あれを火遊びと言うのなら、きっと程度としては指のさきをちょっと焦がしたぐらいのものだろう。
そもそもあれが火遊びなら、わたしのこいびとは地獄の業火に包まれているにちがいない。悪びれもせず他の子と会っていることなどとうに知れていた。咎めず罵らず健気さを演じることもないわたしは、彼にとって都合のいい女だ。何も言わない理由は、修羅場になったら面倒だと思うのと彼がわたしに執着しないと明らかになることが嫌だから。意気地はないのにみじめな意地だけはあった。そして彼に対する情もまた、わたしの中に存在していた。

「お…っと、なーに残ってんの」

赤々とした夕陽を浴びながら、わたしは教室にひとりきりでいた。何をしていたわけでもない。強いて言うならば、来る見込みのないひとを待っていた。
やって来たのは隣のクラスの高尾くんだった。顔が広い彼はわたしの待ちびととも付き合いがあり、その繋がりで接点を持つようになった。「忘れもん取りに来たら人影があったから」と高尾くんが教室へ入る。時計の針は17時すぎを指していた。
これ以上待っても無駄だ。彼は忘れものなど気にも留めず、前に見たのとは違う子と帰っているのだろう。もう帰ると告げて立ち上がる。高尾くんの頬がひくりと動く様子が視界の端に見えた。鞄を両腕に抱える。

「もうやめときな、あいつのこと」

落ちていく。揺らめきながらゆっくりと、気がついたら高度を下げている。わたしのこころはまるで太陽になったようだった。いくら顔が広くても高尾くんは知らない。やめられたらどんなに楽だろう。指先から立ち昇る煙のようにはいられないのだ。
熱を発して燃えさかる内側に煽られて高尾くんを見据えた。わたしを守るように抱き込んでいた鞄を片手で持つ。「やめ、る?」明かりの点いていない教室で、高尾くんのまなこがぎらぎらとした光を放っている。バスケをしているときのような、鋭く、獲物を捉える眼。鷹を前にしてわたしは余りにも無防備過ぎた。「そ。んで、」高尾くんに引き寄せられる。

「オレにしとけって」

噛みつかれるのではないかと戦慄した。高尾くんの眼は焔のようで、その激しさでわたしの身が焼き尽くされることを想像したのだった。
期待は見事に裏切られた。押し当てられたくちびるはひどく優しくて、そろりと肌が粟立つ。貪るでも奪うでもない接吻にわたしはただただ戸惑った。まぶたの裏が赤に染まる。
くちびるが離れた途端わたしは駆けだした。口元に指で触れれば火が燃え移る。物足りなさが見え隠れする顔を悟られてはならない。こいびとのことは最早頭になかった。彼と同類の多情を寸でのところで押しとどめる。
廊下に飛び出す間際、教室を振り返る。赤々とした夕陽を浴びながら、高尾くんの影がかげろうとなり揺れていた。

***

わたしの端部を焦がした日から数月、家庭科の授業で調理実習があった。
キャラメルとバナナを混ぜたマフィンのほとんどは作り手の胃に収まらない。誰にあげるかを打ち明けてはわらうクラスメイトが甘い匂いを漂わせた。わたしは廊下を逸れて教室とは別の道しるべを作り出す。
こいびととは少し前に別れていた。
終わりにしたいと告げるのに何の勇気も要らなかった。燻っていたものはほんの一息で鎮まったのだ。反応も思っていたとおりのもので、わたし達の交際は呆気なく終焉を迎えた。
それでよかった。執着されなかったことに安堵さえおぼえた。あの慈しむような優しさを持ったくちびるに触れられて以来、意地も情も灰塵と帰してしまったのだ。わたしは随分と脆くなってしまった。指のさきの火傷が広がり、わたしを侵食する。

「それ、自分で食っちゃうわけ?」

裏庭の死角になる位置に設けられたベンチにて包んだマフィンのひとつを齧っていると、高尾くんに声をかけられた。背の低い草をさざめかせながらやって来る。鷹はわたしのまとう香りまで嗅ぎ分けられるのか。膝の上に置いていたもうひとつのマフィンを差し出す。じゃああげる、というわたしのぞんざいな言い方に高尾くんは盛大に吹き出した。

「そんな乱暴にくれても傷つくわー」

喉が渇く。マフィンはやけに甘ったるい。傷ついた様子など見受けられない高尾くんはわたしの目の前に立った。弧を描いたまなこの奥に潜む獰猛。ワイシャツが風にはためく。高尾くんに差し伸べていた手首を掴まれた。手の中にあったマフィンがごろり、と零れた。

「こっちがいんだけど」

まぶたの裏に赤が蘇る。高尾くんの眼はわたしの顔の一点に注がれていた。咀嚼ができなくなる。高尾くんは腕を伸ばしてわたしが座るベンチの背を捉えた。わたしの中に火柱が立つ気配がする。これでは大火傷だ、と思いながら、思惑通りの展開に満足する。もちろん高尾くんはわたしの破局を知っているし、わたしは高尾くんが不実でないことを知っていた。

「二度目は優しくなんてしねーよ?」

微かに焦げた甘い香りが絡みつく。あの日の優しいくちびるの記憶が淡く煌めき、わたしを疼かせた。ごくりと喉がなる。逃げる気など毛頭もない、ただおとなしいだけの獲物を前に、高尾くんは楽しそうにまなこを細めた。

20130421/海辺よりロッドユールの食卓さまへ提出

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