「…忍足」 「ん?」 「ん、じゃなくて。プリント回してよ」
あーすまん!と忍足が叫ぶように謝った。 謝るのはいいから、プリント。可愛げもなく呟くと、慌てた様子で手渡される。
彼がなにかを渡すときに、わたしの手をぎゅっと握るのは何でだろう。お釣りを渡すときの店員さんでも、滅多にしないと思う。 というか、忍足にしては意外だ。そういうことをするのは、なんとなく、白石の方が似合う気がする。 忍足の手は冬でも熱く、冷え性気味のわたしは毎回、その温度差に飛び退きそうになった。
何の気なしにしているんだろうな、と思うと、その手を抓まんでしまいたくなる。でも、驚いてるうちに、彼の手は離れていくのだ。
「なあなまえ、今日寒ない?」 「うん」 「外で部活するん嫌やなぁ」 「今日の体育、外じゃなかったっけ」 「、…せやった…」
まあ女子は体育館だけど、と付け足して笑うと、頭を軽く叩かれた。
何気ない会話をしながら、プリントをペンケースの下に挟む。 相変わらず、わたしの返事は不器用で、彼の金髪は喋るたびに揺れていた。
「あー、暇なったな…」 「プリントは?」 「もう解き終わったわ」 「なら見せて」 「それはあかんやろ。…教えたろうか?」
別にいいよ、と返して忍足を見つめる。 なんにも考えてなさそうな顔が格好良く見えるのは、彼に恋をしているからだろう。
「ケンヤが好きとか、ありえへん」なんて、友達に言われた。こっちから言わせてもらえば、そっちの方がありえへん、だ。だからと言ってライバルが増えるのは困るけれど。 第一、忍足はすごく男前である。目鼻立ちはくっきりしているし、肩幅だって広いし、少し騒がしいところもあるけれど、それ以上に優しい。
自習用のそれにペンを走らせる音が聞こえる。みんな真面目だなあ、と思い教室を見回せば、問題を解いているのは半数も居らず、殆どが寝ている。真面目じゃなかった。
「忍足はさぁ」 「なんや?」 「好きな女の子とか、いるの?」 「す、……はぁ!?」
以前見かけた綺麗な女の人を思い出しながら、問いかける。 忍足の大声にびっくりして、ペンケースが机から滑り落ちた。拾おうとして身を屈めると、さすがと言うべきか、忍足の方が早かった。 受け取ろうと伸ばした手を引っ込めれば、カーディガンの袖が揺れる。
「いきなり何聞くねん」 「暇だっていうから、恋の話でもしようかと」 「なっなんで俺と!」 「あの、忍足、静かにしよう…」 「…すまん」
もごもごと謝る彼をよそ目に、周りを見てみる。わたし達のことは見向きもせず喋っていたり、寝ている。よかった、そんなにうるさいわけじゃないみたいだ。
忍足の声は低くて、よく響く。距離が近いせいもあるのかもしれない。 彼のおおきな手に握られた、不釣り合いなわたしのペンケースに気付いて、そっと指差した。
「…それ」 「あ、すまんな」 「いや、拾ってくれてありがと」
さっきから謝りすぎだなぁと笑いそうになれば、また、ぎゅっと手を握られる。癖なんだろうか。
「その、好きな人は、居る」 「…彼女じゃなくて?」 「はっ?」 「駅前で会ったでしょ、前に」 「この前の土曜?」 「うん。そのとき、女の人といたじゃん。彼女なのかなって」
そう言えば彼女いるのかってメールもしたよね、と付け足して、問いかける。 あのメールには返信がなく、結局真相はわからないままだ。
「――…あれ、イトコの姉ちゃんやねん…」 「あー……そう、なんだ」 「メールは、返信に悩んで返せへんかったんやけど」 「い、いないのはわかったから」 「……はっきり居ないって言われるのもあれやな…」
忍足がぶつぶつ呟いたのを聞き流し、そのまま俯く。ただの勘違いだったんだ。恥ずかしい。 そ、そうか、いとこが居るって聞いたことあったっけ。かっ、と顔が赤くなるのがわかる。
彼の手と同じくらいわたしの手が熱くなって、そこでやっと、まだ手を握られていることに気付いた。
「…忍足、手」 「え?あっ!すまん!」
がっちり掴まれた手を離されて、ほっと息をつく。今日の忍足は謝ってばかりだ。ふわふわの髪の毛から覗く耳が、赤い。
――だから、だから嫌なのだ。忍足はこうやってすぐ、その気にさせる。しかも無自覚なのだからタチが悪い。 嫉妬から恋心が芽生えたあの日以来、わたしは何度も、期待を繰り返している。
「ばか」 「だっ!」
その手を抓めないかわりに、忍足の腕を叩く。ああ、女の子らしくない。 忍足は不思議そうにこっちを見つめたあと、眉を寄せて、「手、痛いんか」とあらぬ心配をし始めた。
もう、本当に、ばかやろう!
止まらぬ恋
120210 以前書いた「The die is cast.」の続きものです
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