俺の方が、すきだっつの。
本人に言えもしないのに咥内で呟いて、手のひらで瞳を覆う。













名前と会ったのは小学五年生の冬。変な時期に東京から転校してきた名前は、その年頃の小学生にしてはきれいで大人びてた。だから、最初はあんまり好きにはなれなかったのが本音。でも、静かそうなのは見かけだけ。周りの環境に慣れてからは、友達との会話でにこにこと楽しげに笑う、年相応の奴に変わっていった。それで、ちょっと、気になったっつーわけ。






名前と初めて話したのは六年生の夏。相変わらず大人びた顔で、「丸井くん」と舌足らずな口調。ミスマッチすぎて、こっそり持ってきたクッキーを落としてしまったぐらい吃驚した(未だにちょっと恨んでる)。色々な感情が混ざって、開口一発目に出たのは「なに!」と怒気をこめた声。やべぇ、と思って冷や汗がでた。けれど名前はそれに怯えたりはせず、俺の頭上を見つめて、「髪、くしゃってなってるよ」と微笑んだ。どうすればいいかわからずに目を丸くしていると、名前が気を遣ったのか俺に近付いて、『くしゃってなってる』部分を手櫛で整えてくれた。それが死ぬほど恥ずかしかったのを覚えている。



「あ」
「え?」
「ごめんね、クッキー踏んじゃった…」
「……」


昔から、こう言う奴だった。






それからはどちらかと言うと、俺が名前の世話を焼くようになっていた。弁当を忘れたり(その度に菓子パンをやった)、猫に構っていて遅刻をしたり、シャツの一番上のボタンをかけ間違えたり。…弁当を忘れればあとで名前が手料理作ってくれるし、猫は俺に似てたから可愛がったらしいし、ボタンをかけ直そうとすると、…なんつーかまぁ、色々と役得だったから、いーけど。周りからは、「ジャッカルが俺の世話をしていて、俺が名前の世話をしている」ように見えるらしい。






で、中3。正直この時期のことはあんま話したくねぇ。回想終了。





***








「ブン太」
「あー?」
「ずっとなに考えてたの?」


「………お前の、こと」









聞こえるか聞こえないか。そのぐらいの大きさで呟いたのに、こいつの耳には届いてしまったらしい。名前は、きょとんとして不思議そうに首を傾げたあと、「なんで?」と問いかけた。……なんで、じゃねーよ。くっそ。行き場の無い感情を抑えようと自分の赤髪を撫ぜ返す。








「くしゃってなってるよ」
「…ん。知ってる」
「あ、懐かしい。はじめて喋ったときって、こんな感じだったよね?」









あの頃よりも甘い熱を帯びた名前の声は、俺の耳元を擽る。髪の毛を直すことなく返答すれば、名前は楽しそうに笑った。あーそう、こんな感じ。お前は大人っぽくて子どもくさくて、きれいで鈍くて、変なやつだった。それは今でも変わらない。けれど、女特有の表情、身体つき、匂い、触れた指先の柔らかさ。そういうとこだけ、どんどん、俺を置いていく。そんな名前を受け止めるのは怒気をこめた声か、素っ気無い声かの違い。



俺はあの春から、すこしでも変われたんだろうか。











「名前も、髪の毛ひでぇことになってる」
「えっ!う、うそ、どうしよ」
「……しょうがねぇなー…」




指差しながら笑って、くしゃくしゃになった名前の髪の毛を、手早く直してやる。艶のあるサラサラの髪の毛は吸いつくような感じがした。や、俺が離したくないだけか。「ほんとに大丈夫?」「おう」「変じゃない?」「かわいーって」「…ほんと?ありがとう」 だから、ほんとに可愛いって。誰にも渡したくねぇぐらい。言えない言葉を飲み込んで、その頭を撫でる。名前は嬉しげにへらりと笑い、俺の指先からするりと解けていって、先を歩く仁王のところへ歩いていった。




弁当を忘れたときに何か恵んでやるのは、いつ頃からか、仁王の役目になってた。遅刻すると決まって、「仁王くんに似てる猫が」って言うようになってた。かけ違えたボタンはいつの間にか直ってた。


その風に靡く髪の毛を直してやるのも、俺じゃなくなるんだろう。辛いときに涙をぬぐってやるのも、俺じゃなくなるんだろう。俺の隣で笑ってた名前は、もういない。





「なぁ、名前」





CD貸すって約束、ちゃんと覚えてんの?
つーか、そんなフラフラしてっと危ねぇって。また転ぶだろ、ちゃんと歩けよ。
あ、お前が足で潰したクッキー、いつか返せよな。


んで、あとは、…あとは、さ、





「なんで、お前の隣にいるの、俺じゃないんだろうな」



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