買い物を終えた帰り道。千歳のぶんも、と考えていたら多く買ってしまった。

手のひらに柔く食い込むビニール袋の取っ手を持ち直して、家までの道のりを歩く。
近道をしようと奥まった路地に入ると、足先に何かがぶつかった。ふわふわとした感触に、一瞬猫かと思ってしまい、どきりとする。






「(…猫じゃらし……)」



細い茎が支える穂先には、ふさふさのブラシのようなものがついていた。猫じゃらしなんて久しぶりに見たなぁ。子どもの頃はこれでよく遊んでた気がしたんだけど。
思わずしゃがみ込んで、じっと観察する。……そう言えば猫じゃらしって、猫がじゃれつくからそういう名前なんだっけ?





◇◇◇








「ただいま」
「名前、おかえりー」



間延びした声が廊下の奥から聞こえる。
リビングへ続くドアを開けると、珍しく炬燵ではなく、机に向かっている千歳が見えた。机の上には一ヶ月ほど前のテスト用紙、そして薄茶色の筆箱(わたしのなんだけど)が乗っている。勉強してるのかな。



「勉強?」
「そうばい」
「……してたの?するの?」
「こんからすっと」
「やっぱり…」



テーブルの端に見えたしっぽがしゅんと垂れ下がるのを見て、苦笑いを零す。この状態、感情がわかりやすくていいかもしれない。まあ千歳はわりとわかりやすい方だけど。


玄関で履いたスリッパをぱたぱたと慣らしながらキッチンへ入ろうとしたとき、千歳の猫耳がぴくぴく動いているのに気付く。何に反応したんだろう。
それにしても、どこまで猫化しているのか。…それをちょっと確かめたくて、これを持ってきたんだけど。
ビニール袋に無造作に入れた猫じゃらしをそうっと取り出して、シンクの隣に置いた。





「(さてと)」




手を洗い、乾いたタオルで水滴をとり、買ってきたものを冷蔵庫に入れる。




「手伝った方がよか?」
「え、勉強は…」
「休憩!」
「まずやってないよね」




聞こえなかー、と言いにっこりと目を細めた千歳に溜息をつき、早く終わらせてしまおうと牛乳のパックを渡した。
冷蔵庫を開ける音がして、次々に物が仕舞われていく。やっぱり腕が長いぶん作業が早いのか。
妙に悔しくなる気持ちを無視しながら最後の野菜を渡して、それが野菜室に入ったのを見届け、ビニール袋を小さく畳む。




「名前!今度は、馬刺しば買いなっせ」
「買いませんー」
「……ん?こん、こんちゃかつのは何ね?」



むっとした顔をしていた千歳がふとわたしの背後に目をやり、首を傾げた。こんちゃかつ…小さい?……あ、猫じゃらしのこと?
言葉の意味が伝わるまで時間がかかり、口を開いて問いかけようとしたとき、目の前が暗くなった。



「ちょ、」
「取れん」
「…わざわざ抱きしめなくていいでしょ」
「なん、猫じゃらしったい!」
「無視か」



黒のトレーナーが鼻先を押してくる。…この服、胸元が緩すぎてどこに視線をやっていいのかわからなくなるんだけど。腰に回った手の熱さにどきどきしてしまいながら、必死に背中を叩く。

よけてよ、と言おうとした唇から、息が零れた。千歳の唇が耳を這う。なに、なんで。








「…こげん使い方、知っとう?」
「ひ、やっ」



低い声が左耳から聞こえたと思ったら、右耳に何かが這った。ぞわぞわ、と背筋を駆け抜ける感覚に、膝が震える。な、なに今の。まさかこいつ、猫じゃらしを変なことに使うつもりじゃないだろうか。

背中を叩こうとした腕の力が抜けて、左の耳に、ちゅう、と吸い付かれる。何度もそこへキスをするものだから、もう、まともに喋れない。ただ、自分のものじゃないような、甘ったるい声が出た。





「ばっ…ばか、何すんの!」
「ははっ、むぞか反応やね」
「可愛くな…ち、ちとせ」
「…これで弄られるの、そげんきもちよか?」
「ちが…!やっ、ぅ、やめ」



悪か子やねぇ、と、耳の奥に吐き出されるように呟かれて、もう、いやだ。心臓がばくばくと煩い。自分がなにを言っているのかわからない。
熱い舌先が耳朶をぬるりと這う。声を上げそうになったのを堪えて、唇を噛んだ。気持ちよくなんて、ない。

視界の端に、千歳の瞳が映る。意外にも、"そういうこと"をするときの瞳とは違って、優しげだった。尚更、この行為の意味がわからない。





「おしまい」
「…え、」



耳朶がぐっと引っ張られ、崩れてしまいそうな身体を支えられた気がした。






「じゃれただけ、ばい」





猫じゃらしを手にした千歳は、わたしの腰から手を離して、するりと横を抜けていく。

はあ、と熱い息が漏れて、それと同時に恥ずかしくなる。ばか、ばか、ばか千歳!
真っ赤になった顔と、なっているであろう耳を隠し、キッチンの壁にしゃがみこんだ。文句さえ、言えそうにない。


けらけらと、まるで猫を可愛がるように笑う千歳の声が、真上から聞こえた。

それはわたしがとってきた猫じゃらしだし、第一千歳に使おうと思っていたのに、本人に使われては意味がない。もう、なんでわたしが猫に振り回されてるんだ!



じゃれつかにゃいで


120126


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