『一緒に初雪見に行こうよ』
たったそれだけのメールでここまで行動できるのは、送信してきた相手が名前さんだからだ。 受信した時間が24時をとうに過ぎていても、靴紐を結んで、玄関から飛び出せる。
しんとした銀世界の中では、ふたりの息遣いや足音以外、何の音も聞こえない。
融けはじめた瑠璃色のような夜明けの空は、ひどくきれいだ。 薄く積もった雪のせいか、いつもより明るく感じる。
「冬、すっごくすき」
名前さんが、独り言のように告げてへらりと笑い、俺を見つめた。 その危なっかしい足取りは、そのうち転ばないだろうかと、見てるこっちがはらはらする。
ふと視界に入った柔らかな髪の毛には、真白い雪がのっている。 それを指先で払ってやりながら、そうなんですか、と静かに返した。
『好き』と彼女が云うだけで鼓動が高鳴ることを打ち明けたら、調子づいてもっと言うはずだ。
「だから呼んだんですか?こんな時間に、わざわざ」 「んー…初雪だったし、日吉くんと見たかったから」 「…そ、うですか」 「そうですよー」
もしかして、わざと言っているんだろうか。 緩みそうになる頬と気持ちをぐっと堪えて、かわりに白い息を吐き出す。
「日吉くんは、冬って好き?」 「……暑いよりは」 「そっか。まあ、そうだよね」 「はい」
いつかの夏を思い返して、呟いた。
あの頃より少し伸びた襟足。 伸びた髪は赤く染まる耳を隠してくれるものの、名前さんにはすぐに気付かれてしまう。
マフラーに鼻先を埋めながら眉を寄せていると、雪がさくりと音をたてた。 不思議に思って顔を上げれば、思ったよりも近い場所にいた名前さんに、瞳を見開く。
「……前髪。切らないと」 「、ああ」 「今度切ってあげるね」 「別に、いいです」
前髪を浮かすように持ち上げられ、想像よりも冷たい指に肩を揺らす。 切り揃えられたはずの前髪は、だいぶ長くなってしまった。
名前さんが手でピースサインをつくって動かすのを眺め、ふんと鼻先で笑う。 前を歩いていた彼女は、ここが定位置だとでも言うようにいつのまにか俺の隣にいて、「なにその笑い方ー」と口を尖らせた。
「…なんで好きなんですか」 「え、なにが?」 「冬」 「あー。わたし、寒いのが好きなの」 「……名前さんってマゾ、」 「ち、違うってば」
大袈裟なくらいに首を振って否定する名前さんが、可愛くてしょうがない。
赤くなった彼女の頬に、てのひらを伸ばそうとして、やめる。 なんですきなんですか、俺のこと。そう聞こうとして、やめる。
「寒いとさぁ、余計にあったかく感じるよね」 「…………は?」 「予想通りの反応をありがとう…」 「いや、意味がわからなかったので」
「……だから、こういうこと」
悴んだ指先に熱を感じてその場所を見つめると、自分よりも一回り、小さく細い手があった。 不意打ちに、心臓がどきどきと鳴り出す。本当に名前さんは、たちが悪い。
けれど――この人には勝てなくてもいい、とさえ思ってしまうのだから、重症だ。
「これのどこが、余計なんですか?」 「えーと…ラブラブ度であったかさ二倍」 「……随分お手軽な頭ですね…」 「…憐れまないで」
しなきゃよかった、と騒ぎ出す名前さんの手をしっかりと握る。その力が伝わったのか、じきに静かになった。
こうして手を繋いでいられるのも、夜が完全に明けるまで。 近所の寂れた公園で"初雪を見る"という目的は果たした。あとは家まで送っていくだけだ。 そのうえ既に、彼女の家の近くのコンビニ前へと来ている。
名前さんの横顔をこっそりと盗み見れば、緩みきった顔を隠しもせずにへらへらと笑っていた。
「……素直ですよね」 「うん」 「でも、そういうところが、」
すきです、と言いかけてそのまま口を噤む。なんて恥ずかしいことを言おうとしているんだ。 余った片手で自分の口元を覆って、余計なことを言わないようにと顔を反らした。
ああでも、言ってしまいたい。隣でにやつく彼女に、少し報復してやりたい。
「ねえねえ、続きは?」 「…一生言いません」 「日吉くんの意志が固すぎる!」 「知ってます」 「うー…、…あれ、一生?」 「はい」 「そ、それって、えっと…」
「――名前さんのこと、愛してますからね」
面食らった顔で立ち止まり、さっきよりも頬を赤くした名前さんを見て、自然と口元が綻ぶ。 爪先からじわじわと侵食してくる愛情を感じながら、両手で彼女の頬を包み込んだ。
手を離してもこころは離れませんよ と、今なら言える気がして。
テレパシズムは 伝わらない
「ふ、ふいうち…!」 「いつもされてますから、お返しに」 「それは仕返しって言うんだよ!」 「知ってます」 「…日吉くんのばか」
(1215 // 「くじプリ夢企画」に参加 ありがとうございました!)
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