ミルクティ・トラップ










テニス部のマネージャーは、結構な仕事量だ。お兄ちゃんにその仕事の多さを聞いていたこともあったけど、まさかこれほどだとは思わなかった。丁度いいバランスで練習試合を組み合わせたり、レギュラーの健康管理をしたり…。



でも、この暑いなか、スコア付けのために外で練習を見るよりは全然マシなのかもしれない。そう考えると、シャーペンを持つ手に力が入る。今は、白石先輩とトレーニングメニューを作っているところだった。
えーと…忍足先輩はスピードがあるから…瞬発力を高めるために5mダッシュ、とか。こういうときに、お兄ちゃんがやっていたトレーニングは役に立つ。ただ、部室にはマシンがないから(当たり前だけど)、それを補うようにやるしかないかな。







色々と考えてたら、肩がこってきた。眉間が寄るのがわかって、小さく溜息をつく。
隣に座る白石先輩は(勝手に隣に座られた)、頬杖をついてスコアノートを見ていた。














「…先輩の髪の毛、ミルクティー色ですね」






窓から差し込む陽光に透けるような、色素の薄い髪の色。見てるだけでさらさらな質感が伝わってくるぐらい、きれいだ。羨ましくなって思わずそう告げると、白石先輩は顔を上げてこちらを見つめ、ちょっとだけ微笑む。





「染めてるんですか?」
「や、地毛やな」
「へえー…綺麗ですね」




自分の髪の毛をつまんで、じっと見てみる。授業中に寝ていたせいか、毛先に若干癖がついていた。……あ、枝毛。そろそろトリートメントしなきゃだめかもしれない。


地毛で、あんなに淀みのないミルクティー色は珍しいなぁ。
そういえば、遠山くんの真っ赤な髪の毛も地毛なんだろうか。





「俺は名前の髪の毛のが綺麗やと思うで」
「いや…枝毛とかひどいんですよ。ほら」






白石先輩はくすくすと笑って、そうなん?と問いかけた。
さっき見つけた枝毛を見せようとイスを先輩の方に向け、毛先を手のひらにのせる。白石先輩はすこしだけ身を乗り出して、わたしの髪の毛を見つめた。











「(あ、なんか…)」








ふわりと、いい匂いがする。先輩、香水つけてるんだ…意外。でも香水のようなキツイ匂いではなく、やさしい感じだ。


毛先から視線を外して、なんとなく白石先輩を観察する。伏せた睫毛が長く、女の子よりも透明感のある肌。色白だし髪の毛は綺麗だし、鼻筋はすっと通っていた。わー、有り得ないくらいイケメンだな。これだけ整ってたら騒がれるのも当たり前かもしれない。










「…名前は、ええ匂いがするな」




透き通った、茶褐色の瞳と目が合った。え、と言いかけて、その距離の近さに焦る。しまった、いつの間にこんな近くに……、慌ててイスに座りなおし、少し後退ってしまう。
白石先輩は苦笑してから、転げ落ちたシャーペンを拾った。







「香水とかつけてるん?」
「いえ…何もつけてないです」




手持ち無沙汰に髪の毛を手櫛で梳いていると、先輩がその手ごと、髪の毛を掴んだ。ぎょっとして固まるわたしの姿が、白石先輩の瞳の中に見えている。ち、ちかい。イスを引こうとしたら、読まれていたのか足で止められた。(このひと足癖、悪っ!!)



涼しい部室のはずなのに、背中で冷や汗が流れる。白石先輩の方を見れば、満面の笑みを浮かべている。わたしの指先を握る手が、熱い。












「なら、シャンプーの匂い?」





す、と白石先輩が近付いて、耳元に唇を寄せた。いつもよりも低い声に肩が震える。叫びそうになるのを堪え、空いた片手でその身体を押した。…うわ、ぜんぜん動かない、どうしよう。
先輩がわたしの髪の毛を梳き始める。指先が頭皮を掠めるたび、ぞくぞくとした妙な感覚が背筋を走った。







「……白石先輩、あの」
「ん?」
「いや、…離れてください」











わかったわかった、と耳の近くで声が聞こえる。よ、よかった、離れてくれるみたいだ。こんなところを誰かに見られたら、本気で危ない。白石先輩はからかってるだけだろうけど、周りのファンの人たちは納得しないだろう。と言うかわたしがファンだったら、絶対納得しない。




指先を掴んでいた手が離れて、開放感に溜息を落とした。








その瞬間、耳に ぬるり、 となにかが触れる感触。










「いっ、」






思わず声を漏らすと、そのまま、かぷりと噛み付かれた。







「ちょ…っと、ほんとに何なんですか!!!」
「はは、そんな怒ると思わんかったわ。そんなとこも、可愛いで」









せんぱいは頭おかしいです。





 




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