持ってこい










「ええっと…」





透明のガラスに金縁で『largo』と書かれたドアの前で、立ち止まる。
ラルゴ、と小さく呟いてそっと中を覗いてみると、真っ先に、精巧な装飾がほどこされたシャンデリアが見えた。


外観的には高級ホテルのようなその建物は、歴としたピアノ教室だ。




「(…緊張、する)」




胸に手を当てて何度か深呼吸をする。

ゆっくりとドアノブに手をかけると、ロビーのような場所で待機していた女の人が、重そうなドアを開けてくれた。
慌ててぺこりと頭を下げ、お母さんから受け取った紹介状を鞄から取り出す。




学校は公立、家もそれほど裕福ではないわたしが、なぜこんなところにいるのか。

端的に言えば、お母さんの友達からピアノ教室を紹介してもらったのが原因だろう。三ヶ月限定だけど、かなりの安価でレッスンしてもらえるらしい。

無下に断るわけにもいかず、流れるままに通うことになってしまった。

もともと内気な性格で、何人かと一緒に習うのが向いてないわたしにとって、マンツーマンは魅力的。前に習っていたところは集団でペアを組んだりするから、半年前にやめてしまった。



特に、連弾は絶対に無理だ。
人と話すだけで緊張するのに、それが隣にいて、しかも一緒にピアノを弾くとなると、倒れてしまいそうになる。


小さく溜息をついて、広い建物の廊下を歩いた。





***







「名字さん、ですね」
「はいっ」
「これから三ヶ月間、レッスンを担当させていただきます」
「よ、よろしくお願いします…!」



にこりと柔和な笑みを浮かべた先生は、気品のある男の人だった。一流のピアノ教室だし先生も厳しいのかと思ったけど、優しそうだ。



「今まで習った曲で一番難しいと思うものを弾いてもらえますか?」



自己紹介も程々にそう言われ、何部か持ってきた楽譜を見比べる。
む、難しいと思うもの…どれだろう。とりあえず、一番最後に習ったやつにしよう。


緊張で強張る手を擦り合わせて温めながら、ピアノチェアに座る。
楽譜を開き、鍵盤に指先を置いた、そのときだった。















「すみません、遅れました」
「ああ、跡部くん。ちょうどいいところでしたよ」





教室のドアが荒々しく開き、思わず振り向く。


すらりとした身体に、長い脚。
気だるげに緩められた首元のネクタイ。
ハニーブロンドの髪の毛が揺れて、その碧眼と目が合った。





「……こいつが…」




じろじろと品定めするように見られるのが恥ずかしくて、顔を俯かせる。


だ、誰このひと…何でここにいるの?
いや、それよりも、こんなきれいな顔見たことない…!!青い目だったけど、ハーフなのかな…。





「名字さん、申し訳ないのですが…この三ヶ月はここにいる跡部くんと一緒にレッスンを受けてくださいね」
「へ、あ、はい……ええっ!?」


「元々僕は跡部くんの講師なんです。名字さんの予定時間に合う講師が僕以外にいないので、二人一緒に教えようかと思いまして」
「そういうことだ。文句はねぇな?」




威圧感のある口調で言いきられ、真正面から睨まれた。
その距離の近さに、息がつまりそうになる。


あとべ、さん。
大人っぽいし、大学生ぐらいだろうか。高級感あふれる黒のコートの下は茶色いジャケットが見えていて、なんだかお金持ちそう。



跡部さんは、切れ長の瞳を伏せたかと思うと、薄い唇を開いた。






「お前、名前は?」
「え!えっと、名字名前です。よっ…よろ、よろしくお願いします」
「ああ。持ってこい」
「は…はい?」





なにを、と思わず問いかけ、見上げながら首を傾げる。「よろしくお願いします」から「持ってこい」になんで繋がるんだろう。意味がわからない…。






「俺様の楽譜だ。そこにある」
「えっと…わ、わたしが、ですか?」
「当たり前だろうが。他に誰がいるんだ?アーン?」



長くしなやかな跡部さんの指先が、ピアノの上にある楽譜を指差した。
慌てて椅子から立ち上がり、その楽譜を手にとって彼に向ける。


男の人とこんな近距離で話すことなんて、初めてだ。


泣きそうに、なった。





「こ、これですよね」
「フン。遅ぇな」



乱雑に受け取られて、目を丸くする。楽譜に目を落とした跡部さんは、当然だとでも言うように偉そうな態度。



…お礼も言わないのか、このひと…!



111004



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