「ここか?四天宝寺は」 「せやで。もう午後やなぁ…どこかの誰かさんが迷うおかげで、」 「うるせぇ、行くぞ」 「はいはい。…しゃあないわ」
ぎらりと、青の瞳が煌いた。
◇◇◇
スコアを取りながら欠伸をすると、練習試合を決めるジャンケンで負けた白石先輩が、心配そうにわたしを見つめた。
「名前、眠そうやなぁ」 「…白石先輩のせいじゃないですか」
むっと唇を尖らせると、そうやったっけ、と彼が朗らかに笑った。
眠いというか、まあ……実は昨日、白石先輩の家に泊まったせいで、その。 …決してやましいことはしていない。断じて。ただ、白石先輩のお姉さんや妹さんに会いたかったし、猫も飼っているらしいので、本当に遊びに行っただけというか。
この辺りの話は割愛。問題は、その夜のことだ。
(――まさかお兄ちゃんから電話がくるとは……)
お兄ちゃん――つまり、跡部景吾のことである。名前で呼ぶとものすごく恐い顔で叱られるけれど。 レギュラー皆で一緒にご飯を食べていたらしく、低い声の後ろで、向日先輩や芥川先輩の声が聞こえた。
いや、お兄ちゃんから電話がきたのはまだいい。 そのときに、白石先輩がうっかりわたしに話しかけてしまったのだ。うっかり、と言うわりに、先輩が終始にやにやとしていたのが気に障る!
ある意味親代わりと言ってもいいお兄ちゃんにとって、妹の携帯から"おとこのひとのこえ"が聞こえてくるというのは、どんな心境だったんだろう……。 まあ、わたしの家に帰ったら本人から聞けるんだけどね、と思い直して溜息をつく。
「…お兄さんが帰ってくるんやって?」 「はい。帰ってくるというか、大阪に遊びにくる……らしいです」 「明日、明後日って土日やからな。にしても同い年でテニス部……やったっけ。案外、知っとる奴かもしれへんなぁ」 「そうですねえ」
白石先輩はわたしと同じように欠伸を漏らし、ベンチの背凭れに寄りかかった。ぱこーん、とボールの跳ね返る音がする。 うーん、今のうちに言い訳でも考えておこうか。
「名字……名字?」 「な、なんですか?」 「名字ってテニスプレーヤー、思い出そうとしてるんやけど……うーん」 「えっと…兄とは違う名字なんです。続柄は養子なんですけど、色々あって、兄の両親がわたしを縛り付けたくないみたいなので」 「ああ、えっと…すまんな。……俺が聞いて良かったん?」
申し訳無さそうに謝る白石先輩に、大丈夫ですよと口元を緩める。
――やさしいなぁ。四天宝寺は優しいひとばっかりだ。 クラスの友達もみんないい人ばかりだし、財前くんも素直じゃないものの(以前そう言ったら舌打ちされたけど)一応優しいし、白石先輩率いるテニス部は、優しさの塊だと思う。
「あ、そう言えば。兄の友達に、忍足先輩と同じ名字の人がいるんですよ」 「え?」 「おしたり、って珍しいですよね。その人も関西出身なので、先輩の親戚だったりして」
ふふ、と笑うと、白石先輩が眉をきゅっと寄せた。なにかを思い出そうとしているようだ。
「名前の元いた学校て、もしかして、」 「――名前!」 「、…えっ」
ぴんと背筋が伸びてしまうような、厳かで、それでいて綺麗な声。 遠く、後ろの方で聞こえる。
「お、おにい、ちゃん……!?」
まさか、そんな。だって今日は金曜日で…部活があるって伝えておいたはず。 そして、ここは学校だ。決してわたしの家でもなければ、東京の、やけに大きい兄の家でもない。お兄ちゃんも電話で、土曜日に来るって言ってたのに!
コートに続く門の手前に、ハニーブロンドを揺らしながら、ここには居ないはずの兄が立っていた。 なにもかも放棄したい気持ちをどうにか抑えこんで、慌ててお兄ちゃんに駆け寄る。
「もう、なんで来たの!?」
なに涼しい顔してるんだ!って言うか、またそんな高そうなスーツで外を出歩く…!!
頭でも一発叩いてやろうかと思ったけれど、勇気が足りなくてやめた。黙ったままわたしを見据えるお兄ちゃん。…居心地が悪くて、きょろきょろと視線をそらす。
うう、先輩たち全員こっち見てるよ…思いっきり試合の邪魔しちゃってる。ご、ごめんなさーい!お兄ちゃんがごめんなさい! 危うい日本語のまま頭の中で叫んで、きっ、とお兄ちゃんを見上げた。
「土曜日に来るはずじゃ…って言うか、学校に来るなんて、」 「言ってねぇな」 「そうだよね!わたし間違ってないよね!」 「名前ちゃん、ちょお落ち着き」
お兄ちゃんの隣で、低い大阪弁が聞こえた気がして、目を丸くする。 ……もしかして、もしかすると。目線を横にやり、逆光で見えなかったそのひとをじっと見つめる。
「…そないに見つめられたら、照れるわ」 「ゆ……侑士せんぱ、」 「なんっでお前が居んねん!!!」
すぐ近くで聞こえた怒鳴り声にびっくりして肩を揺らせば、どすどすと足音を立てて、試合をしていたはずの忍足先輩が歩いてきた。 彼と練習試合をしていた財前くんは、面倒そうにラケットを肩に担ぐ。
「なんや、少しは静かにできへんの?謙也クンは」 「その呼び方やめろやキッショいな!」 「相変わらず喧しいなぁ……今名前ちゃんと話しとるんやから黙っといてや」 「は…!?お前と名字になんの関係があるん」
侑士先輩に向かって、指を差す忍足先輩。その指はわなわなと震えている。 すらすらと動く健康的な唇に、どうしたんだろう、と首を傾げてみた。
ええと、二人は知り合いなんだろうか。 あのー、試合できてないし、みんなこっち見てるし、何よりお兄ちゃんの眉が釣り上がっていてですね……。
「――話は後でしろ!俺は部活を見に来てんだ、さっさと散れ」 「お兄ちゃん!そういう言い方は…」 「あー、氷帝の跡部くん…やったっけ?」 「……てめえが部長の白石か」 「せや。もう下校時刻近いし、色々聞きたいこともあるみたいやから、とりあえず部室で話聞く…、でええかな」
苦笑いをしながら近付いてきた白石先輩の提案に、お兄ちゃんが静かに頷く。 財前くんがぼそりと、「めんどくさ」と呟いたのが聞こえた。
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