――手足が、関節が、痛い。
夢を見た。一面真っ白の、四角い部屋。消毒液の匂い。閉鎖された空間で、待つだけの日々。






(……嫌いなんだ、あそこは)






スプリングを軋ませて、重い頭を持ち上げた。深夜というほどでもない時間。時計の針は未だ、9時を指したばかり。…早く寝過ぎたから、あんな夢を見たのかもしれない。たしか、帰ってきて早々にベッドへと入ったはず。





ふと、携帯に目をやると、未読メールのお知らせがサブ画面で点滅していた。けだるい気持ちで携帯を開く。かち、と軽い音がして、薄型のディスプレイが発光する。








『幸村くん、突然ごめんね。良ければ今日、勉強教えてくれませんか?』








絵文字も顔文字もないシンプルなメール。
受信時刻は、18時ちょうど。…三時間も前だ。




名前からメールがくるなんて、と驚きを隠せないまま、慌てて返信をする。








幼なじみの名前とは、小さな頃から中学一年生の間まで、よく遊んだり話したり、お互いの家を行き来するような仲だった。





二年生でクラスが変わってからは、それほど仲が良いと言うわけでもなく。つかず離れずの距離感で、そのままずるずると、今日まで過ごしてきたのだ。
何度か話そうと試みてみたものの、一度話さなくなると、いまいちどう接していいのかわからなくなるもので。…もし、これが名前でなければ、すぐに行動できたんだろう。昔から傍にいた相手を傷つかせたくない、壊したくない一心で、いた。




名前は今時珍しいくらい、純粋だし。





そんな相手からいきなりメールを受信して、驚かない方がどうかしている。
俺が彼女に好意を抱いているから、という理由もあるのだけれど。







『構わないよ。』








5分ほど悩んで、たったそれだけの文章を送信した。メールを待つ間に顔を洗って、服を着替える。


思えば、最近名前を見かけることもなくなった。朝練、昼はクラスが遠く、放課後は部活で忙しい。
けれど、たしかに俺は、名前に恋い焦がれていた。






『ほんと?嬉しい。ありがとう!
少し準備するから、9時半くらいにわたしの家に来てもらっても平気?』






ディスプレイに表示された時計を見つめ、あと15分くらいか、と呟いた。心臓が痛いくらいに高鳴る。


とりあえずメールの返信をしようと作成画面を開けば、手の中の携帯が震えた。





名前だ。











「名前?」
「も、もしもし!幸村くん?あの…、いきなりごめんね」
「ああ、ううん、いいんだ」





喉がカラカラで、言葉が覚束ない。
久しぶりに聞いた名前の声は大人びていて、でも、昔のような甘い響きを残していた。





「それで、どうしたの?」
「あ!えっとね、幸村くんの家の方がいいかなって。わざわざ来てもらうの、申し訳ないし…」
「…ふふ、相変わらずだね」
「えっ?」





優しすぎるところは変わっていない。そのことに思わず、笑みが零れる。電話口の名前は、不思議そうな声で何度も問い掛けていた。






「俺の家でも構わないけど、若干不便かもしれないな…辞書はロッカーに置いてきてるから」
「そっか。やっぱり、わたしの家の方がいいかなぁ…でも…」
「名前の家は隣なんだし、気にしなくていいよ。それに女の子を外に出させるのはちょっとね」
「うーん……じゃあ、9時半ごろ、お願いします…」





その申し訳なさそうな声に、また笑ってしまいそうになるのを堪えて、「わかった」と告げる。
名前が電話を切るのと同時に、近くに置いてあった鞄を掴み、勉強に必要なものを入れた。筆記用具にノート、問題集。ついでに、蓮二から貰った傾向対策のプリントも持って行こう。







耳にはまだ、甘い余韻。















『言い忘れた!今日お父さんもお母さんもいないから、昔みたいに泊まっても平気だよ。』
『そういうの、他の人にも言ってないよね?』
『幸村くんだけだけど…』
『無自覚は罪だよ、名前』
『むずかしい言葉だね』



( :もしかしたら続くかも )

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