階段を降りた突き当たり、扉をゆっくりと押す。微かな紙のにおい。天井まで届きそうな書架に囲まれているのに、不思議と圧迫感はなかった。一定に保たれた空調が夏の暑さに慣れた身体には心地良い。
書籍の間を通り抜けて閲覧スペースの最奥へ。窓側に座った私が机上に置いたものは、音楽プレーヤーとCDのケースだ。イヤホンで耳を塞ぎ、歌詞が書かれたカードを取り出す。タイトルを確認しながら再生ボタンを押した。ガラス越しに届く陽射しが眩しい。

「…ここは図書室です、先輩」

不意に、本当に唐突に、片耳の蓋をこじ開けられた。風の強い日に閉め切っていた窓を開けたときと同じことが小さな世界で起きている。静寂が流れ込んだ後、聞こえてきた声に心臓が止まりそうになった。

「…っ!?」
「音楽を聴く場所ではありませんよ」

どうも、と淡白な挨拶をする水色の髪。黒子テツヤの影の薄さはいつも私を驚かせる。人差し指に引っ掛けたコードを無造作に零して後輩は隣の椅子を動かした。暴れる脈を落ち着かせながら私は机に積まれた本を眺める。知らない横文字の作者、最近賞を獲った作家の初期の作品。しゃかしゃかという音が虚しく片耳をすり抜ける。

「…いつからいたの」
「先輩の顔がだらしなくにやけ始めた頃からです」
「!?」

慌てて頬を押さえた拍子にもうひとつのイヤホンも外れた。図書室の空気がより鮮明になる。先輩を先輩と思っていない物言いだろうと今の私には怒る余裕がない。そんなにはしゃいだ気持ちが顔に出ていたのだろうか。複雑にうねるベースライン。細かいスネア。少し掠れたボーカルの声にも。ジャケットの抽象画をまじまじと見る黒子君に説明する。

「…好きなバンドの新譜。
ずっと好きで、何年かぶりにアルバム出たから、嬉しくて」

昨日、予約していた分を引き取りに行ってからずっと聴いていた。それだけでは飽き足らず、通学途中も、こうして放課後も、約1時間の物語を繰り返している。プレーヤーを止め、イヤホンの片方を差し出した。素直に受け取る黒子君を確かめてから一曲前へ。
もうひとつのイヤホンは私の耳に収まっている。二人で同じ音楽を半分ずつ分け合う。軽快なリズム。自由に動くギターが曲を彩る。流行りに惑わされず好きな音楽をマイペースに奏でる彼らは、どこか黒子君を思い起こさせた。

「…先輩、こういう音楽が好きなんですね」

黒子君と私の繋がりは頼りなく、そして細いものだ。バスケ部員でも、図書委員でもない。ただ図書室を─勿論本来の目的で─よく利用していて、リコと同じクラスというだけで、どういうわけか顔を合わせれば会話を交わすようになっていた。黒子君からは随分辛辣な言葉を貰うこともあるが、お互いのことに深く突っ込むまでには至らない間柄はすごく気楽だ。学年が違うから頻繁に顔を合わせないし、わざわざ待ち合わせたりもしない。そんな黒子君とこうして好きな音楽を共有していることがなんとなく、擽ったかった。

「趣味じゃない?」
「…よくわかりません、あまり音楽を聴かないので」

歌詞カードから顔を上げないまま黒子君が小さく首を傾げた。簡潔な言葉達をまるで書籍の文字をなぞるように丁寧に追っている。色素の薄い髪が空調の柔い風に揺れる。
憎らしい程曖昧な答えだ。両耳で聴けるようイヤホンを渡すべきかアルバムごと貸すべきか、判断が難しい。ただ、今はどういうわけか、このイヤホンのようにか細いものでも黒子君と繋がっていたいと思ったのだった。音が途切れ、次の曲のイントロが始まる。黒子君が机の上で両腕を組み、頬を乗せた。

「…でも」
「?」
「先輩の好きなものを知れて、ボクは嬉しいです」

伏せた顔を上げて、黒子君が私を仰ぎ見る。目の前の表紙が開かれることはない。ドラムの音が遠ざかり、どこか遠くで鳴っている。空を閉じ込めたような色の瞳が、私も捕まえようとする。まなこを細めて、狙いを定めるように。思わず目を逸らせば抜けるような青が広がっていた。結局塞がっていた私の両側。今まで味わったことのない感覚が駆け抜ける。
友達よりも素っ気なく、知り合いと呼ぶには踏み込んでいる。黒子君と私の間にある曖昧さが明らかになった時、どんな音が聴こえるのだろうか。目を閉じて片耳の世界に意識を集中させる。黒子くんの気配を以前よりもはっきりと感じる中で、物語が繰り返される。

20130731

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テーマ「人外ファンタジー」
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