もしも人と人との間に縁という糸が存在しているのなら、今吉とわたしとの間にある糸はきっと殆ど千切れかけているのだろう。

枝の先に小さな濃紅の蕾が芽差す様が朧に見える、そんな春宵の中だった。「寒くないの?」とわたしは隣を歩く今吉に問う。ネクタイは誰かの手に渡っていた。ブレザーのボタンも、ワイシャツの透明でさえ、気の毒なことに毟り取られている。襟の間からインナーの黒を覗かせた今吉は「京都と比べたらマシや」と苦笑した。ポケットに片手を入れ肩を丸める長身はコートの類を羽織っていない。

「そういうお前かて、えらい寒そな格好しとるやん」と今吉がからかうように言う。リボンはない。ブレザーのボタンもない。マフラーは若松に、ファー付きのイヤーマフは桜井にあげてきた。そう答えると「桜井が耳当てて」、とおかしそうに息をふっと吐かれる。身につけていた物は主に後輩マネージャーに奪われたが、結局それらを誰が持ち帰ったかまではわからなかった。「あれやろ、青峰に胸揉ませろ言われたんやろ」「…"何もいんねーから"って」凡ゆる物を持って行かれた後でやって来た一年エースには寧ろ何もねーじゃんと悪態をつかれたが、諏佐が随分とわたしを貶しながらも何とか宥めていた。その様子を想像した今吉がとうとう噴き出す。「ホンマ仕方ないやっちゃな」という優しい声に、卒業証書が入った筒で肩を叩く音が混じった。

三月はじめに行われた卒業式後、バスケ部で集まり一頻り別れを惜しんだ。クラスメイトとの食事会もあったものの、部活のメンバーとの方が濃厚な時間を過ごしてきた自負がある。そうしてタイムリミットという空気が何となく蔓延し、散会した後もそのリミットを延ばすかのように何となく、今吉と家までの道を歩いている。「送る」という言葉があった訳ではない。家の方向が同じな訳でもないと確信があった。今吉の帰る場所はもう学園の寮ではない。わたしの知らない場所に部屋を借りて住んでいる。わたしは冬の京都の寒さを知らないし、今吉からボタンの一つも貰っていなかった。

はあ、と両の指先に息を吹きかける。手袋は苦手だった。人より手が小さいからか嵌めるとどうしても指の部分が余ってしまうし、手首が擽ったくなる。今吉は剥き出しのわたしの手を見て「ちーちゃいお手てが可哀想やな」と笑う。それだけだ。暖めるために手を繋ぐとか、そんなことはしない。今吉とわたしはそういう関係だった。

あの手に触れられるだけでいいと思っていた。いつも視界を狭めるかのように細められていた目に見つめられたら、何もいらないと思っていた。一度でも。例えそれが原因で今吉との間にある糸が切れても構わなかった。けど、それは叶わなかった。主将とマネージャーとして引退まで責務を全うし、恋仲はおろか友達と言えるのかどうかもあやふやなまま卒業を迎えた。この思いはただわたしの中に大切に、誰にも触れさせない宝物のようにしまっておくことしか出来なかった。それはわたしが臆病だったからかもしれないし、今吉がそうさせたのかもしれなかった。今吉はあの細いまなこの間から周りをよく見ているから。それでも、だからこそ。今こうして見えない縁に縋り、今吉の優しさに甘えながら、別れを惜しむかのように夜の道を歩いている。「送る」なんて確かな言葉がなくとも。わたし達の前に広がる道は枝分かれしていて、この先どこかで交わるのかもわからない。

「あっちゅー間やったなぁ、三年間」「…そうだね」恐らくこうして一緒に歩くことなど最初で最後だ。まだ冷たさの抜けない風が吹く。桜が薄桃の花弁をつけていたら呆気なく散ってしまいそうだ。凡ゆる物を手放したわたしにも寒さが堪える。首筋も耳朶も、手袋をしていない指先も。この凍りつきそうな痛みは誰とも分け合わない。わたしだけのものだ。

もしも人と人との間に縁という糸が存在しているとして、何年か後も今吉とわたしとの間にある糸が辛うじて繋がっていたら。わたしは千切れかけの糸に縋るようにして今吉の手を握るのだろうか。そんなことわからないまま、わたしは蕾に見守られるようにして家までの道を歩く。


20130228/海辺より翡翠さまへ提出

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