俺はお前が、好きじゃないのかもな。
春の暖かいころには一緒に桜を見に行き、なまえの作った弁当を食べて、笑っていられた。 ひどく暑かった夏休みには、白い項を隠さずに晒す、高い位置で結んだその髪型を褒めてやった。 衣替えの終った秋、切った前髪を「失敗したから」と隠すその姿が、可愛かった。
そして、卒業を控えた冬の日。俺は口を開いた。
「別れよう」
何度も心の内で繰り返した言葉を、唇から吐き出す。やっと、言えた。 なのに達成感なんてものは芽生えてこず、その代わりに心臓が痛む。 顔を上げようか悩んで、やっぱりあいつの表情が見たくて、静かに視線を移動させる。
どうか、泣いていませんように。
随分勝手なことを考えているのに気付いて、自嘲気味に笑う。 それをどう受け取ったのか、彼女も笑った。
「そうだね」
掠れた声がきこえる。 融けた雪をぐしゃぐしゃと足で潰して、ひとつ、息をついてみせた。 雪が汚いものだと知ったのはいつ頃だろう。隣にいるなまえが、教えてくれたような気がする。
理由も聞かずに肯定した彼女に、どうして、と疑問が浮かんだ。 けれど、問いかけることはしない。俺が切り出したことだ。今更後悔なんて、してはいけない。
ぎり、と奥歯を噛んで、奥底から湧き上がる黒いものを抑えた。 今度はなまえが唇を開く。
「雅治くんはさ」 「ん」 「やさしいよね」
彼女の言葉は、きれいな水を含んでいるかのように、じんと耳に染み渡る。濁らないそれは純粋すぎて、毒に変わっていく。 やさしいって、どこが。 そう思いはしたものの、続きを急かすことはせず、ただ黙った。
癖なのか、俺の冷え切った手をなまえが握る。指先はひどく熱いけれど、嫌じゃない。 本当は別れるのだって、嫌じゃないはずなのに。
「振り払わないんだ」
繋がった手を、意外そうに見つめるなまえ。 柔らかい髪の毛は雪のせいかしっとりと濡れていた。
「やっぱり、やさしいよ」 「…そうかのう」 「うん。それに救われてた」
彼女は何に救われてたというのだろう。やさしさなど、偽者だというのに。 俺の愛情が、表情が、仕草が、すべてが、嘘で構成されていることに気付いたらどうなってしまうのか。 どうにかなってほしいのかも、しれない。必要とされたいだけ。
「そろそろ行くね」
ぎゅっと手の力が強まって、離れた。なまえは笑う。 冬の気温がてのひらの温度を奪っていく。慌ててポケットに指先を突っ込んだ。
何をしているんだろうか、俺は。そこら中に未練が溢れていて、馬鹿らしくなる。好きじゃない。好きじゃ、ない。 しんと静まり返った屋上の壁に凭れかかって、溜息を零す。吐く息が震えた。
「……授業、出るんじゃな」 「雅治くんはサボりだろー」 「はは、あたり」
いつもと変わらない会話をし、なまえは立ち上がる。
「なまえ」 「うん」 「俺、ほんとに」 「…うん」 「好きだった」
ポケットから出した手でなまえの腕を掴む。 今更、くだらない期待をもたせてどうするんだ。後味の悪い結末になんてしたくない、ただのエゴで、また嘘をつく。好きだった?最初から好きじゃなかった。それが俺の、本心。
短めのスカートから伸びる白い脚には目もくれず、ただ、彼女の瞳を見つめた。 黒の双眸は鈍く煌いて、それから、緩やかに細まる。
「うそつき」
滑稽だとでも言うように、軽い調子で呟かれた言葉。どくどくと脈打つ手首。 突きつけられた現実がまた、心臓を襲った。
気付いていたのか。 いや、それこそ当たり前だろう。気付かない方がおかしい。毒はじわじわと俺の中を這いずり回る。 情ではじまった恋だと、なまえにだけは、認めてほしくなかったのかもしれない。
力のなくなった指先から、彼女の腕が落ちる。 濃い碧色のブレザーはなにも語ってくれやしない。
「ごめんね」 「なまえ…俺の方が、」 「ううん、いいの。救われてたって言ったでしょ」 「っ……」 「――わたしはね、雅治くんのこと、本当に好きだった」
同じ言葉なのに、どうしてこうも、違ってしまうのだろうか。なまえのやさしい声色で、終わりが始まる。 上靴の擦れる音がし、後に屋上のドアが閉まった。
つぎ逢うときは忘れていよう ( 嘘をつく、と、嘘をつく )
120113
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