弱点がない人間などいないと言ったのは誰だったか。
人には誰だって、どうしても克服出来ないことの一つや二つはあると思う。人前で緊張して上手く話せないとか。高いところが苦手だとか。嫌いな食べ物は無理して食べなくていいかなと諦めもつくものだ。
私の弱みは恥ずかしいことに、酒、だった。
遺伝的なものが原因なのか一口どころか一舐め、匂いだけでも酔える。しかも毎回悪酔いするタイプで、頭痛と気持ち悪さは酒席の途中からひたひたと私の身体に忍び寄りいつしか取り返しのつかないことになっているのだ。なら飲み会は参加しなければいいと思う人もいるだろう。けれど残念なことに私は押しにも弱かった。何とか仕事後の居酒屋をやり過ごしふらふらの酩酊状態で自宅に着いたある夜のことだった。
覚醒した。自分の叫び声で酔いが覚めた。
マンションの前で、彼が膝を抱えて座っていた。

「また飲んだんですか?」

部屋に入り鞄を置き、散漫な動作でジャケットを脱ぐ。彼、テツヤくんはソファの端に縮こまるように座り膝の間に顔を埋めた。影の薄い彼が本当に影と同化するようにエントランスの前にいたら彼女と言えど叫ぶだろう。黒い学ランに映える、炭酸水のような色をした髪。テツヤくんの淡々とした声を聞くと、開き直りたい思いと反省の念が頭の中で入り混じる。月末、直属の上司、送別会。どうしても断れない日もあると言ったらテツヤくんは理解するだろうか。年下の、まだ高校一年の男の子は。
去年の冬、よく見知った制服姿に声を掛けられた。白いブレザーに映える少しだけ紅潮した肌が印象的だった。テツヤくんは、今日の夕飯は何だろうとでも話すようなさりげなさで私にこう言った。

「あの、僕と付き合ってください」
「ああ、はい。………え?」

きちんと聞いていなかった私も私だが、はじめは何かの罰ゲームかと思った。しかし小さく拳を握り締めた彼が次の日から毎日私を待ち伏せるようになったことで、漸く騙されていないと確信したのだった。その頃には、私もテツヤくんを好きになっていた。
その後私が社会人となり、テツヤくんの制服が変わってからも関係は続いた。友達に年下と付き合っていると告げたら思い切り引かれたため、会社の人には言っていない。バスケ部の練習帰りのテツヤくんと私が仕事を終えるタイミングが合う日が時々あるけれど、同僚に見つかった時のことを考えて職場には来ないよう言い含めてある。あれこれ詮索されたらテツヤくんが困るに違いない。
ひとまず胸のむかつきを抑えるため薄いスポドリを作りたいと思ったところだった。怠さを堪えキッチンへ向かおうとした私を制するようにテツヤくんが手首を掴む。突然のことにひゅうと息が漏れた。バスケで酷使しているからかテツヤくんの掌は硬くて、節くれ立つ指と共に不相応な大人っぽさを感じる部分だった。真っ直ぐ私を見つめる目に宿る、ベイビーブルーをした焔。

「…どうしてメールも電話も返してくれないんですか」
「………あ、え、嘘」

居酒屋内の電波が弱かったことと自分のことでいっぱいいっぱいだったことが理由で携帯を確認する暇などなかった。私が鞄の中を漁るより早くテツヤくんが自分の携帯をずいと見せる。目の前に翳された画面は壮観だった。"今日部活がオフなので会えませんか""今どこですか?""返事ください""何かありましたか"、そして"家に行きます"。送信済フォルダにあるメールの宛先には同じ名前が並んでいる。携帯を持ってもらったまま液晶を操作して発信履歴を見ると、十分に一度の間隔で私に掛けていたことがわかる。テツヤくんが短く息を吐いた。人差し指をぴんと立てたまま私は失語する。身体の中で気持ち悪さが渦を巻く。

「変質者に監禁されてたらどうしようかと思いました」
「…いや、それはいくらなんでも」
「体調が悪くて倒れていても、一人暮らしだから下手したら誰にも気付かれないでしょう?」
「…まあ、それは」

そうだけども、とごにょごにょ口ごもる私をテツヤくんが遮る。「とにかく無事でよかったです、不安で仕方ありませんでした」。掴まれたままの手首を引き寄せられる。いつもはひやりとして繋ぐと気持ちのいい掌が、今は熱い。まるでテツヤくんの手に焼き印を押されているようだ。私は、テツヤくんのものだと。

「…頼りないかもしれません。それでも、少しは心配させてください。あなたの彼氏は僕です」

テツヤくんの両腕が腰に回される。額を私のお腹の上に押し付ける。さらさら揺れる髪と詰襟から覗く首筋に眩暈がした。マンションの前にいた理由が漸く腑に落ちる。お酒の席を経験したことがなく、職場での私の姿も見たことがないテツヤくんは私のことを知らない。一日の大半をどう過ごしているのか、何を考えているのか。私の半分を知らないのに私をこんなに思ってくれているテツヤくんは一体どんな心地なのだろう。絶対的な歳の差を埋めるように抱き着くテツヤくんに私の身体にも熱が広がっていく。じわじわと侵食される。引き寄せられるように私はテツヤくんの柔らかな髪を撫でた。つむじの近くに指先を差し入れると、テツヤくんがおもむろにがばりと顔を上げる。尖った唇に私は思わず目を見開いた。

「…あの、何だか子ども扱いされているみたいで心外です」

見張った目をぱちぱちと瞬かせる。少しだけ紅潮しているテツヤくんの白い肌。ベイビーブルーの瞳に映る私の姿が焔のように揺らめいた。ふわふわとした感覚に包まれる。私の酒の酔い方とは違う、覚めなくてもいいとすら思う心地良さ。テツヤくんの拗ねたような表情がどうしようもなく愛おしい。いくら歳が離れていようと、私はテツヤくんのことが好きなのだ。こんなに心配してくれる恋人を私がどれだけ頼りにしているか、きっとテツヤくんは知らない。

「じゃあ」
「え?」

明日どうやって同僚に彼氏の存在を公言しようかと考えていると、テツヤくんに突然腕をぐいと引っ張られた。声を上げる間もなく足裏がフローリングから離れ、上体に衝撃が走る。反射的に目を瞑った私が次に見たものは、表情なく私を見下ろすテツヤくんと天井、だった。テツヤくんが私の背をソファに押し付けている。酔いは随分と覚めた筈なのに心臓の動きが速くなる。

「今日は泊まります」
「えっ」
「あと合鍵ください、今日も待ってる時変な目で見られたので」
「はっ!?」

「ね?」とこてんと首を傾げるテツヤくんは大真面目なようでどこか薄く笑っているようにも見える。思考が働かなくなること暫く、私は長く深い溜息を吐いた。この様子だと、明日は何も言わなくとも私に彼氏がいるという噂は囁かれるだろう。
結局、私が最も弱いのはこの年下の男の子なのかもしれない。

20121202/海辺より慈愛とうつつさまへ提出

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