けんやくん、けんやくん、すきです。
心の中で呟いて、変な呪文みたいになっちゃったな、と笑う。 人のいない図書室は静かで、窓からは暖かい陽射しが降り注いでいた。まあ、その、いわゆるサボりと言うやつである。 適当に持ってきた小説を横によけて――ちなみに最初の二、三ページしか読んでいない――、はあー、と溜息をつく。 白石くんならここで、「幸せ逃げるで」とか言うんだろうな。彼がサボるわけないだろうけど。
わたしだって、授業を抜け出すのは初めてだ。 現に、もし人が入ってきてもすぐにはバレないよう、いちばん奥の本棚の隅っこに座っている。案外見つからない、と財前くんが教えてくれた。
「……謙也くん、すき」
今度は心の中じゃなく、はっきりと声に出す。 思い返してみれば、「付き合うてくれるか」「う、うん」という、なんとも曖昧な言葉で始まったものだ。 謙也くんがわたしに問うた付き合うは、もしかしたら、恋愛の意味ではなかったのかもしれないな。
現に、彼は『好き』という言葉を、たったいちども、口にしたことがない。 行為だって、とくには。手を繋いだこともない二人に、キスや、それ以上を望んでも無駄なのだろう。 昼休みにハンドクリームを塗った指先を、じっと見つめる。じぶんで言うのもなんだけど、すべらかで潤っている。
(わたしの手よりも、先にさわった)
嫉妬が渦巻く。だって、そりゃあ、妬いちゃうよ。
謙也くんが、二時間目の休み時間――彼女であるわたしの手を握るのより先に、クラスの女の子と、手の大きさのくらべっこをしていて。 俺の方がおおきいな、ってあたりまえじゃない。男の子の手じゃないもん。わかってるの?謙也くん。 ……謙也くんの、
「バカっ」
紙の、独特な匂いを吸い込んで、すこし大きな声をあげる。
「わたしだって手つなぎたいし、触りたい。キスもその先も、ぜんぶ謙也くんとしたいのに!」
誰にも聞かれていない状況だからこそ、恥ずかしいことも言えた。 喉奥で息がふるえる。
「――名前、」
上擦った低い声にあわてて振り向くと、びっくりしたような顔で、わたしの名前を呼ぶ謙…也…くん!?
「わああああ!?」 「あー!! すまん! 聞くつもりは、」 「謙也くんごめん! ごめんね!」 「へっ?や、名前は謝らんでええて!」
なんで、なんでここに謙也くんが。サボりに来たの?わざわざ図書室に?白石くんか財前くんの差し金? それとも、教室にわたしがいないから心配してきてくれたんだろうか。いや、それはさすがに自惚れかもしれない。
うう、と小さく唸ると、彼は眉を思いきり下げて俯いた。
ずりずりと後退りしながら、分厚い本で口元を隠す。身体の熱が、ぜんぶ顔に集まってくるみたいだ。 焦った様子の謙也くんが本棚に手をかけたり、自らの胸の前でせわしなく動くものだから、陽光に透ける金髪がひょこひょこと揺れている。普段なら笑うところだろうけど、今は笑えない。
聞かれた。聞かれちゃった。本人どころか、友達にも言えない恥ずかしいことを!
「……その」 「う、うん」 「手」 「て?」 「繋ぎたい……やろ」
えっ。 差し出された大きな手に、左胸の奥が飛び跳ねる。持っていた重い本がぼとりと落ちた。頬がかっと熱くなる。
空になった両手を、謙也くんの指先が包んだ。どきどきしながらあったかい、と呟くと、彼は照れ臭そうに笑う。 やっと手を繋げたことに、頬が緩むのがわかった。繋ぐと言うより、包み込まれているけれど、それでも謙也くんの手だということに変わりはない。 親指のささくれが、わたしの人差し指を掠める。
「痛ない?」 「ううん、大丈夫だよ。…謙也くんの手おっきいね」 「名前が小さすぎるくらいや。指も細いし、きれいやな」 「そ、そうかな。ハンドクリーム、塗ってたからかも」 「……準備しとったん?」 「あ、うん…一応。いつ繋いでもいいように」
彼が溜息をつくのがわかった。次いで、ごめんなぁ、と手の甲を撫でられる。くすぐったくて笑うと、謙也くんはわたしの瞳を見つめた。 汚れたものなんて見たことないみたいな、透き通った虹彩。泣きたくなるぐらい、きれいだ。 すこし日に焼けた頬の上に、短めの睫毛が乗っている。
「謙也くん、睫毛……」 「なあ、名前」
熱のこもったような声だった。 冷やりとした壁に背中がついて、そこではじめて、わたしと彼がこんなに近くにいることに気付く。 触れている指が、あつい。
「好きや」
ゆっくりと、彼との距離が狭まる。唇が唇に触れた瞬間、わたしは瞼を閉じた。 ああ、謙也くんの匂いがする。 謙也くん、わたしも好きです。誰よりも好きです。手を繋いでキスをして、なんだって全部、あなたとしたい。
長いようで短いキスが終われば指先を絡め、二人で、笑った。片手を外し、朱に染まった頬から、睫毛を払う。
「名前」 「ん?」 「……それ以上は、今度な」
妙にマジメな表情で言うものだから、笑ってしまった。
リップティップ
▽(のこのこさまへ) 男前な謙也を目指して書いてみました!むずかしい…むずかしいです…謙也は何故かどもる。謙也さんごめんね。 謙也と初キスというリクエストでした。前半切なめ(主人公の嫉妬)、後半は甘めにできたかと思います! 大好きな彼と初体験!なドキドキを少しでも楽しんでいただけたら幸いです。リクエストありがとうございました!
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