寸前の邪魔を笑う










「…なんで保健室に居るん?」




白石先輩は驚いたように双眸を見開いて、わたしの顔をじっと見つめる。
しゃがんだまま見上げた首筋が、窓から射す日の光のせいか、とても白くて、きれいだ。





「し、湿布を…遠山くんのボールで、おでこが」
「…この前の金ちゃんの…」
「あ、違います! その後、家でテーブルにぶつけちゃって」





「遠山くん」と言った途端はぁ、と溜息をつく先輩に、しどろもどろになる言葉をどうにか上手く繋げた。
どくどくと煩いくらいに高鳴る鼓動は無視して、できるだけ平静を装う。


ああ、なんでこんなに緊張しているんだろう。
好きと気付いてから、どうにも不器用になっている気がする。
先輩の顔もろくに見れずに、両手で額を押さえて唇を噛む。余計なことを言わないようにしないと。


白石先輩はわたしの返答に整った眉を少しだけ寄せ、目の前へしゃがみこんできた。




「わっ…先輩、膝汚れますよ」
「ええから。見せて?」
「……えっと…大したケガじゃ、ないんですけど」



そっとわたしの指先に触れた先輩に、戸惑いながら手を離す。前髪がゆっくり持ち上げられて、白石先輩の瞳がわたしの額を見据えた。
視線をどこにやればいいかわからず、静かに目を閉じる。
先輩が小さく喉を鳴らしたのが聞こえて、そんなにひどいケガだったかと不安になった。



不意に、ケガの箇所の近くを触られて、びくりと肩を揺らす。「あ、痛い?」と上擦った声で聞かれ、ふるふると首を振った。
――先輩の手、つめたい。
背筋がぞくりと粟立って、スカートの裾をぎゅっと掴んだ。




「派手にぶつけたんか?」
「…ちょっと焦っちゃって」
「結構腫れとるで。痣にはなってへんみたいやけど」
「はい…、湿布貼って大人しくしてます」





前髪を下ろされて目を開ける。案外近い距離に先輩がいて、心臓が跳ねた。
…好きな人がいるのに、優しくしてくれるんだなぁ。白石先輩は。


じわっと視界が潤んだような気がして、すぐに俯く。急な方向転換に耐えきれなかった熱い涙が落ちて、制服に滲んだ。
うわ、最悪。止まれ止まれ止まれ。






「名前?」
「ご、ごめんなさ…待ってください。すぐ、止まるので」
「…やっぱりさっきの、痛かったんやろ」



ちがう。ちがうよ、白石先輩。
首を振って、否定する。ぽたぽたと零れ落ちる涙は拭っても拭ってもスカートに染み込んでいき、隠し切れない。

ごめんな、と強い力で抱き締められ、あやすように背中をとんとんと叩かれた。
なんなんだ、この人は。何で好きでもないわたしに、ここまでするの。


やり場のない怒りや悲しみが押し寄せてきてもっと涙が溢れた。
先輩の制服は濡れていき、背中に回された手は温かくなっていく。




「う、…あの…言いたい、ことがあって」
「ん?」
「白石先輩といると、心臓が痛いんです」
「……」
「っ先輩が好きな人いるって知ってるんですけど、わたし…」



嗚咽混じりで、必死にそう告げる。
「すき」の二文字がどうしても喉から出てこなくて、情けない。
肩口に額を押し付けるようにしたら、腫れた其処がずきずきと痛んだ。


白石先輩の顔なんて見れなかった。優しい先輩は、どう断ろうか考えてるだろうから。






「せんぱいが、」
「…名前、ちょお待ち」




ぐい、と肩を押され、涙が止まる。――告げさせてもくれないのか。
先輩は俯いていてその表情は読み取れなかった。






「へ、変なこと言って、ごめんなさい」
「そうやない。…あー、言葉が上手くまとまらんわ」
「……あの、すっぱり断わってくれて大丈夫ですよ」
「ちゃうって」




白石先輩がはっきりした口調でそう言い切り、わたしの手を掴む。先輩の手はさっきよりも温くなっていて、すこし震えていた。
彼の肩越しの壁時計は、昼休みが終わる五分前を差している。






「――毒草聖書」
「…は?」
「あれ見て、自分どう思った?」
「…新聞のやつですよね。面白いなって、大阪の人はこんなの書くんだなって思いました」
「俺はそれで笑ってる名前見て、可愛いなって思った」
「えっ」




あ、そういえば。
最初に白石先輩を見たのは、毒草聖書、とやらが載った新聞を運んでいたときだった気がする。
携帯を持った先輩はテニス部のジャージを着込んでいて、(あれが有名なテニス部の部長か)なんて思った。そのときは、関わりたくない気持ちが顔に出てしまったけど。

俯いたままの先輩を見つめていると、さらさらの髪の毛から覗く耳が赤く染まっている。



「…コンタクトのことで脅したとき、名前に告白したやろ」
「……いや、あれは…からかってるのかと…」
「せやろ。鈍いねん自分」



ぼそ、とそう呟かれて、顔が熱くなる。
白石先輩、それって、あの。




「素直に言わなわからんみたいやから、もう一度言うわ」




先輩がふうっと大きく息を吐き出して、顔を上げた。透き通る瞳はわたしを見つめていて、どうしようもなくかっこいい。
僅かに赤くなった頬なんかは、たぶんわたしも同じだ。









「――名前が、好 『キーンコーン カーンコーン』 ……えええ…」




昼休みの終わりを知らせるチャイムが鳴り響く。
力の抜けたように肩を落とす白石先輩。思わず吹き出してしまって、お腹が苦しい。あんなに真面目な顔してたのに、こんな…!

ふへへ、と笑いが込み上げてきた。チャイムに邪魔されるなんておかしすぎる。
先輩はそんなわたしを見てむっと眉を寄せると、掴んでいた手の力を強めた。





「いたたた!ふふ、ごめんなさ」
「まだ笑うか…」
「だ、だって、あはははっ」
「……静かにしい、」





あ、ちゅーされた。





 




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