扉を開けた鍵を玄関脇の定位置に戻そうとすれば、耳障りな音を立てながら床へと落ちていった。
ブーティを脱ぎ散らかしてワンルームの部屋へ上がりこむ。ぐるりと巻いたマフラーを解いて投げた拍子に鞄が肩からずり下がった。持ち手を捕まえることが出来ない程疲れていたのだった。開いた鞄の口からスマホが零れ、廊下の上を滑って止まる。それに目もくれず慣れた闇へと飛び込む私を部屋のベッドは柔らかく受け入れてくれた。
それから数分経ち、再び聞こえた扉の開閉に微睡みかけていた口元が緩んだ。

「…おいコラ、帰ってんだろーが」

キーホルダーが揺れる高い音に機嫌悪そうなぼやきが混じる。今日はいつもより来るのが早い。それはつまり、それだけ私の帰りが遅かったということだ。いつも彼はロードワークを終えてからこの部屋を訪れる。
早く大人になりたい。校舎の中に閉じ込められていた頃はそう思っていた。今は漸く手に入れた自由を享受しながら付随する責任も背負っているし、選んだ仕事は忙しくとも充足感に満ちている。それでも毎日充電を使い果たしてふらふらと家に戻る私は、流行りのお掃除ロボットのような生活をしていると時々思う。
周囲を片付け綺麗にしているわけではない。電池が一杯になれば翌朝また外に出るし、充電途中でも時間が来たら出勤する。大人になったらそんな生活がずっと続くのだ。早く大人になりたい。そう思っていたのに現状に複雑な感情を抱えているのはきっと、まだ大人とは言えない愛しい存在に出会ったからだろう。

「電気ぐらい点けろダァホ」

合鍵を渡す関係になった年下の彼氏が溜息を吐いている。荷物置いとく、という声に私は薄目を開けた。マフラーは壁のフックへ、鞄はソファの上、スマホは充電トレイへとそれぞれ収まっている。玄関のブーティも揃えられているだろう。彼が持ち物のあるべき場所を熟知するまでにそう時間はかからなかった。ぼんやりと浮かび上がるシルエットを眺めていると、私の弱い視線に気付いた順平が眉を顰めた。

「うん、おつかれ、順平」
「…名前もだろ」

トレーニングウェアの擦れる音がベッドへと近付く。さっきよりも鮮明に見える顔からは複雑そうな感情が窺えた。瞼を閉じるかのようにゆっくりと視界に落ちる影。走って来た後の順平の手は温かくて気持ち良い。掌を私の頬に添えながら、順平が片膝をスプリングに乗せていた。
会話が多い方ではない。気のない返事をされる時、順平の頭の中は私の話ではなくバスケのことで占められている。そのことに不満を抱く程私は子どもではない。彼は彼で自分が大人ではないことを知っているから、私がどんなに疲れて帰ってきても何も言わない。それでも暗がりの中でそっと、私が剥がした分身を集めるのだ。目を瞑って掌の感触を肌で受け止める。バスケットボールもこんなに慈しむように持つのだろうか。順平の優しさは例えるならまるで、

「…おかーさん」

途端、順平が頬をひくりと引き攣らせたのが瞼越しにもわかった。
部活ではみんなをまとめるキャプテンだし何も言わなくても世話を焼いてくれるし、母親の役割に似ているんじゃないかな、なんて遠のきそうな意識で考える。じわじわと指先に力が加えられ、目の下の薄い皮膚を押されることで眠りを妨げられていた。大きな手が私の頬から余っている。耳朶を擽る小指の爪。順平に包まれる感覚はいつまでも続いてほしいと思うぐらい心地良い。

「言っとくけどな、オレは名前の母さんじゃねーし、そもそも女じゃねーし」
「わかってるよ」

顔を逸らして舌打ちする順平に小さな笑みがこみ上げた。目を閉じたまま相手の一挙一動を待つことはどこかスリリングで、でも安心する。おかーさんじゃなかったらね、と私は喉の奥を震わせた。優しくて素直じゃない順平は私にとって欠くことの出来ない存在だ。私が私であるための充電。それはまるで、

「酸素」

ほんの僅かに、順平の呼吸が乱れた。うー、だか、あーくそ、だか、くぐもった呻き声が顔の真上から漏れ聞こえる。悩みながら頬を撫でるようにして離れていく掌に私は目を開けた。頭の後ろを掻こうとする順平の指を素早く捕まえる。鈍く光る眼鏡の向こうにあるまなこが、癪に障ると訴えていた。
早く大人になりたい。そう思っていたのに現状に複雑な感情を抱えているし、順平といると時々自分が大人であることが疑わしくなる。それでも順平は大人になった私が生きていく上で当たり前のようにある存在であってほしいと思うのだ。
順平と私のちょうど真中にある二つの手が蠢く。ぎゅう、と絡められた指先がシーツの上を滑った。ぼんやりと浮かび上がるシルエットが重なろうとする。私の全てを包もうとする順平に私は再び目を閉じた。躊躇いがちに唇に降るものはとうに想像がついている。そうして私は、息が苦しくなる程の幸せを与えられる。

20130315/title リラン

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