってしそうで」
「ほな缶詰のみかんでええんちゃうか?」
「…志摩くん、それ食べたいと思う?」
「………」

缶詰のみかんは嫌いじゃないけど、そんな安っぽいケーキはあげたくない。名前ちゃんが口を尖らす。じゃーどないすんねん。坊のことで意固地になっとると思うと切なくなった。
気まずい空気のまんま結局スーパーを出た。自動ドアを抜けるとまた熱気に吹かれて汗が吹き出そうになる。重たくて指に食い込む袋、あっちこっちで飛び回っとる羽虫も、名前ちゃんの悩ましげな横顔も。考えんようにしとこ思うのに、纏わりつく暑さが煩わしいことを頭の外に出さんようにしとる。名前ちゃんのサンダルと俺のビーサンがぺたぺた鳴る音が重なって、また少しずつずれる。蝉の声はいつまでも止まへん。
優しいとこに惹かれた。名前ちゃんは坊のことをそう言うとった。坊は目つき悪いし言い方も乱暴やし、おっかないってよう誤解されとる。せやけど、名前ちゃんは学校の坊を見ただけで優しいと見抜いた。坊の全部を知らんのに、好きになった。
熱されたアスファルトの上を並んで歩く。道の端に背を焼かれとる蝉がおったけど、何も見んようにする。俺一人やったら泣いてたわ、と恐怖と同情を覚えながら車道を横切ろうとすると、

「…スーパーってもっと歩いたとこにもあるよね、広いとこ」
「え?」
「売ってるかも、苺」

ふたつだった足音が俺のもんだけになる。数歩進んでから後ろを振り返って、名前ちゃんがびたっと立ち止まっとることに気がついた。ゆらゆら揺れとるおっきな眼。
名前ちゃんの白い腕が太陽に晒されとる。髪は光を浴びて鼈甲色に透けて見えた。後れ毛が垂れる首筋に汗が流れる艶かしい幻覚に眩暈がした。せやけどこれ以上外におったらそれは間違いなく現実のもんになる。

「いやいやいやいや」
「荷物は自分で持つから」
「尚更や、熱中症なったらどないすんねん!?」

なんで俺を呼んどいて1人で行こうとすんねん。暑さにあてられて苛ついた口調になる。行かせたない。名前ちゃんが坊のために頑張るとこなんて、見たない。

「苺のケーキやなくてもええやん?こういうのって何あげるかやなくてあげようとする気持ちが大事やん、な?」

説得しとんのか励まそうとしとんのか、自分でもようわからん。子どもの我儘と同じやってことは頭の奥では理解しとる。名前ちゃんの気持ちを汲まんとなんやかんや言うて、でも肝心なとこは隠したまんま。坊が名前ちゃんのことをどう思うとるかやって、怖くて聞けへんのや。好きな子のことになると、なんでこないなヘタレになるんやろ。

「………じゃあ、コンビニだけ。少し寄らせて」

ゆらゆら揺れとった名前ちゃんの目が俺を通り越して遠くを見る。視界が眩しくて名前ちゃんがどんな顔をしとるんか判別が難しい。怒っとるか悲しんどるか、呆れとるやろか。手を翳して目を眇めて見るなんてでけへんかった。
車道を渡ったところには、俺が最初に行こうとしとったコンビニ。熱を溜め込んだ道路がゆらゆら揺れとった。
呑気なメロディーが流れる店に入るとひんやりした空気が降りてきた。ほっとした息が漏れる。脛が痒いんは蚊に食われたんやろな。名前ちゃんと別れてふらふら歩いとるとつい成人向けなんて書いてある方に足が向いて、見られたらあかんと思い留まる。
頭がよう働かんわ。こない気にしてもしゃーないんちゃうか。名前ちゃんはほんまに、坊のことよう考えとるし、よう見ようとしとる。坊に向けられとる気持ちを俺の方に向かせようと気張ってももう無理やろな。第一、面倒なことは嫌やし。負け戦に足突っ込む主義はない。
水着姿のグラビアアイドルが並んだ一画を眺めて溜息が出る。こないなこと、今まで何遍だって考えたわ。好きな子を好きでいることは、やめたくても簡単にやめられるもんやない。名前ちゃんに似たモデルが表紙の雑誌は、やっぱり見つけられへん。

「志摩くん」

もう一遍溜息を吐いた後、名前ちゃんが俺を呼ぶ声がした。自動ドアの前で袋をふたつ持ってこっちを真っ直ぐ見とる。立ち姿も声も、好きやなあ、と思うてから近寄った。
コンビニのロゴが入ったちっちゃめの袋に手を突っ込んだ名前ちゃんは、そっから何かを取り出した。渡されたもんを受け取れば冷やっこさにびっくりする。ゴリゴリ君が、もう汗をかいとった。同じもんを早速開けとる名前ちゃんが目をきゅって細めた。

「アイス一緒に食べるってメールで言ってたし、ミルクティーのお礼も兼ねて」

それに、虫がいっぱいいるから一人で帰るの怖いでしょ。首を傾げながら自動ドアを出る。冷たい風と熱気が混ざる中、名前ちゃんはゴリゴリ君の包みとコンビニの袋をまとめて外のゴミ入れに捨ててもた。
多分、諦めたわけやない。名前ちゃんかて俺と一緒な筈やから。同じことがちとこそばゆくて、えらい辛い。

「…怖いです」
「やろ?」

わざとらしくていとおしい声は、やっぱり何度も聞いとる筈やのにまだ慣れへん。おおきにと答える俺に名前ちゃんがまた笑う。袋をばりっと開けたら中身はもう溶け始めとった。あかん、名前ちゃんのむごい優しさに浸っとる場合やない。
慌てて定番のソーダ味を齧る。焦げてちりちりする腕の上に溶けた汁が垂れよって、名前ちゃんが慌て出した。2人して両手が塞がっとる状況に袋の重さも忘れて笑えてくる。気休め程度の時間と冷やっこさはいつもよりも甘ったるくて、胸が痛かった。

20130820/title spoon

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