あ、日吉くんだ。
遠くの方で、さらさらの茶髪が冬の太陽に鈍く煌めいている。きれいだなぁ、と吐息を零し、止まってしまった足を動かした。 寒いのか、他に理由があるのかはわからないが、耳が真っ赤で痛そうなぐらいだ。
高級そうなお店が立ち並ぶ市街地の道路。
金縁で囲まれた立て看板の近くで、頭を抱えながら腰を折る日吉くんの様子をぼうっと見つめていれば、こちらに気付いたのか顔を上げる。
日吉くんはわたしの顔を見た途端に目を丸くし、すぐにがつんと鈍い音がして、横の看板に頭をぶつけた。 うわ、すごい音した…。
「っ…」 「だ、大丈夫?」 「…平気、です」
慌てて駆け寄って、じっと顔を覗き込む。 相当痛いのか顔を歪めたままそう言い放つ日吉くんの腕をとって、踵を返す。 一瞬、「は?」と言いたげな日吉くんの表情が見えたけど、見なかったことにする。
頭部はすこしでも痛めたら危ないらしい。そしてこの辺りは、わたしの家の近くだ。 ならば迷うことはない、家で診てあげなきゃ。
「わたしの家まで、5分くらい歩くから」
後ろで「ちょっと、」だとか「名前さん」とか言う声が聞こえたけれど、ぜんぶ無視した。
◇◇◇
ただいまと呟くと、日吉くんは後ろで小さく「お邪魔します」と答えた。
しんと静まり返ったリビングに入って、掴んでいた腕を離す。 日吉くんの腕は熱くて、わたしの手にまで体温が移ってしまっていた。さっき、頭を抱えていたし、もしかしたら熱があるんじゃないのかな。
棚の中の薬箱を取り出して中身をがさがさと漁る。 包帯、消毒薬、バンドエイド……、それより先に具合を見なきゃだめか。
「日吉くん、どんなふうに痛いの?」 「……大して痛くないですって」 「じゃあ手足が震えたり、脱力感とか、ない?」
納得いかなそうに椅子に座った日吉くんの瞳を見ながら問いかけると、ふるふると首を振られた。
それに頷いて後ろに回り、軽く髪の毛を梳く。 日吉くんはびくりと震えたが、その後は比較的に大人しくしているので、やりやすい。 首筋に手を当てて、とん、と叩いた。
「これ、痛い?」 「いえ」 「そっか。じゃあ次は、わたしの手握ってみて」 「…え?」 「こう、ぎゅって」
背後から日吉くんの指先に向かって手を伸ばし、しっかりと握る。 あ、一回、目の前まで戻ればよかったな。日吉くんの背中、意外と広い。 回りそうで回らない腕に、日吉くんも男の子なんだなあと思う。
これで、手に力が入ってなかったら危ないかも。 と、不安がっていると手を強く握られた。
「いっいたたた!」 「ああ、すみませんね」 「……なんか大丈夫みたいだね…とりあえず冷やそうか」
鼻を鳴らす彼に苦笑しつつ手を離して立ち上がり、すぐに冷凍庫の前へ向かう。 開けて中を見ると、アイスノンが何個かあった。
それを取り出してハンカチに包み、ぺたぺたと裸足で歩いていって、日吉くんの後頭部に当てる。
はぁ、と気の抜けた声が聞こえて笑いそうになったけど、どうにか堪えた。 日吉くんの髪の毛は、やっぱり物凄くさらさらだ。
「すこし休んでいく?」 「別に、いいです」 「でも…頭ぶつけた後に動いちゃだめだよ。部活とかしてたんじゃないの?」
そこまで言ってから日吉くんの格好を眺めて、ちがうかもしれない、と思った。 彼が着ているのはジャージや制服じゃなく、黒のタートルネックにすらっとした細身のパンツ、高そうなジャケット。
明らかに、部活なんて格好をしていない。
「……部活じゃないです」 「え」 「跡部、さんが。…パーティを」
…パーティ? 予想通り部活はしていなかったものの、馴染みのない言葉に首を傾げて問い返す。と、日吉くんは耳を真っ赤にして俯いた。 氷帝のテニス部は、パーティとか開催しちゃうんだなぁ…。
訝しげに見つめていると、彼は顔を上げて、眉をきゅっと跳ね上げる。
「…誕生日で」 「……もしかして、日吉くんの?」
こく、と頷いた日吉くんに、なるほどなぁと深く納得した。あの跡部くんなら、きっと盛大に祝ってくれるんだろう。
日吉くんにとって、それが恥ずかしいのかな。 だからあんなに真っ赤で、体温が高かったのか。
「それじゃ、ゆっくりしてたら皆心配しちゃうね。一人で戻れる?」 「…俺は子どもじゃないですよ」 「ご、ごめん…」
むっとした顔で椅子から立ち上がった彼を目で追ってしまい、ばちっと視線が合った。 …意識してなかったけど、日吉くんも男の子、なんだよね。簡単に家にあげちゃってよかったのかな。でも、心配だったし。
玄関へ向かおうとする日吉くんの後についていって、並べられた靴を見る。わ、礼儀正しい子だ…。 感心していると、視線を感じる。顔を上げれば、案外近いところに日吉くんの顔があって、びっくりした。
「……ありがとうございました」 「どういたしまして。お節介しちゃってごめんね」 「いえ。…助かりましたから」
ぼそ、と小さく聞こえた言葉に、思わず口元が緩んでしまう。 日吉くん、そんなにパーティが苦手なのかな。いや、たぶん照れてるだけか。
靴を履いて玄関のノブに手をかけた日吉君の背中を、見つめる。
意外と大きかった彼の背中は、誕生日を迎えて、これからどんどん広くなっていくんだろうな。
「日吉くん」 「はい」 「誕生日おめでとう!」
振り向いた日吉くんに、へら、と笑いかけた。 彼は目を丸くしてから下唇を少し噛んで、それから口端を上げる。
「名前さんと同い年なんて、嬉しくないですけどね」と生意気なことを言う彼は、照れ隠しが下手だ。
気付いてないふり
「(耳、真っ赤だったなぁ)」 「(……不意打ちすぎる)」
(1205 日吉誕生日おめでとう!)
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